04 結

 気に入らなかった。

 動機はそれだけだったらしい。

 うちの大学で講師をしていたあの先生は、もともと優秀な人だった。だけどなにかで失敗しちゃって、僕らみたいなバカ学生の先生になった。

 自分の居場所はここじゃないのに。こんなレベルの低い学生相手に、自分の知識を分け与えなくてはいけないのか。与えたとして、理解さえできはしないのに。

 そんな不満が根っこにあって、引き金になったのはあるテスト問題だ。狭山くんが不備を指摘し、満点以上の点を取った。あの時の。

「生意気だった。こんなレベルの低い大学にしか入れないくせに、自分に意見するなんて許せなかった」

 ――などと、取り調べに対して猟奇的連続殺人未遂講師は供述しているそうだ。

「あいつのほうがバカよねえ」

 そう言って、姉はウサギっぽくカットしたりんごを口元に押しつけた。

 僕は今、病室にいる。起きたらここにいた。そしてだいたい、僕の寝ている間に解決していた。


   *


 先生は、捨てた。狭山くんを。そして、これから僕も捨てるらしい。

 腕をつかんで引きずられ、暗い中をどんどん進む。とても歩きにくかった。どこか、山の中だと思う。道もなく、枯れ葉や枝が足の下でみしみしときしんだ。

 先に気づいたのは、先生だった。

 僕の腕をつかんだままで、こわばるように息を飲む。それを感じたすぐあとに、強い光が目を刺した。

 白くくらんだ視界の中に、誰かの影が映りこむ。

 あ、これが噂に聞くお迎えってやつか。

 僕はまず、そう思った。

「全く、君は……。何を勝手に死に掛けているんだ」

 あきれと言うより怒ったような、恐ろしい顔の狭山くんがそこにいたから。

 どうしてここに。そんな疑問を持つ前に、僕はちょっと感心した。

 なんと言うことだ。アパートから出てこなかったひきこもり幽霊が、浮遊霊に見事ジョブチェンしているじゃないか。幽霊は別にジョブじゃないが。

 そして気づけば、全身の力が抜けていた。知らない内に地面へついた自分の膝に、折れた枯れ枝がちくちく刺さる。ああ、帰りたい。山は嫌いだ。虫とか蛇とか、ほんと嫌いだ。

 こんなことをなんだかぼんやり考えて、そこから先が記憶にない。

 狭山くんの登場に気が抜けて、どうも気絶したらしい。猟奇的講師に腕をつかまれた状態で、のんきな話だと自分で思う。

 あの時、僕の目をくらませた光の正体はヘッドライトだ。姉たちが僕らを探し、山中にガンガンと乗りつけた車の。

「間に合ってよかったわよね」

 もうダメかと思ったけど。病床の僕を見下ろしながら、不謹慎に言い放ったのは姉だった。あとから聞かされた話によると、やはり勝手に動いていたらしい。

 地元のみなさまに愛されたり恨まれたりしてきた信頼と実績を乱用し、狭山くんが消えたころのことを調べていた。

 まず手をつけたのが近隣に取りつけられた防犯カメラの確認だったが、これにちょっと手間取った。

 なにしろ狭山くんの不在に気づいたのはいなくなった半月後。だいたい一週間で消されてしまう防犯映像は残っているもの自体が少なかった。

 しかしなんとか見つけた映像の中に、狭山くんと、狭山くんのあとをぴったりと追う車の姿が映っていた。

「それがあの講師の車だったのよ」

「でも、それだけじゃ僕がヤバイってわかんなかったでしょ」

「わかんないわよ。当たり前でしょ」

 姉は、おめーなに言ってんだ。みたいな顔をした。完全に説明が悪いと、僕は思う。

 状況的に危機一髪で助けられたんだろうけど、どうもいまいち納得行かない。納得行かない理由のひとつが、隣のベッドだ。

 頭側を少し起こしたベッドにもたれ、僕は真横に目を向けた。そこには僕と同じくベッドの上で体を起こし、姉の手によってウサギりんごを口に押しこまれる狭山くんがいた。

 わかるか。

 この、裏切られたような気持ちが。

 十日も一緒に暮らしてて、気がつかないとかどんだけバカだ。とか。

 幽霊ですって言われたからってそのまま信じるとかどんだけバカか。とか。

 さんざん言われた。姉とかに。

 狭山くん、人間でした。

 ……幽霊だっつったじゃん。自分で死んだっつってたじゃん。

 実は生きてましたー、とか。ずるくない? ねえ、ずるくない?

