02 承

 狭山くんが死んだのは、行方不明になったころ。半月くらい前だそうだ。

 その日、狭山くんは夜道を家に向かって歩いていた。いつも通り。

 だったのに。

 誰かに頭を殴られた。うしろから。

 いきなりで、暗かった。

 視界はゆれて、すぐにかすんで、相手の顔は見ていない。

 一番くやしいのは、妙に淡々と語る本人のはずだ。だけど、僕だって――。

 ……いや、僕は、お腹の中がぐっちゃぐちゃに熱くなるくらい怒ってた。

 なんだよ、それは。なんで、狭山くんがそんな目にあわなくちゃいけないんだ。

 狭山くんは男だ。筋肉もりもりってわけじゃないけど、二十歳をすぎたふつうの男だ。殴って、殺して、運ぶのは大変だったと思う。

 だけど、やった。犯人は、完璧に。

 だから狭山くんの死体はない。どこかにはあるんだろうけど、わからない。

「わからないの? 狭山くんにも?」

「……解らない。気付いたら、この部屋にいた」

 狭山くんは冗談を言わない。

 またまたあ。って、笑い飛ばしたりできなかった。

「ごめんね、狭山くん」

「何が」

「もっと早く気がつけばよかった。ごめん。なんにも知らなくてごめん。ひとりにしてごめん。ごめんね」

 死んでしまった狭山くんに、僕は頭をさげてあやまった。そうしないと、みっともなく泣いているのがばれると思った。

「……君は、泣くのか」

 て言うか、ばれてた。

 とまどうように言う声に、僕もとまどう。

「狭山くん?」

「いや……半月も不在に気付かない君に、まさか泣かれるとは」

「だからそれはホントごめんって」

 狭山くんは、幽霊になっても狭山くんだった。

 変な言いかただけど、幽霊になってくれてよかった。また、会えてよかった。じゃないと狭山くんは誰にも知られず、死んだとも知られず、ただ消えてしまうところだった。

 だけど今は、僕が知ってる。このままで終わらせるとは、思わないでほしい。

 犯人を捜し出し、なにかをどうにかして合法的に血祭りにあげてやる。

 そんな決意を胸に、翌日からさっそく動きはじめた。まずは、基本の聞きこみからだ。

「狭山を恨んでるやつ?」

 おどろいたようにそう言って、たがいちがいに眉毛をゆがめるのは村島むらしまくんだ。スプーンに一口ぶんのカレーライスをのせたまま、手も口も固まったように停止している。

