狭山くんは幽霊になった
みくも
01 起
もう半月にもなるらしい。
僕はそれを、今日になって知った。
狭山くんが夢枕に立ったのは、その日の夜のことだった。
夢枕って言うか、ふつうに枕元にいた。
「君、頭がどうかしているんじゃないか」
僕はとっさに、やばいと思った。狭山くんのふとんを勝手に借りて寝てたから、それを怒っているんだと思った。
ふとんに寝転がる僕の顔を、狭山くんが枕元からのぞきこむ。薄暗く小さい電球がだいだい色に照らす中、顔が真っ暗な影になってて何だかとても恐かった。
この時の僕はまだ、狭山くんが死んでいるとは知らなかった。
*
大学に姿を見せず、アパートの部屋にも気配がない。そうなると、実家に連絡が行くものらしい。連絡を受け、狭山くんの保護者の代理と言う人が大学に現れた。
保護者の代理は男だった。ロボットみたいな、話の通じそうにない雰囲気があった。
「まぁ、父の部下の誰かだろう」
あとになって誰かわかるか聞いてみたが、狭山くんからは雑な反応が返ってきた。
狭山くんのお父さんの部下らしい保護者の代理はそれが当然と言う顔で、狭山くんの退学手続きを取ろうとした。そのことで、まっさきに悲鳴をあげたのは学長だ。
ひかえめに言って、僕はあんまり勉強ができない。ひかえめに言ってもあんまり勉強のできない僕を、受け入れてくれる大学だ。はっきり言おう、バカ大であると。
そして狭山くんは頭がいい。僕の知っている中で、一番くらいに頭がいい。その狭山くんが、僕と同じ大学にいる。
何をどう間違ったのか知らないが、バカの迷宮に迷いこんだ天才に逃げられては困る。
そう言って、学長は泣いた。
実際にはもうちょっと遠まわしな言いかたをしながら、保護者代理の高そうなスーツにすがりついて泣いた。小太りのおっさんが泣く姿は、ダイレクトだった。
僕も一緒になって泣いた。何しろ、僕の卒業とそのために必要な単位は狭山くんにかかっている。過言ではないとか、そんなレベルではない。間違いなく、かかっている。
泣いている僕と学長を、事務局長がいいぞ、もっとだ。と言う顔で見ていた。
大学中ひっくりかえすようにして僕を探し、学長室に連れてきたのは事務局長だ。確信があった。この時、僕と学長と事務局長の心はひとつだった。
僕としてはかなりいい話だと思ったが、聞いている狭山くんは全然うれしくなさそうだった。機械の心臓を持つ代理ロボでさえ、僕らの熱い訴えに心を打たれていたと言うのに。
その証拠に保護者代理は、もう一度話し合いましょう、と言って僕と学長を引きはがした。引きはがす時の顔は、ロボットのくせにちょっとだけ引きつっていた。
このチャンスを逃してはいけない。そう思い、僕は訴えた。狭山くんがこの大学で、どれだけあがめられ必要とされているか。
テストを受ければ問題の不備を正しく指摘し、満点よりも高い点を取る狭山くん。
不正だからと講義の代返は絶対やってくれないくせに、ほぼ百発百中のテスト問題回答集を販売して暴利をむさぼる狭山くん。
お金に困った学生がいれば、こころよく法外な金利で貸しつけてあげる狭山くん。そして債務者をぎっちぎちに管理して、端数まできっちり債権回収する狭山くん。
僕が肌を多めに出した女の人のおっぱいをガン見していいと言う夢のようなお店で莫大な料金を請求された時、恐ろしい顔で飛んできてくれた狭山くん。
言葉の暴力が意外に好きで、何だか一般人ではなさそうなおっぱいの店の偉い人と熱心に話し合いをしてくれた頼もしい狭山くん。
僕は、そんな狭山くんがとても好きだ。
テスト問題回答集のあたりからもう一度くわしく。と、どうしてだか事務局長が騒いでいたが、関係ない。それが狭山くんなのだ。
ここまで説明したあたりで、夢枕の狭山くんが頭をかかえた。
「何で全部言っちゃうんだ君は」
「狭山くんのすべてを伝えるのが、あの時の僕の使命だったからさ」
「収入源が……」
きりりとした顔で答える僕に、狭山くんは悲痛な声でぼそりとうめく。
だがしかし、そうまでして叫んだありったけの僕の愛は、保護者代理には届かなかった。と言うか、なかったことにされた。
