ノーゼンハレンの兄妹

 陽の光が射し込むと、ちょうど瞼の上を刺激する位置に寝床がある。

 眠たい目を擦りながら起き上がると大きな欠伸をし、それから薄毛の毛布を脱ぎ捨てながらベッドから降りて窓を開け放つ。それがアルフォンス=ノーゼンハレンの一日の始まりだ。

 開け放たれた窓の向こう側から聴こえる野鳥の囀りと、丘の下にある村の方から聞こえてくる家畜達の朝を知らせる声。


「!」


 それらに混じって風を裂くような音が聞こえてくる。チラリと音のする方へと視線を向ければ、木剣を用いて何もない空間を鋭く切りつける青年の姿がそこにある。

 陽の光を受けた髪がきらりと反射して輝きを放つその姿には、どこか神々しさすら覚えてしまう。


「おはよう、アル」


 アルフォンスはしばらくその姿をジッと見つめていたが、自らに向けられた視線に気づいた当の本人が手を止めてこちらへと声をかけてきたので、アルフォンスも挨拶を返した。


「おはよう、兄さん。今日も早いね」


 神々しいほどの眩い黄金色の髪、宝石のように美しい翡翠色の瞳。一つ歳の離れた兄であるエリクバルトは柔かに微笑み返す。


「ああ、鍛錬の時間は少しでも確保できた方がいいからな。アルもやるといいよ」

「いや、僕は……いいよ。朝はゆっくり寝てたいし」


 兄のエリクバルトは幼い頃より村の子らの中でも飛び抜けて剣術が秀でていた。今では村の警護を担う大人達を含めた中でも彼の相手が務まるものは少ないかもしれない。それゆえノーゼンハレンの次男であるアルフォンスにも兄と同様の期待が村人達から向けられるのであるが……、アルフォンスとしては剣術は得意であるとはいえない為にその期待は嬉しくも何ともない。

 苦笑しつつ兄からの誘いを躱したアルフォンスは、窓から離れようとした。その背に声がかかる。


「あ、そうだアル! ついでにルナも起こしてくれ。もう少ししたら俺も朝の日課も終えるから朝食にしよう」

「わかったよ。じゃ、先に朝食の準備をしておくよ」


 手をヒラヒラと振り、兄へと返事を返す。それから踵を返して部屋から出ようとしたものの、アルフォンスはすぐに足を止めた。

 自らが先ほどまで眠っていた寝床へと視線をむけ、やれやれとため息をついた。


「……いいかげん、僕のベッドに忍び込むのはやめてよね」


 目を覚ました時には気づかなかったが、アルフォンスの脱ぎ捨てた毛布の隣にもうひとつ毛布があり、それが小さな小山を作っていた。リズム良く上下に浮き沈みするそれはモゾモゾと動いたかと思えば動きを止めてリズムの良く上下に浮上しては沈み込む。

 アルフォンスは、毛布の小山に手を伸ばして左右へと揺すり動かした。


「……んん……?」


 アルフォンスが揺り動かした毛布の山は、再びモゾモゾと動きはするものの一向にその姿をみせることがない。

 仕方なく毛布の一部をめくりあげればそこに少女の寝顔があった。窓から射す朝日に照らされた少女の髪がキラキラと反射して美しく輝き、眩しそうにうっすらと開かれた両の瞼から覗く翡翠の宝石が綺麗だった。


「――……ッ……眩しい……」

「それは朝だからね。ねぇ、そろそろ起きてよ、ルナ」


 アルフォンスは、再び毛布に身を包めた少女の体を揺すった。しかし、この妹は一向に起きようとはしない。そればかりか、またもや頭の上からすっぽりと毛布を被ってしまい猫のように体を丸めてしまった。

 妹といっても歳はアルフォンスとは変わらない少女。名はルナティア。幼い頃より仲良く一緒に寝ていた為かお互い十一歳もの年齢にもなった今でも時折こうしてアルフォンスの寝床に潜り込んで寝ていることがある。それから妹は朝が弱く毎度こうしてアルフォンスが起こしても毛布に包まって抵抗してくる。

 アルフォンスは小さく溜め息をもらす。


「もう! 朝食食べ損ねても文句言わないでよね!」


 その言葉に反応するように、びくりと身を震わせると、まだ眠気の覚めない声が毛布の内から返ってきた。


「……アルは……すぐ、意地悪……言う。母さんに……言いつけ……るんだか……ら」 

「…………僕、先に朝食の準備してるから、ちゃんとルナも起きてきてよね」

 やれやれと首を振ると、アルフォンスはそのまま部屋をあとにした。





 離れにある家畜小屋で鳥の産みたての卵を回収し、村の市場で買ったパンと、昨夜に食べた小豆のスープを温めなおす為に薪を焼べていると、ようやくお寝坊さんの妹が起きてきた。

 チラリと横目で妹の様子を見ると、アルフォンスが薪に火をつけているのを椅子に腰掛けて眺めながら「お腹すいた」とばかりに両の手にはナイフとフォークがしっかり握られていた。