 しかも、もっとずるいのは全部が全部ウソってわけじゃないところだ。

 襲われたのは本当で、山の中に捨てられたのも本当だった。生きてるのは、単純に運だ。殴られたあともたまたま生きてて、自力で山から戻ってこれたってだけで。

 怒れないー。なにそれ怒るに怒れないー。

 狭山くんも、生粋のバカよりバカみたいなことするんだなあ。幽霊のフリとか。頭殴られといて、病院へも行かないとか。

 頭痛もめまいもなかったから、大丈夫だと思った。そんな寝言をほざいた狭山くんは、マジギレした医者と姉によって強制的に検査入院することになった。

 当たり前だ。もう一カ月近く前とは言え、思いっきり殴られてんだからね。

 それで病院にも行かずになにしてたかって言えば、犯人探しだとか言うわけ。もー、バカ。なぜなの。一一〇の番号をそこで使わず、いつ使うのか。

「犯人は俺を死んだと思っていたはずだ。生きていると知らせる事もない。……まぁ、一人で動くのも限界があって、結局、君を巻き込んでしまったが」

 狭山くんの口に思うさまりんごを詰めこんで、満足した姉は去って行った。夕暮れの病室に残されて、僕らはふたり。すごく気まずい。

 と、思っていたのは僕だけみたいだ。狭山くんはなんだかふつうに、これまでのことを僕に話して聞かせてくれた。ふつうすぎて、逆にもっと気を使ってほしい。

「狭山くん、なんも覚えてないっつってた」

「犯人を見てないのは本当だった。どこに捨てられたか言えばよかったか? そこに死体はなかったのに」

 あ、そうなるのか。僕、狭山くんは幽霊だと思ってたからなあ。死体の場所がわかるってなったら、探しに行っちゃってたかもなあ。

「助けにきてくれた時さ、なんでねーちゃんたちと一緒だったの?」

「アパートにいたら、見付かったんだ」

 花藤さんに。と言った狭山くんの顔は、少しふて腐れているようだった。わかるよ。うまく隠れているつもりで、あっさり見つかるのはけっこうくやしい。

 ただ、くわしく聞くとさがしてたのは狭山くんじゃなかった。花ちゃんがアパートへ行ったのは、ふつうに僕と会うためだった。

 防犯映像からあの講師があやしいって話になって、どんな人間か聞きたかったらしい。だけど、携帯に電話しても電源が切れてる。まあね。そのころ僕は、トランクの中だ。

 アパートの玄関前で、いないのか、と声をかける花ちゃん。狭山くんはあわてて姿をかくした。それがよくなかった。いや、結果的にはよかったのかな。

 僕なら、ふつうにドアを開ける。そうしないのは誰だてめえと、花ちゃんは荒ぶった。今、狭山くんの部屋には玄関のドアがないらしい。修繕費用は姉が出す。

 そして、あの古めかしいアパートには秘密があった。押入れの天井から屋根裏に入れて、別の部屋と出入り自由と言う恐ろしい構造をしていたのである。どこの散歩者。

 おっかしいと思ったんだよ! 幽霊のころの狭山くん、いつの間にかいて、いつの間にかいないんだもん。いない時、隣の空き部屋にかくれてたんだな。なにそれこわい。

「まだ犯人も動機も解らなかったが、自分が捨てられた場所なら知っていた。君の行方が解らなくなって、手掛かりはそれしかなかったんだ。……間に合ってよかった」

 花藤さんから僕と連絡が取れないと聞いて、狭山くんはとっさにその場所へむかった。あの山の中に。賭けだった。けど、狭山くんは勝って、僕はちゃんとここにいる。

「あんなに、恨まれているとは知らなかった」

 薄暗くなった病室に、ぽつりと響く。声が暗い。僕は少し、不安になった。

「狭山くん?」

「しかも君を巻き込んで」

「狭山くん、狭山くん」

「済まなかった。俺の責任だ。もう、俺と関わりたくないなら……」

「あのね。そこじゃないからね」

 反省と言うより自己嫌悪っぽくいいかけたところへ、僕は強めに口をはさんだ。

「狭山くんの性格悪いの、僕知ってるし。性格悪いのに、間違ってることは絶対しないのも知ってるし。それにさ、あやまるんだったらまず僕にウソついてたってとこじゃない?」

 ころっと泣いちゃってんだからね。ウソなのに。泣いちゃってんだよ、純情な僕は。

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