続々 ラスボスにならなかった男


「いいか、ハイデス。分かってると思うが、一年間、絶対に耐えろよ? 夫婦とはいえ、お前達を救うための形だけの婚姻なんだからな!?」

「分かってます。分かってますよ、父上」


 だから、肩に置いてある手の力、抜いてくれませんか。本気で痛いので。

 わたしだってこのような形でユリア嬢、いや、シュシュ嬢を娶るのは不本意なのだ。

 それでも、シュシュ嬢が言うように運命から逃れ切れてない可能性があったからこうして……。

 ああ、駄目だ。自分の不甲斐なさに落ちこみそうだ。



 本日はそのまま、皆で食事をし、男爵家で一泊し、明日帰る事となった。

 もちろん私は客間に一人で居る。

 自分の情けなさに、眠れないでいると、扉をノックする者がいた。


「はい?」

「ギルガメッシュです。少しよろしいでしょうか?」


 確かにシュシュ嬢の声のようだが……。

 そっと開けると確かにシュシュ嬢が立って居た。

 

「夜分遅くに申し訳ございません。中に入ってもよろしいでしょうか?」

「え? いや、でも」

「大丈夫です。母には告げてきましたので」

「お義母上殿に?」

「はい」


 ……なら、どこかで監視している者がいるのだろう。

 お義父上殿と違って、この結婚には納得していないようだったから。

 ……いや、それが当然なのだが。


「あ、扉は閉めてください」

「いやだが」

「わたくし達は夫婦ですから」


 ……外に、そう見せろ、という事だろうか?

 少しためらったが、扉を閉める。

 私が、自分自身を律すれば良いのだ。そうだ。

 私は理性の紐を硬く縛る。きっと大丈夫だ。


「ええと、出来れば広いところが良いのですが……」


 シュシュ嬢は室内を見渡し、「我が家は狭いですからね」と、呟き、「安全を取るならこちらでしょうか」とも呟いて、寝台の側に立った。

 何故そこに? と、私的には緊張が高まる。


「ハイデス様。こちらを捕まえてくださいませ」


 そう言ってシュシュ嬢が差し出したのは、まるで包帯のように彼女にぐるぐると巻かれた赤い布。

 胸から腰辺りまで、グルグル巻である。

 

「お母様の地方では、特殊な事情で結婚する事になった新郎新婦が初夜に行う儀式だそうです」

「初夜……」

「はい」


 私の言葉にシュシュ嬢は頷く。確かに今日は初夜だけど。


「……申し訳ございません。母に絶対に行ってこいと言われたのです。……お付き合いくださいませんか?」

「……分かった。それでこの布を持てばいいの?」

「いえ、引っ張って貰いたいのです」

「引っ張る?」

「はい。ぐるぐる巻きになっているだけで結んでいるわけではないので最後まで引っ張れるんです」

「そうなんだ」


 よく分からず、私はただそう返してしまった。

 その意味をもう少し理解しておけば……。


「では宜しくお願いします」


 両手を上に上げたシュシュ嬢を見て、私は言われた通り布を引っ張る。


「あ~れ~」


 と、言いながらシュシュ嬢は回る。

 変わった儀式だな、と思いながら私は布を引っ張り続け、シュシュ嬢は回り続ける。

 やがて、とさり、と何かが床に落ちる音と共に、赤い布は全て私の手元に来て、シュシュ嬢は……。


「ちょっと気持ち悪いです」


 ベッドに倒れ込んだ。

 それは当然だ。あんなにくるくると回ればそうなるのは当然なのだろう。だが、私は硬直している。

 正直動けない。でも目はシュシュ嬢に釘付けだった。

 シュシュ嬢の体にぐるぐると巻かれた赤い布を取れば、そこには、裸体に、前が大きく開いた夜着を纏った姿が、ベッドに横たわっているのだから。


 え!? いや!? 待ってくれ!!?


