05 余談

 僕らが構内に足を踏み入れた瞬間に、辺りにいた学生たちが蜘蛛の子を散らすようにざざっと消えた。間違いない。狭山くんに借金のある債務者たちだ。

 あれだろうなあ。狭山くんがあのまま戻ってこなかったら、借金消えてなくなるとか夢みちゃったんだろうなあ。

 今日は僕と狭山くんが退院し、大学に復帰した初日だった。

 なんかこう、思うじゃない? 大変だったなあ、大丈夫かよ。とか、言ってくれそうなもんじゃない?

 ないのね。ひと言も。狭山くんの姿が見えた瞬間に、みんな目が合ったら呪われるとばかりに逃げて行くのね。

「なんと言う通常運転」

「うるさい」

 カサカサ逃げて行く学生の姿に僕が死ぬほど笑っていると、ふらふらとゾンビがあらわれた。ごめん。うそ。ふらふら歩いてこっちへくるのは、とてもゾンビっぽい人間だ。

「あぁ、狭山君。やっと会えた……」

細萱ほそがやくん、相変わらず死にそうだね」

 あいさつがわりにうっかり本当のことを言い、狭山くんに殴られた。いや、細萱くんすごいふらふらしてるから。つい。

 細萱くんはぷるぷるとふるえる手で封筒をにぎりしめ、狭山くんへとさし出した。

「あの、これ……先月の返済分。もっと早く渡したかったんだけど……ごめんね」

「いや……」

 なんであやまるの細萱くん。それあれじゃん。狭山くんがいなかったから渡せなかっただけじゃん。狭山くんも俺のせいだけど……みたいな顔してんじゃん。

 それでも狭山くんのせいにしないのね。細萱くんは。理由がなくてもなんとなく責められがちな狭山くんには、こう言う人ってすごい貴重で、僕はあれ。もー、好き。

「細萱くん細萱くん。これ、食券。あげるね。いっぱいあるから。ごはんちゃんと食べなね。そんでちゃんと寝んだよ。じゃあね。またね。困ったことあったら言ってね」

 たぶん、狭山くんがなんとかしてくれる。

 ぷるぷるふるえる手に食券をにぎらせて、返そうとする前に追いはらう。じゃまにしてるわけじゃないよ。優しさだよ。

 どうして細萱くんがお金を借りたか、理由は知らない。だけどきっと、本気で困っていたんだと思う。そうじゃないと、狭山くんはお金を貸したりしない。

 僕が以前引っかかった悪夢のようなお店の話だが、あのころは別に僕と狭山くんは友達じゃなかった。

 ただ、狭山くんの噂は知ってた。あの時はとにかくお金を貸してくれればよかったから、大学の知り合いに電話しまくって連絡先をつきとめた。

 実家からお金借りたらいいのにって思った? そしたら、まず姉に知られるじゃない? 殺されるよね。理由話した時点で。

 だから、狭山くんを頼った。会話するのもはじめてなのに、狭山くんはいきなりの電話にもとまどってなかった。

 問われるままに、僕が借金したい理由を話す。女の人のおっぱいをガン見して莫大な料金を請求されました、と。言った瞬間、スマホのむこうで狭山くんが笑うのがわかった。

 ウケたのかと思ったら、嘲笑だそうだ。

『君は馬鹿か。あぁ、馬鹿なのか。君に必要なのは金じゃない。待ってろ』

 電話のむこうでそう言って、店の場所を聞き出すと恐ろしい顔で飛んできた。狭山くんは言葉の暴力が意外に好きだが、この時は僕を弁護するためにそれを振るった。

 僕はあの時、本当に困ってた。だけど必要なのはお金じゃなくて、僕のために戦ってくれる人だった。狭山くんはそれを知ってて、必要なものを僕にくれた。

 本当に困ってる人に、本当に必要なものを。

 だからお金を借りた時、細萱くんも本当に困っていたんだと思う。そして彼も、ちゃんと返す。あるべき姿だ。

 残念なのは、みんながみんな細萱くんみたいに物覚えがよくないってことだ。忘れちゃうんだよね。どうしてか、すぐに。

 本気で困って自分で助けてって頼んだくせに、借りたお金を返そうとせず狭山くんが悪いみたいに平気で責める。

 大した金額じゃないだろ、って。お前だって学生のくせに、同じ学生の俺たちから金取り立てるのかよ、って。

 だから、狭山くんの評判は悪い。まあ、狭山くんの性格も悪い。こうなると、説得しようともしない。ただただ追い詰め、きっちり債権を回収する。

 狭山って最悪だよな。みたいな話題を振られると、そう言う意見もあるよね。って、僕はうなずく。うなずきながら、君たちのほうが最悪だけど。と、心の中でバカにしている。

 僕の性格も、そんなにはよくない。

 学長と事務局長がものかげからそっと見守り、どこからともなく狭山くんのお父さんの部下らしい狭山くんのお父さんの代理ロボが現れて留学の準備はできていると言ったりして、それとなく様子を見にきたねーちゃんがロボ相手に毒霧を吐いたりした。

