ノーゼンハレンの兄妹〜2

 村の南東方面へと広がるように黄金色が風に吹かれて揺れ動く。アルフォンスが麦畑に足を運んだのは、いつも朝食を終えた後には忽然と姿を消すルナティアがこの辺にいると思ったからだ。

 既に農作業に取り組む村人達へと軽く挨拶をしながら周辺を歩いてまわれば、道中で作物が荒らされている個所が目にとまり、朝食時にした話が思い出される。


「……これは確かに頭を抱えたくなるよね」


 収穫を控えたこの時期に農地が荒らされれば、領地に納める分だけでいっぱいいっぱいで村での蓄えが不足してしまう為に村人の生活も厳しくなる。もちろん農地を荒らす獣を狩ればいいだけなのではあるが、アルフォンス達の母も含め村で狩りをすることに慣れている大人達が不在の為、生憎と狩猟をする人手が足りてないのが現状。

 現時点で村にいるのは、武具を扱い慣れていないような農民と老人に子供、まだ成人前で村の警護をしている幾人かの若手くらいであった。そうなると、農地に獣が多発すると若手達はそちらに対処する事が多くなる為、つまりは狩りの為に森へと行ける人員が当然不足しているのである。

 そのような村の現状でアルフォンスが危惧している事はといえば妹のことで、気づけば何か危険なことをしでかしそうな気がしてならないのだ。


「おはようございます。ラブナさん」

「おや、アルフォンス君、おはよう。君が農地に来るなんてめずらしい」


 今朝方に来訪してきた農夫のラブナは一見すれば穏やかな人柄である。村の農夫達を統率する立場であり、村長の血縁でもあるため村での信頼も厚い。そんな立場だからこそ村の事も、当然ながら農場での情報にも精通している。


「ええ。妹がこの辺りにいるんじゃないかと思って。ラブナさんはルナを見ませんでした?」

「なるほど。ノーゼンハレン家のお転婆お嬢様をお探しなわけか。ん~、しかし困ったね」


 はぁ、と小さくため息を吐き出してアルフォンスは顔上げた。「つまり頼み事は何ですか?」と口に出せば、それを待っていたとばかりにラブナが口元は歪めた。


「いや~、アルフォンス君は察しがいいから助かるよ。――困ったことと言うのはね、君も知っている事とは思うけれど収穫前のこの時期に獣から農地を荒らされる頻度が増しているんだよ。もちろん追い払えるぶんにはいいんだけど、中には手のつけられないのもいたりしてね。うちの爺さん同様に怪我させられた者もチラホラいてさ、農夫にとっては自身の怪我や家畜の被害なんかも一大事なんだよ」

「そうですよね。でも、流石に狩りなんか無理ですよ? ……僕は兄さんと違って剣も狩りの技量だって大したことないし」

「おや、そうなのかい? エリクバルト君ほどとはいかなくても君も武には優れていると村の若手達から聞いたんだけど」


 ため息がでる。アルフォンスは首を横に降った。ラブナは情報通ではあるがそれは間違っていると言わざるおえない。確かに村の子供達の中ではそこそこに武器は使える方ではあるのだが、あくまで子供の中だけでの話であると思うのだ。兄に関していえば別格なだけだ。


「そりゃ兄さんは幼い頃から別格ですし、僕も母さんには武器の扱いなんかを教わりましたけど……、僕の場合はあくまでも子供の域をでませんよ? 村の若手の話としてもまだ彼らも幼かった時ですし、今も彼らと試合したとしても練習にすらならず負けちゃいますよ」

「……確かにそうかもしれないね。……はぁ、仕方ない。やはりエルサさん達が帰ってきてから頼むことになるな。森の周辺はエリクバルト君が優先的に警戒してくれる事にはなっているとはいえ、やはり他の場所までは手がまわらんだろう……」


 最後は独り言のように呟き、ラブナは困ったように肩をおとしてしまった。村にとっては困った問題ではある。しかし、こればかりは子供であるアルフォンスにはどうする事もできない事だろう。


「それでラブナさん、妹を見ませんでしたか? 母さんが不在なことを良いことに何かやりかねないから……」

「うん? ――ああ、そうだったね。 ルナティアちゃんなら君の考えているとおりこの辺りにいるはずだよ。でも驚いたよ。女の子なのに麦畑で隠れて木剣を振り回しているみたいだからね。流石に年端の行かない女の子だし、獣を追い払うような怪我するような事は頼れないけれど」


 アルフォンスは眉根を寄せた。「やはり」といった思いだった。

 頭を抱えたくなるような気持ちで、ラブナにお礼を言ってその場を後にした。



 ラブナの元から立ち去ってから時間をかけずにアルフォンスがルナティアを探し当てるのに時間は必要としなかった。

 背の高い小麦を掻き分けた、まるで獣道のようなそれを目にしてアルフォンスはすぐに小麦を掻き分けてその道へと足を踏み入れた。おそらくはこの先に妹がいるのだろうと確信と言っても違いない。

 黄金色の小麦を掻き分けて進めば案の定、木剣を振り回す少女の姿がそこにあった。

 アルフォンスがそれを目にした時には、少女が手にした木剣は鋭く空を切る音をたてて頭上へと振り下ろされている最中であった。


「――うッ⁉︎」

「――えッ⁉︎」


 ゴッ、と音が聞こえた。その音が耳に届いた時には、アルフォンスの左肩に痛みが走る。


「……ッ!」


 声にならない痛みに肩を庇い、がくりと膝をついた。そのまま疼くまるようにしてズシリと続く痛みに悶え、奥歯を噛み締めるしかない。――ただ、最初は驚き固まっていたのであろうルナティアの震えた声が微かに聞こえていた。