 硬直して動けない私。

 ベッドに顔を埋めているシュシュ嬢。

 やがて動いたのはシュシュ嬢だった。


「は、ハイデス様……。気持ちが悪いので、介抱してくださいませんか?」


 顔を真っ赤にしながら、シュシュ嬢が言う。


「と、殿方に、気持ち良くして貰うのが、この、儀式の最終的な、流れだ、と、母から聞いています、ので」


 恥ずかしいのか、それともまだ気分が悪いのか、途切れ途切れにシュシュ嬢は口にする。

 私はそれでも動けない。

 視線が、反らせない。

 肩からずれ落ちそうになっている夜着が、谷間を見せつけ、厚手のスカート部分は床に落ち、大事な部分は太ももで見えないが……下着を、はいていないことは……分かる。

 不味い。

 薄手の布だから、腰の細さが分かるし、足の美しさも……。いや、待て私。これ以上考えるな。見るな。見てはいけない。


 必死に顔を逸らす。


「しゅ、シュシュ嬢。私達は確かに婚姻はしましたが……、私としては、こういう事は一年後に、と」

「ハイデス様。やっぱりわたくし、胸が小さいですか?」

「何故そうなる!?」


 そんな話はしていません。と、思わず振り向けば、彼女は泣きそうな顔で私を見ていた。

 体を起こし、ベッドの縁に座りながら、ぎゅっと服を握り絞める彼女は、羞恥で顔どころか全身すら赤く染めているように見えた。


「殿方は、婚約が決まればある程度で、女性に恥をかかせないために、そういう事も練習するのだ、と聞きました」

「それは……」


 それは本当の事だ。だが……。


「ですが、幼い頃から婿入りが決まっている殿方は違うとも聞きました。婚家の色に染まるという事で、そのような事を行わず、妻となる当主と共に二人で学んでいく、と」

「……はい。そうです」


 おかげで私はこの歳まで、女性を知らないという事で、周りからは珍獣どころか幻獣扱いですよ。


「……わたくしもですが、母も、その辺りが、ハイデス様が邪神の依り代に選ばれたのでは、と考えました」

「……つまり」

「生け贄とかそういうのは基本は生娘とかでしょう? 殿方も同じではないか、と。このような形で結婚してまで、守りたいというのであれば、やれるべきところは徹底的にやるべきだ、とお母様はおっしゃいましたし、わたくしもそう思います」


 シュシュ嬢は立ち上がり、私の方に少しずつ近づく。


「は、はしたない真似をしているのは理解しています」


 私の目の前に立って、見つめてくる。その瞳に、私は……捕らわれたのだ。

 私達を救ってくれただけでなく……。私を、私の瞳をじっと見つめるこの瞳に……。


「あの、ハイデス様……」

 ---よいな! ハイデス!


 シュシュ嬢の言葉に、父上の理性を持てと幻聴が聞こえてくる。


「わたくし、あの……」

 ---わかっているな、ハイデス!


「…………抱いて……くださいませ……」


 赤く色づいた頬。潤んだ瞳で見あげてくる。

 もはや父の言葉は聞こえない。

 好きな女性がここまでしてくれているのに、手を出さないなんて、それこそ、失礼ではないか、と。私自身の心が囁くのだ。 

 彼女を抱きしめる。

 細い。柔らかい。良い匂い。

 唇も、柔らかい。

 甘い。

 体中が熱い。

 

「ハイデス様……」


 口付けの合間に、熱っぽい声で呼ばれたら、もう駄目だった。

 理性なんてものはあっさりと切れてどこかへと飛んでいった。

 彼女の望みを、そして私の欲を叶えた。

 知識しかない私は、何度も彼女に気持ちいいか、問いかけた。

 そしてその度に彼女は、恥ずかしながら答えてくれた。それがとても可愛くて、愛しくて、たまらなくて。

 自分に獣性というものがこれほどまでにあるのか、と思うくらい、彼女をむさぼった。

 朝陽の柔らかな光の中、自分の腕の中で眠る彼女を見て、沸き起こる感情を持て余す。 もっと抱きしめて、もっとキスをしたい。

 彼女の声を聞きたい。彼女にもっと触れたい。

 これが愛なのか恋なのかは知らないが、私はもう駄目だと思う。


「シュシュ……。シュシュ……。……私の愛しい人」


 君に捨てられたら、私は傷心旅行などには行かない。

 この世に未練など無く、神のみもとへと旅立つだろう。


「……ハイデス、さま……」


 ああ、起こしてしまった。

 いや、違う。起きて貰いたかったのだ。きっと私は。

 目が合って、昨夜のことを思い出したのか、頬を赤く染める君も愛らしい。


「シュシュには、私の瞳が美味しい飴に見えたそうだけど、今もそう見える?」


 いつもよりももっとずっと近くで、瞳を合わせる。


「……初めて会った時よりも、甘くて美味しそうに見えます」

「ははっ。なんだったら、舐めて確かめてみる?」

「ふふ。ハイデス様は本当にさせそうだから遠慮します」


 その代わりとばかりにこめかみ辺りに彼女はキスをしてくれた。

 