 そんなふうに大学復帰の初日はすぎて、僕らは狭山くんの部屋に帰った。

 アパートに着いてから、僕はもうここに戻らなくてもよかったんだと思い出した。まあ、せっかくだから上がるけど。

 数日ぶりにきた狭山くんの部屋は、玄関だけがめちゃくちゃピカピカとかがやいていた。花ちゃんが破壊し、ねーちゃんが張り切って最新のドアを注文したのがよくわかる。

 メタリックなドアについたよくわからない機械に狭山くんがこぶしをかざすと、軽い電子音がしてロックの外れる音がした。静脈認証と言うものらしい。

 いたたまれない視線を送ると、なにも言うなとばかりに狭山くんがこちらを見ていた。

 なんか、ほんとごめん。

 古い畳の六畳の部屋には、安物の折りたたみテーブルがあるだけだ。

 その小さなテーブルの上に、僕は白いビニール袋をがさりとおいた。そこから狭山くんがお弁当を取り出して、テーブルのあちらとこちらにそれぞれならべる。

 あきつ屋のお弁当。今日はふたつだ。

 狭山くんの部屋に、電子レンジなんてものはない。少し冷めかけたお弁当を、もそもそとふたりで食べる。

 そうしていると、ぽつりと聞こえた。

「君には、借りが出来てしまったなぁ」

 言ったのは狭山くんだ。

 ため息のついでに、ぽろりとこぼれたみたいだった。声に出てると本人は気がついていないかも知れない。なんだかそのくらい、なにげない感じがした。

「狭山くん、僕はね」

 だから僕も、なにげないように。お弁当に目を向けたまま、おはしを動かしながら言う。

「狭山くんのことを友達だと思ってるよ」

 本当に困ってる人に、本当に必要なものを貸してくれる狭山くん。僕にはお金じゃなくて、力を貸してくれた。

 ああ、これは返せないなあ。

 あの時、なんとなく確信めいてそう感じてた。大げさに言えば、恩だ。知り合いでもなんでもないのに都合よく頼った僕を、狭山くんは力いっぱい助けてくれた。

 こんな大きなものを借りたまんまで、どうしよう。ずっとそう思ってたのは僕のほうだ。

「まあ、幽霊のふりとか、バクチすぎると思うけど」

「君が相手なら行ける気がした」

「行けたよ! ごめんね! 狭山くんが冗談言うとは思わないじゃん!」

「一応は本気の嘘だったからなぁ」

 正直、信じさせる自信はあった。あったけど、すんなり信じられすぎて逆に恐かった。

 ちょっと遠いところを見るような目をして、狭山くんはそう語った。

 お弁当を食べ終わって、狭山くんが立ち上がる。

 たぶん空の容器を捨てるとか、そんな用だったんだと思う。だけど僕は、反射的にその手をつかんだ。

 自分でもよくわからなかった。ただ急に、不安になった。だってさ、最近まで狭山くんは幽霊だった。ウソだったけど、僕はそれを信じてた。

 ウソだったけど、ウソじゃなくて、このまま狭山くんが消えたらどうしよう。そんなふうにこんがらがって、瞬間的に不安になった。

「どうした?」

 おどろいた顔で、立ち上がりかけた狭山くんが僕を見下ろす。

 僕につかまった狭山くんの手は、なんだか居心地悪そうだった。逃げようとするみたいに、やたらと抵抗して動き回った。

 つかんだ手はひやりとしていた。それでもじわりとあたたかかった。狭山くんが手をねじったり引っ張ったりするたびに、骨や筋肉がきりきりときしむのを手の平で感じた。

「狭山くん」

「何だ」

 不機嫌そうな、とまどうような狭山くんの声。僕はその声と手の中の感触に、心の底からほっとした。

「おかえり、狭山くん」

 鏡がなくても、自分の顔がへにゃりとくずれているのがわかる。だって、ちょっと泣きそうだから。

 狭山くんはおどろいたように僕を見て、それからつかまれた自分の手を見た。そしてそのままうつむいて、しかたなさそうに。居心地悪そうに。ぼそりとつぶやく。

「……ただいま」


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狭山くんは幽霊になった みくも @mikumo_n

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