七夕の宵に
汐凪 霖 (しおなぎ ながめ)
あなたを想う、星の橋のたもとで
結架にとって記念日というものの価値は、それほど高くはない。思い出したときには大切に想い心が浮き立つが、気づくと当日は過ぎているといったようなものだ。かつては一日一日が大切で、高まる願いが壊れる瞬間の訪れることを恐れていた。そのころから、特定の一日を大切にするよりは、今日の一日を大切にする意識が当然になっている。ただ、大切な人の誕生日は別であるが。それを考えると、今は記念日に対して無頓着でいるが、今後はどうなるか分からない。そう呟くと、集一が笑みを浮かべて、
「いつか僕たちに子どもが生まれて成長していったら、記念日やイベント日がどんどん増えていくよ」
さらりと涼やかな声で言うのに、結架は顔を赤らめる。あまりに自然な声のなかに含まれた、注意しないと見落としてしまう配慮。それが判る結架は、ただ、無神経な発言とは思わない。けれど。僅かな羞恥に、いつもどこかにある悲しみ。それでも未来を期待してしまう心がある。
彼女の返事を待たず、ふと彼は壁のカレンダーを見やった。
消灯した室内は暗いので、その数字は目視できないのだが。
「そうか、今日は七夕か……」
このところ慌ただしくしていて、忘れていた。
それでなくとも、子どもの頃ならば、笹飾りを作って短冊を書いてと日常の行事のひとつに染み込んでいたものだが、長ずるにつれ、そうした風情ある節句の習わしから遠ざかってしまっている。せいぜいクリスマスにケーキやチキンを食べたり、バレンタインデーにチョコレートを贈ったりするくらいの日本人が多くなっているだろう。他国の祝祭を自国の文化にしてしまう、日本ならではな現象だ。おおらかに受け入れつつも実は取り込んでいるというところが、なかなかに侮れない。
「七夕……」
結架が目を見開いた。
「そういえば、ヴェローナで出逢ったのは、七夕の日だったのではなかったかしら?」
柔らかな髪をすくいあげて、ひんやりとした艶やかな感触を愉しみながら、少し捻った言い回しで答える。
「ヴェネツィアで初めて逢ったのも、七夕だったよ」
「えっ?」
吃驚したあまり、彼女が身を起こす。
「だって、慥か、あのときは……八月……だったでしょう?」
楽しげな笑い声を軽く響かせる集一が、腕を伸ばして結架を引き寄せ、自分の胸に迎え入れた。そうして結架が正解を口にするのを待つ。しかし、彼女は暫く考えて、溜め息を
「教えて。どういうこと?」
なめらかな背中を手のひらで愛でつつ、集一は目を閉じた。
「あの日は八月一六日だったんだ。つまりは、旧暦の七月七日だね」
「本当に? どうして覚えてるの? それとも、その年の その日が新暦と旧暦でいつになるのか分かるの?」
こんなにも無邪気に はしゃぐ彼女は珍しい。
何かを誤魔化すかのような。
「うん、どうしてだろうね……」
「意地悪なさらないで。じゃあ、今日は旧暦でいつなのか教えてちょうだい」
「うん、いつだったかな……」
「まあ! じゃあ、あの日が七夕だとは覚えていたのね?」
「少なくとも、確かにね。面白くないかい? 僕たちが長く会えなかった後に再会するのは、決まって七夕なのかもしれない」
「ええ、面白いわ。でも、これからまたそれを試そうとは思わないけれど」
注意深い解答に、集一は笑ってしまう。
「僕も試したいとは思わないよ。どのくらいの期間を空けたら、七夕に再会するのか。なんて、確かめたくもならないからね、断じて」
結架も笑い出した。
「そんなの、生涯わからないままで構わないわ」
この温もりから離れてまで知りたいことなんて、きっと何も無い。
意見の一致を得て、二人は一緒に星空を見上げる。
そうして思い出すのは、きっと、同じ人物だろう。
流れる星の先に佇む姿を思い描く。
浮かぶのは複雑な感情。
そしてきっと、生涯、忘れないだろう。
この幸福を維持する努力を続けていくのと同じように。
よろこびとともに会おう
かぎりなく愛しい人に
この胸の奥はかくも満ち足りて
──『安心して。絶対に、あなたは守るわ』
──『星々は地上で見るからこそ美しいのだ。愛する人とともに眺めるからこそ、光り輝く』
──『だから、ありがとう、集一くん。結架くんと再会してくれて』
そうして過去と現在とが繋がり、絡み、縺れ合いながらも、未来へと進んでいくのだ。
七夕の宵に 汐凪 霖 (しおなぎ ながめ) @Akiko-Albinoni
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