ロボは冗談の通じなさそうなメガネを一回外して、目と目の間を指先でぎゅっと押さえた。そして「それはそうと」と話を変えた。代理ロボは冷徹だった。
大学側でもここしばらく連絡が取れていないこと。
保護者であるご両親の連絡にも応答がないこと。
こんな事態は過去に一度もなかったこと。
つまり狭山くんの適正から見て明らかにランクの低すぎるこの大学で、悪影響を受けたと考えられること。
狭山くんの捜索と保護はご両親から委託された自分たちが行い、本人を保護したのちはしかるべき、海外の大学にでも留学させる意向を受けていると言うこと。
そんなようなことを、つらつらと語った。
それは結局、狭山くんが僕らの前からいなくなると言うことだった。
そんなことは、絶対に嫌だ。
僕はロボに追い詰められて、泣きながらねーちゃんに電話した。
「君、頭がどうかしているんじゃないか」
だいだい色の薄暗い部屋の中で、最初に狭山くんはそう言った。
だけどそれは、僕の説明を聞く前だ。
狭山くんのアパートで狭山くんを発見した僕は、今日あったことを全部説明することからはじめた。
そして説明を受けた今では、もっと頭がどうかしていると思っているに違いない。
だって、畳の上にうずくまる狭山くんの顔は絶望っぽかった。
「お姉さん……お姉さんか……いや、解っていた。お姉さんがいるのは、解っていたんだ……」
うなされるようにぶつぶつと、狭山くんは姉を呪う。気持ちはわかる。この件で姉を呼んだのは僕だが、気持ちはわかる。
僕はあんまり勉強ができない。
僕の家族も、大体みんな勉強ができない。
だから、姉も学校の成績はよくなかった。でも姉は、生まれながらに最悪の性格と女王の才覚を持っていた。人を思い通りに動かすことが、天才的にうまかった。
いつもそれで泣いているから、できれば頼りたくはなかった。だが、しょうがない。
僕の電話で大体のことを知った姉は、すぐさま学長室に乗りこんできた。僕の実家と大学は、わりと近所だ。
姉は激怒した。政治はわからぬと激怒した。
弟の友のため、弟の卒業のため、そして実家の経営する会社に狭山くんをどうにかして入社させるため、ロボの横暴は見過ごせぬと気炎や毒霧をこれでもかと吐いた。
狭山くんのアパートは、ロボによってすぐにも解約されるはずだった。なのに今、そこに僕がいるのは姉の交渉した結果だった。
ロボは意外にあっさり引き下がった。僕にはよくわからないが、姉に逆らうと言う行為がロボット三原則にでも抵触するのかも知れなかった。
それとも狭山くんが見つかるまで家賃は姉が出すと言ったからかも知れなかったし、または僕を狭山くんの部屋に投げこんで、どうしても解約すると言うのなら弟のしかばねをこえて行けと叫んだからかも知れなかった。
姉のつき人をしている
いろいろとガタのきている古めかしいアパートの一室の、入口で仁王立ちする姉の姿はまるで鬼のようだった。
狭山くんがいないのに、半月も気がつかないなんてお前はバカか。と、姉は咆えた。これに関しては、僕もそう思う。
「狭山くんが戻ってくるまで、実家の敷居はまたげないものと思いなさい」
我が家の女王の言うことは、王様ゲームの王様の言うことよりも絶対だった。だから頭がどうかしてるとしたら、僕じゃなく、姉だ。
だけど、もういい。
僕の心がはればれとしていた。だって、狭山くんはここにいる。
ああ、よかった。
僕はこの時、そう思っていた。
「心配したよ、狭山くん。どっかいっちゃったのかと思ったよ。とりあえず、ねーちゃんに狭山くんいたって言っとくね」
「駄目だ」
ピリリとした声だった。
スマホに伸ばした指先が、思わずふるえるほどだった。ずっと前、狭山くんのお弁当からお肉を勝手に食べた時より恐かった。
「誰にも言うな。絶対に。お姉さんも、友達も。大学の人間も、全部駄目だ」
「……どうして? 狭山くん」
「殺されたからだ」
「え?」
「殺されたんだよ、俺は。誰かに。誰がやったのか解らない。……だから」
だから、狭山くんは幽霊になった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。