 うちの大学はごはんがおいしい。ここのカレーは僕も好きだ。

 村島くんに声をかけたのは、単に、顔見知りがそこにいたからだ。お昼時をすぎた食堂で、ひまそうにしてたのもよかった。

 食堂の席は、まだ半分くらいがうまっていた。講義がないやつとか講義をさぼってるやつだけでなく、大学と関係ない人も食べられるからだろう。

 がやがやとさわがしい食堂の中で、村島くんは背中を丸めながら声をひそめる。

「何で? 何かあった?」

「あれ? 知らない? 狭山くんいないの」

 僕もそのまねをして、小声で答える。

 すると村島くんは機嫌でも悪くしたように、ぎゅっと眉のあたりに力を入れた。

「ここんとこ見ないのは知ってるよ。……それ、関係あんの? 恨まれて、何かされたってこと?」

「わかんないから聞いてるんだよ。なにかしそうな人、知らない?」

 僕の質問に、村島くんはむずかしい顔をしてガツガツと口にカレーをかきこんだ。お皿をあっと言う間に空にして、ぽつりと言う。

「解んないのは、この大学でお前だけだろ」

 むずかしい顔のままつぶやいて、村島くんは手の中のお皿をにらむように見つめた。

「狭山は、誰にでも恨まれてる。当然だよ。わざとだろってくらい、あんな嫌なヤツいないんだから」

 僕は狭山くんが好きだ。だから、狭山くんを批判したら僕が怒ると思ったのかも知れない。

 その口調は、言いにくいことを思い切って吐き出すみたいな感じがした。

 だけど狭山くんの性格の悪さは僕もちゃんと知っていたので、そう言う意見もあるよね。と、うなずいておいた。

 村島くんも狭山くんにお金を借りてたってことは、あとから思い出した。

 僕の調査はだいたいがこんな感じで、あんまり役に立たなかった。

 ごめん。うそ。全然役に立たなかった。

 調査を始めた日、僕がアパートに戻ると狭山くんの機嫌が悪かった。

 狭山くんの部屋は古い。敷いてある六枚の畳さえ古い。そして物が少ない。

 乱暴に歩いただけで毛羽立ちが加速しそうな畳の上に、安物の折りたたみテーブルがある。家具と呼べるのはそれくらいだった。

 その小さなテーブルの上に、白いビニール袋がのっている。袋の中をのぞきこみ、低い声で狭山くんがうめいた。

「これは何だ」

「え、お弁当でしょ?」

 狭山くんは幽霊になったので、お供えがいる。と、本人から要求された。

 弁当がいい。肉にあふれた弁当がいい。

 そう言われ、僕が買ってきたお弁当だった。

「コンビニの弁当じゃないか!」

「でも、お弁当だよ?」

 それもちゃんと、焼肉弁当だ。

「俺はあきつ屋の特選日替わり肉弁当がいいと言ったんだ!」

「あきつ屋は閉まるのが早いし、特選日替わり肉弁当は数量限定なんだもん」

 めずらしく激高する狭山くんは、こだわりのある男だった。

「君は不遇の死を遂げた知人に供える弁当を何だと思っているんだ! コンビニ弁当だと? まだ犬の餌の方がましだ!」

 僕はおどろいた。

 でも狭山くんが言うのなら、そうなのだろう。狭山くんは頭がいい。僕には理解できないものが、見えているのかも知れない。

 翌日、僕は犬のえさを買って帰った。

 すごく怒られた。

 こんなふうに、僕と幽霊の狭山くんは暮らしはじめた。

 そうして状況はなにも変わらないまま、数日がすぎた。

 狭山くんは行方不明で、僕は姉にせっつかれながら狭山くんの部屋に居候している。

 狭山くんが殺されたことや、幽霊になったこと。それは僕らの秘密だった。

 秘密にしたいと、狭山くんが望んだ。

 狭山くんは自分が死んだことも、幽霊になったことも知られなくないようだった。幽霊を信じる人は少ないかも知れない。だから、それはわかる。

「でもさ、警察には言ったほうがよくない?」

「死体もないのに?」

 それでは、警察は動かない。ただ、犯人を警戒させるだけだ。狭山くんはそう言った。

 だから、死んだことを秘密にしたまま犯人を探したいらしい。

 僕も一緒に探そうと思った。探したいと思ったけど、まるで役に立たなかった。僕の頭はほとんど飾りだ。

 大学でいろんな人に話を聞いて、手がかりのかわりに狭山くんの性格の悪さを再認識しかしていない。

 だから僕と言ったら毎日毎日あきつ屋に駆けこみ、数量限定の特選日替わり肉弁当を確保するだけの日々だった。

 そんなある日、商店街で知り合いと会った。

「坊ちゃん、帰りですか」

「あれ、はなちゃん」

 夕暮れ時の商店街だ。ここらは僕の地元だし、そう言うこともある。

 あきつ屋帰りの僕を見つけて、声をかけてきたのは花藤はなふじさんだ。うちの実家に、僕が子供のころから勤めている人だった。

「お嬢さんから聞きましたよ。大変なんだって」

「僕は別に大変じゃないよ。なんにもできないもん」

「お友達、いきなり行方不明ってねぇ……」

 花ちゃんはなにげないように、大きな手でひげの伸びかけたあごをざりざりとなでる。

 みんな花さんとか花ちゃんとか、かわいらしく呼んでるが、実物はいかつい。優しいけどいかつい。そしておっさんだ。

「あのタイプは、自暴自棄になっても一人で消えたりせんでしょう。こっちでも、なんかないか調べましょうか」

 出たよ。元刑事のピリッとしたとこ。

 このおっさんは、たまにこうやってどきっとさせる。ただのさえないおっさんだって油断させて、だけどなんでも知ってるんじゃないかって気にさせる。

 最初、花藤さんを花ちゃんと呼び始めたのは僕だ。あっちが僕のことを坊ちゃんと呼ぶから、それに反抗したつもりだった。

 だけど相手はノーダメージで、なんとなく呼びかただけが定着した。僕もいまだに、坊ちゃんと呼ばれる。とてもくやしい。

 なんだかんだと、花ちゃんと僕のつき合いは長い。だから、なんとなく思う。

 もしかするとたまたまじゃなくて、これを言うために待っていたのかも知れない。

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