「あのさ、そうやって食べ物が出てくるのをじっと待ってるよりも、一緒に準備した方がその空腹も早く満たされると思わない?」


 日常的なことではあったが、ルナティアは料理に関しては全く手伝わない。料理をするのは主にアルフォンスと、たまに兄がやってくれるくらいなものだった。育ての母親に関しては外での仕事が多く、家事全般に至って当初はしてくれていたものの今では全く手をつけてない。

 それが当たり前になってか、アルフォンスと兄くらいしか料理はやらないものだから、妹は手伝いもしないのかもしれない、とアルフォンスは思っていた。そして、それに関してを家族の誰もが指摘しないのでアルフォンスもこれまで黙っていたのだが、しかし、言われた当の本人は不思議そうに二度三度と瞬きをしてはヘラヘラと笑みを浮かべる。


「んふ、アルぅ~。可愛い妹に料理を振る舞うのも今のうちだけだぞぉ~?」

「なんだよそれ。ルナも簡単な料理くらいできなきゃ誰も嫁に貰ってくれないよ?」

「ああ! またそうやって意地悪言うんだから! 妹には優しくしなきゃダメなんだからね!」


 くつくつと温まってきたスープをかき混ぜ、続いて鉄鍋に卵を割り入れれば心地よい音が鳴り響く。


「ほら、僕が卵を焼いてる間にルナがパンを切り分けて」

「むむ……」


 しぶしぶといった様子でカゴの中のパンを切り分ける妹を横目に、投入した卵が焦げないように気を配りながら料理を続けるアルフォンス。

 綺麗に焼き上がった卵の料理をテーブルの上の木皿にならべたと同時に、兄のエリクバルトが外から戻ってきたので、三人は席につくと祈りを捧げて朝食をとりはじめる。


「やっぱりアルは卵を焼くのが上手だな。俺なんかすぐ焦がしてしまうからな」

「きっと兄さんは火が強すぎるんだよ。僕も最初は焦がしてばかりだったけど、火を調整したら上手くいくようになったから」


 「そうか」と兄は微笑み頷き、アルフォンスの隣では妹が満足げにパンを頬張る。いつもの朝の光景だけれども、なんだかんだとこの幸せをアルフォンスは気に入っている。


「そういえば最近、農地が荒らされる頻度が増してるみたいだからアルとルナも気をつけたほうがいい」

「そんなに森から獣がきてるの? 収穫時期に支障が出るし、あんまり被害が多いと困るよね」


 アルフォンスはスープを口に運ぶ手を一旦止め、目の前に座るエリクバルトを見た。


「ああ、この所は特に多いみたいだな。昨日なんて獣を追い払おうとしたラブナさんの爺さんが怪我してさ。……アルの言う通り収穫期に収穫できなくなることになったら村の生活が苦しくなるわけだし、困った問題だよ」


 頬杖をつきながら話す兄のエリクバルト。アルフォンス達と歳は大差ないが、彼はこの家の当主である母親が留守の際は、代理として村の警護に参加していた。まだ成人を迎える前の少年ではあったが、飛び抜けて文武に優れている事も理由ではあるが、母親に連れられて村の警護や狩りなどにも参加している為に村の若い衆からの信頼も厚い。もちろん、アルフォンスも最初は一緒に参加させられてはいたが、今ではそういった事もなくなっていた。三人の中で唯一の女子であるルナティアに関しては、アルフォンスと同じくそういった事には参加していなかった。いや、本人の意思に反して関与させないようにされている、が正しい。

 おそらく、アルフォンスが何も言われなくなったのはルナティアが駄々をこねて納得しないからだろう。だから、平等をきす為……いや、目を離せば男の子のように剣を振り回したがる彼女を見張らせたい為なのかもしれない、とアルフォンスは考えている。


『――エリクバルト君、ちょっといいかな?』


 戸口を叩く音と共に外からエリクバルトを呼ぶ声が家内に響いた。エリクバルトは頬張ったパンを水で流し込むと席を立ち、朝早くからの来訪者の元へと向かった。

 おそらく、村の誰かであることはわかる。時折、頼み事をするためにこの家にやってくる村人は少なくない。元々は王都所属の騎士であった三兄妹の母は、村人から絶対的な信頼を得ているののだ。もちろん、その元騎士が不在であってもノーゼンハレン家の嫡男も村人達からの期待は大きい。


「今の声はラブナさんかな? ――てことは、また農地が獣に荒らされたのかな?」


 アルフォンスは目を瞬き隣に座る妹へと顔を向けた。


「よくわかったね?」

「わかるよ。だってよく麦畑で挨拶するもの。お爺ちゃん怪我したっていうし、大丈夫かなぁ……?」


 隣で心配そうにしているルナティアを見つめ、アルフォンスは「はて?」と首を傾げた。――何故、麦畑に? ――と。


「……ルナ、もしかして麦畑で隠れて何かしてる? ……たとえば、母さんに禁止されてる事とか?」

「ふふん。 乙女のプライバシーに首をつっこむのは感心しないよ?」

「…………」


 何処吹く風といった様子で食事を続ける妹。アルフォンスは小さくため息を漏らしたのだった。

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