「それに甘くない事はわかってますもの。涙は塩味だといいますし。あ、そうです。ハイデス様」

「ん?」

「パンケーキ。パンケーキならどうでしょう? 塩バターをたっぷり塗って、その上から蜂蜜をたっぷりかければそれっぽくなるかもしれません」


 目を輝かせて紡がれた言葉に私は思わず笑ってしまう。


「くっはは! それで私の目に見立てたパンケーキを甘く美味しく頂くの?」

「はい……その積もりでしたが、もしかして悪趣味でしたでしょうか?」

「いや、いいんじゃないかな?」


 ごろり、と彼女の上に覆い被さる。


「私もたっぷりと甘い君を頂くのだし?」

「え? あの?」 

「子が出来たら、きちんと責任を持つから、もう一度いいよね?」


 もはや理性なんてボロボロにすり切れ、ほつれた糸よりも脆い。

 かわいい彼女を前に、我慢なんて出来るはずもない。

 彼女の返事を待たずに口付ける。

 彼女の理性もドロドロに溶かして、私が居ないと生きていけないようにしてしまいたい。

 その後もたっぷりと愛を育んだ私は、まぁ当然、父上にバレ、叱られた。

 男爵家側からは、時期的におかしい頃に子供が出来たら、私達の子とするから連れておいで、と暖かくも、遠慮したいお言葉を頂いた。

 私と彼女の子だ。

 喩え私がゲスと言われるような事になっても、私達の手で育てたい。




 帰りの馬車。私はシュシュの隣に座る。


「シュシュ。馬車で体は痛くないか? 私の膝に座るか?」

「ふえぇ!?」

「お兄様?」

「さぁ、おいで」

「い、いえ! 大丈夫です!」

「そんな冷たい事をいわないでくれ、私のシュシュ」


 こめかみや頬にキスをし、耳元で囁く。


「あ、あの!? る、ルビアン様もいらっしゃるので、そろそろ」

「大丈夫。妹は新婚の二人を邪魔をしたりしないよ」

「しますわよ! 普通に! 目の前でチュッチュッしないでくださいませ! お兄様、頭のネジがどこかに飛んでいきました!?」

「ああ、そうだな。飛んでいったかもしれない」


 シュシュの細い腰に腕を回し、私の膝の上へと抱き上げる。

 シュシュのカワイイ声が上がる。

 ああ、細い、柔らかい、良い匂い。


「お兄様。いい加減にしないと、魔法をぶっぱなしますわよ」

「ほう? この私に魔法戦を申し込むと、面白い」

「お二人とも喧嘩は駄目です~~!」


 と、まぁ、楽しい帰り道だったのだが。

 ちょっと浮かれすぎて、私一人先に馬で帰らされた。皆酷くないかな?

 シュシュの為に、さっさと爵位を取って、屋敷を買って整えろと言われたら嫌とは言えないが。

 ああ、一年後の披露宴のためのドレスも用意しなくては。誰もが羨む式にしたいが、何よりも彼女の望むものにしたい。

 いや、それよりも。婚約者として周知するのが先か。どこかの夜会に出るとするなら夜会用のドレスもアクセサリーも必要だな。

 私の色をふんだんに使った物を贈ってもシュシュは嫌がらないだろうか。

 前の女と比べるのは嫌われるとは言われているが、比べるつもりはなかったのに、シュシュがあまりにも違い過ぎて、内心笑うしかない。


 こんな事、元婚約者は許さなかった。シュシュはなんてかわいいのだろう、と。


 元婚約者も私の事が嫌いで無理をしていたのだろうが、そんな相手に対し、私もそれなりに無理をし、自覚しないようにしていたらしい。

 私のために、と、してくれる彼女が愛おしくてしかたがない。


 どんなドレスを用意しようか、イヤリングやネックレス、指輪だって欲しい。ブレスレットもいいかもしれない。

 ふむ……。資金調達にちょっとドラゴンでも狩ってこようか。

 そんな事を思いながら私は馬を走らせた。









 風を切る様に馬を走らせる彼の瞳が、あの日から少しずつ、赤みが増し、金からオレンジといえるような色にゆっくりと変化している事に、まだ誰も気付かない。


 ユリアース・ギルガメッシュ。


 これは、英雄令嬢と噂された彼女が、婚約破棄に絡められた運命を壊し世界を救った。そんな物語である。


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噂と婚約破棄 夏木 @blue_b_natuki

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