03 転
「狭山くんって、花藤さん知ってたっけ?」
古いアパートの一室で、僕はお弁当をさし出しながらなにげなさを心がけてたずねた。
「顔見知り程度だな。君といる時に、挨拶した位しか記憶にない」
「あ、そうなんだ」
恐いなあ、花ちゃん。ろくに話してもないのに、どんなタイプかわかっちゃうのか。
確かに、狭山くんは究極に嫌なことがあったらひとりでかかえるタイプじゃない。
関係あるやつもないやつも、可能な限り巻きこんで不幸のどん底に突き落として高笑いする。ような気がする。
元刑事の洞察力にドン引きして苦笑いの僕を、狭山くんがあやしむような顔で見た。
「それが?」
「うん。あのね、さっき花ちゃんに会ってさ」
こんなことを言われたよ、と花藤さんとの会話を思い出しながら伝える。
「さすがに、ごまかせないな……」
「て言うかたぶん、裏ではいろいろ調べちゃってるとは思うよ」
しぶい顔をした狭山くんに、僕はなんだか申しわけない気持ちで答える。
だってね、うちの家業は探偵事務所だ。
信頼と実績の地元のみなさまに愛されたり恨まれたり、ひいじいちゃんがはじめてじいちゃんがかたむけて親父がなんとか立て直してねーちゃんがぶいぶい言わせたりしている。
花藤さんは親父の代からいる調査員のひとりで、元刑事だ。中学、高校と反抗期まっさかりの僕が家出した時、連れ戻しにくるのはたいていあのおっさんだった。
ついでに、僕の逃亡時間は最長で二時間半。ただし、あの時は特急列車に乗ったので、次の停車駅まで手が出せなかっただけらしい。
そりゃーさー、調べるよ。ねーちゃんも狭山くんのこと気に入ってるわけだしさー。
正直、姉たちに丸投げした段階でほぼ決着がつくような気はしてた。
だけどああやって花ちゃんがわざわざ言いにきたってことは、調査がうまく行ってないってことかも知れない。
それか、僕にやらせて情報を吸い上げるはずだった大学内の調査が全然はかどってないってことに気がついたのかも知れない。
僕としては、こっちが本命だ。財布の中身を自信まんまんに全部賭ける。
狭山くんは、古びた畳の上にうずくまって頭をかかえてしまっていた。輝きをなくした目はまるで、絶望を宿しているかのようだ。このまま悪霊にでもなったらどうしよう。
警察に通報しないのは、犯人を警戒させないため。
じゃあ、姉に協力を頼まないのは?
……まあ、ねーちゃんのことがちょっと苦手だからだろうな。と、予想してる。
ごめん。うそ。狭山くんは姉がすごく苦手だ。あのぐいぐいくる感じがムリなんだろう。気持ちはわかる。僕だって苦手だ。あのぐいぐいくる感じがムリすぎる。
それでも、姉は生まれながらの女王だった。うちの家業がぶいぶい言ってるのだって、姉の手腕だ。借りを作る価値はある。たぶん。
狭山くんのために、なにかしたかった。だけど僕にできることは、あまりない。毎日せっせとお弁当を買ってあげるくらいだ。
警察がだめなら、姉に頼るしかない。
これは最初から頭にあった。狭山くんが嫌がるってことも、わかってた。
だから本人の気持ちが落ちつくのを待って、ゆっくり説得すればいいって思ってた。
だけどひとつ、忘れていた。
僕の頭は、ほとんど飾りだ。
*
がつん、と頭を殴られた。
次に気づけば、真っ暗な場所にいた。
僕は手足を折り曲げて、せまい所に詰めこまれている。横になった体のすぐ下が、ずっとガタガタ振動していた。たぶん、車のトランクだ。と思う。わかんないけど。
どうしてこんなことになったのか、わからない。わからないけど、今すごくやばそうってことだけはわかった。
思い出そうとしても、ふつうの一日だった気がする。
ふつうに起きて、ふつうに家を出た。……ああ、そうだ。出かける前に、狭山くんにお弁当を買って帰ると言ってしまった。
帰りたいなあ。帰れるかな。
今、何時だろう。狭山くん、心配してるかな。僕じゃなく、お弁当を。
今日は、そうだ。大学に行って、講義を受けた。それから手当たり次第に聞きこみするのは、最近の日課だ。今のところ収穫はゼロだけど、ほかにできることもない。
「狭山君? ……あぁ、彼は優秀だから。残念だね」
そう言ったのは、誰だっけ。
めずらしい。そう思った。狭山くんはひねくれてるから、だいたい嫌われてるのにな。