「あ……アル? ごめ……わたし……ごめんなさい」

「ぅ……っ、……く」


 アルフォンスにとって家族は大切な存在だ。妹の震える声が聞こえる。アルフォンスは、一度大きく息を止めてから吐き出した。ごく単純な思いだ。妹に自分は平気だと示さなければならない。

 顔を上げて、なるべく平気に見えるよにニコリと笑う。肩から腕にかけて痛みが走るので当然ながら、アルフォンスの顔が引きつっているのは間違いない。なぜなら、ルナティアの泣き顔はちっとも晴れていないからだ。


「ルナ、僕は平気だよ。もう……痛くないから」

「……アルは嘘が下手」


 すっと膝をついたルナティアがアルフォンスの肩に手を伸ばし優しく撫でた。

 ルナティアが優しく撫でると、途端に痛みが和らいでいった。だが、アルフォンスは顔を顰めざるえない。


「……平気だと言ったのに」


 母言わく『――神の恩寵――』である。ルナティアが生まれ持っている特別な力であるとアルフォンスは聞かされているが、人の身に余る力は無闇に行使するものではないとも聞かされている。今は良くとも後々にその代償を払う日が来るかもしれないし、望んでもいない災いを引き寄せてしまう力であり、これも母親からは禁止されていることでもあるのだ。

 母言わく、ルナティアだけではなくエリクバルトも同じ力を持ってはいる。だが、アルフォンスが知る限り彼がその力を使用することはただの一度も見たことがなかった。

 優秀な兄のことだ。母の教え破るようなことはしないのだ。


「ルナは母さんの言いつけを破ってばかりだ。その力は使わないように言われてるはずだろ?」

「いいの。アルが痛いのは嫌だから」


 やれやれ、とアルフォンスはこめかみを抑えた。自らの為に言いつけを破った事は見てわかるのだから。とはいえ、それとは別に問い詰める事はある。それはそれ、これはこれ、ということだ。


「じゃあ、それに関しては目を瞑るよ。ありがとう。――それで? こんなところで隠れて剣の鍛錬をしているのは何故なの? ルナは女の子なんだから母さんにダメだと禁止されてたと思おうけど?」

「それは……」


 ルナティアはバツの悪そうに顔を背けて唇を尖らせる。その横顔を見つめつつもアルフォンスの琥珀色の瞳は妹を逃しはしない。

 チラリと盗み見る翡翠色の瞳がアルフォンスの顔色を窺うようにしていた。


「ルナはいずれ結婚して男の人を支えてゆく淑女になるんだから、武を振るう事はないよね?」

「……私、家族と離れたくない。女らしい身の振り方なんて……そんなの望んでない」


 その言葉以降は口を開かなくなったルナティアを見つめ、アルフォンスも口を閉じた。

 妹が家事を嫌がるのも、母の言いつけを守ろうとしないのも、つまりは妹なりの抵抗であったのだろう。とはいえ、それに関してアルフォンスにはわからない。故に本人が望んでいようがいまいが、賛同も反対も口にはできないのだ。


「……僕には、ルナの望みが正しいか間違ってるかなんてわからないよ」

 むぅ、と頬を膨らませるルナティアの手を取りアルフォンスは歩き出す。黄金色の麦を軽く掻き分けて村の南口へと向うのだった。

 


 村に戻ったアルフォンスはパン屋で焼きあがりのパンを幾つか受け取り、ルナティアを連れて小高い丘の上にある我が家へと歩く。


「アルはさ、この先どうするの?」

「うん?」


 香ばしい焼き立てパンのいい匂いに顔を埋めていたアルフォンスは、その問いかけに顔を上げて妹を見た。


「エリク兄さんは、いずれノーゼンハレンの家を継いで跡取りになる事は決まってるもの。――アルは? どうするの?」


 アルフォンスは翡翠色の瞳からそっと目を逸らして村を見下ろした。まだ昼時を少し過ぎた頃あいの為か陽が村全体を照らし出していた。


「……さぁ。わからないよ、先のことなんか。村から出て領内で少しばかり大きな街へ移り住むか、この村の誰かと縁でも結んで農夫として生きるか……。僕はどうするかまだ決めてはいないんだ」


 ノーゼンハレンの家の子ではあるが、後継ではないアルフォンスはいずれ身の振りを決めなければならない。

 アルフォンスにとって、先のことを考えれば考えるほど頭が痛くなることだった。


「――あ」


 隣で同じように村を見下ろしながら歩いていたルナティアが足を止めた。アルフォンスが妹の視線の先を追って村の外を見れば、森を抜けて村へと続く道へと向かってくる荷車を馬車に連結させたものと、それを先導する馬が二頭。やや小高い丘の上に位置するがゆえによく見えた。

 同時にウジウジと悩み沈んでいた気持ちが高鳴った。


「母さんたちが帰ってきた。ルナ、一度家に荷物を置いたら急いで迎えに行こう!」


 アルフォンスが弾んだ声で妹の方へと顔を向ければ、ルナティアはニカっと笑顔で応えてくれる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神殺しは世界を救わない 神之億錄 @gamino0969

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