「けどさー、先生。あんなヤツいなくたって、誰も残念じゃないっすよ。優秀でもさ」
「わかる」
講義が終わったばかりの教室で、そんなふうに誰かが笑う。取ってる講義が一緒ってだけで、名前も知らない学生だ。
知らないのに悪いけど、僕は君たちのこと嫌いだなあ。世の中には需要があるから供給があるんだって言ってたぞ、狭山くんが。
確かに、えぐいけど。お金の取り立て、容赦ないけど。ほぼ百発百中のテスト問題回答集の値段、必修科目セットで一万八千円とかするけど。
だからまあ、反論はしない。そんな意見もあるよね。と、うなずいておく。これが流されやすい大人の対応と言うものだ。
しかし、自分で思うほど大人にはなり切れてなかったらしい。なだめるように優しく軽く、大きな手が僕の肩をぽんぽんとたたいた。
「余り悪く言っちゃいけないね。狭山君は、この子の友達なんだろう」
ね? と、困ったみたいに少し笑って見せるのは、残念だと言っためずらしい先生だ。
「大変だろうね。熱心に調べている様だけど、何か手掛かりはあった?」
「いや……それが、あんまり」
こんなふうに心配されるのははじめてで、なんだかちょっと恥ずかしくなる。いやほんと、役立たずで。えへへへへ。と、思わずへらへら笑ってごまかした。
「彼がいなくなったの、結構前だって聞いたけど……難しいだろうね。いつ頃の事か、正確に解ればまた違うんだろうけど……」
「あっ、二十三日です。先月の。その日の夜まではいたんです」
二十三日の夜、アパートに帰る途中でおそわれた。
って、本人から聞いた。
家族知人大学そろって、半月も不在に気づかなかった。そんな希薄にもほどがある人間関係しか持ってない狭山くん。彼がいつ消えたのか、正確に知ってる人間がいたら?
とか、考えもしなかったよね。
いやー、うっかり。これ、狭山くんと犯人しか知らないはずの話だったわ。
ぼんやり反省していると、重力に押されるような感覚があった。反動で、トランクの内側に頭をぶつける。体の下から振動が消え、車が止まったようだった。
ドアが開いて、ばたんと閉まる。運転席の辺りから足音が近づき、ロックを解除する音がした。トランクの中の、小さなライトがオレンジ色に視界を開く。
「あっ……」
ああ、そうか。と、思わず納得しそうになった。めずらしいとは思ったんだよ。
残念だね、って。あの言葉。
あれは、いなくなっちゃって残念だねって意味じゃないんだ。優秀なのに、殺されちゃうなんて残念だねってことなんだ。
「起きてたの? ごめんね。殴り方が少し弱かったみたいだ」
困ったような顔をして、もう一度僕の頭をがつんと殴った。それは昼間、なだめるように僕の肩を優しくたたいた先生の手だった。
いや、もう一度って言うかね。一度目は誰にやられたか解らなかった。けど、たぶんこの人だ。証拠はないけど、殴りかたに迷いがなさすぎる。
「先生、なんか……なれてない?」
今度は意識をなくさなかった。それでもやっぱりダメージはあって、頭の中身がぐらんぐらんゆれるみたいだ。
「二度目だからね。こう言う事は」
「それって……」
思わずつぶやいたところで、トランクから引きずり出された。そのままぐしゃりと地面に落ちる。先生はふらふらになった僕の腕を強くつかんで、ひきずるように歩かせた。
「狭山くんの時も、こんなふうにしたの?」
「彼の時は大変だったよ。捨てる場所まで運ぶのがね。君は起きててくれて、却って楽だ」
どんな顔で言ったか、わからない。トランクの中も暗かったけど、外も同じくらい暗かった。車の明かりは消えていて、先生が持ったハンドライトが足元を照らしているだけだ。
頭が痛い。ちょっと吐きそう。捨てるって言った? 捨てたのか。狭山くんを? ここはどこだ。ああもう歩きたくない。頭痛い。ずきずきする。なんでこんなこと。
「こんなの、おかしい。……なんで?」
頭を押さえようとして、やっと自分がしばられていると気がついた。足がもつれる。これはちょっと、ほんとやばい。
かわいそうに、と先生は言った。
「彼さえいなければ、きみまで死なずに済んだのに」
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