神殺しは世界を救わない

神之億錄

魔獣討伐編

序章

 東の森が焼かれた。森の民が住まう村里を巻き込んでの隣国の侵略だったと聞く。

 今なお僅かな火の手の残る木々を避けながら、二人の幼子おさなごを伴って女は歩いた。

 女の名はエルサという。二人の幼子は自分が腹を痛めて産んだ子ではなかったが、事情があって親代わりとして育てていた。

 エルサは歩きながらも、時折振り返っては二人の子がついて来れているかを確認する。

 二人の子は兄妹で、しっかりものの兄が妹の手を引いて歩き、なんとか大人の自分に置いてかれないようついてきているようだった。エルサは時折立ち止まっては幼子らが追いつくのを待った。


 森へ立ち入る前に出会った商隊の野営地にて馬と一緒に預かってもらおうかと思ったが、しかし、幼子達は頑として首を横に振った。そのうえ野営地の商人も困り顔であり、なおかつ野盗に襲われても責任は持てないと言うので仕方なく。


 幼い兄妹はエルサに追いつくと、安堵したような顔をし汗だくの額を拭いながらニコリと笑みを向けた。二人とも眩しいほどの金色の髪色だ。


「少し休む?」


 エルサがそう聞けば、幼子の兄は妹の顔を覗き見た。すると妹の方は一生懸命に首を横に振り、それを確認した兄も続いて首を横に降った。


「……そう」


 別に置いて行ったりはしないが……、と思いはしたがエルサは背を向けて歩みを続けた。自分も子らの親代わりになってからまだ日が浅いのだ。どうすればいいのかが判らなかった。

 しばらく歩くと木々の燃える匂いに混じり、これまでとは違う匂いが鼻をついた。血と煙の混じり合うずいぶんと懐かしい匂いだ。エルサ顔を顰めた。

 チラリと後ろを歩く幼子の兄妹にも目を向ければ、二人とも同様に顔を顰めて手で鼻を覆っていた。

 歩みを続ければ続くほどにその匂いは強さを増し、煙の量も比例して多くなった。

 どんどん視界が悪くなる中で後ろをついてくる子らを見失っては事である。エルサは仕方なく詠唱を唱えて小手を振るうと、目の前の煙は一瞬で霧散した。

 煙が霧散すると、そこに映るのはかつて里であった場所であった。目の前に映るその光景は悲惨なものであった。農地は荒れ、家は焼けくずれ、そこら中には戦争で死した兵や、里の人々の無残な死体が多く転がっていた。


「母さん……」


 弱々しい声が聞こえると共に衣服を引かれた。視線を落とすと幼子の妹の方が不安と恐れを交えた顔をしてエルサの衣服を掴んでいた。兄の方は幼くも事を理解しているのだろう、妹と同様の表情をしてはいるが、小さな拳を握りこみながらも目の前の現状から視線を逸らさない。

 まだ危険があるかもしれない、と壊滅した里の周囲へと視線を走らせたが、既に兵などは引き上げているようであった。


「生きている者は、既にいないかもしれないけど……、私から離れないで」


 少女の小さな頭に手を置き、兄妹にそう告げれば二人はコクリと黙って頷いた。

 パチパチと聞こえる残火の音と血煙の匂いだけがその空間を支配していた。

 エルサはゆっくりと歩を進めた。周囲に警戒をしつつも戦禍の状況をその目で見て歩いた。

 こんな状況でも生き残っている者がいればと足を向けてはみたものの……、そんな些細な思いは戦禍を見て失われていた。エルサは小さく溜息をついた。


「……悪かったね二人とも。もう引き上げ――どうしたの⁉︎」


 もう意味はないと、引き上げようとしたエルサは足元に目を向けた。足元にピタリとくっ付いていた幼い少女が、繰り返し衣服を引っ張りながら頻りにある方向を指で指し示していた。エルサは少女の指差す方へと視線を向けた。


「……?」


 視線の先、焼け崩れた家の残骸を挟んで向こう側に微かに小さな人影が映っている気がした。

 エルサはゆっくりと、息を殺しながら、そこへ向かって歩いていった。生き残りの者か? もしくは、残党狩りをしている兵かもしれない……

 腰の剣に手をかけ、燃え崩れて炭となった家の成れの果てであるそれを避けて近づいた。


「!」


 が、エルサはぴたりと足を止めた。

 血肉が焼かれ、咽せるような匂いが煙と混ざり合う中で、まだ幼い少年が座りこんでいた。傍らには父親だろうか? 身体の半分以上が焼け焦げ、左胸には短剣を突き立てられた男の屍が横たわっていた。

 エルサは少年を眺めていた。それはほんの僅かな時間でしかなかったが、背後の気配に気づいた少年はぴくりと体を微かに震わせた。


「そこの遺体は父親なの?」


 気づかれたのならば、とエルサは少年に歩み寄った。剣の柄から手を離し自らに敵意も危害も加える気がない事を証明するために、両の手を軽く持ち上げた。

 まだ二人の我が子と同じくらいの幼子だった。珍しい漆黒の髪色と琥珀色の瞳。

 少年はエルサを見上げていた。身動きはせず。ただじっと。それは静かな警戒なのか、それとも……既に心が壊れてしまっているだけなのか?

 そんな事を思いながらエルサも少年の瞳からは目を逸らさなかった。すると――黒髪の幼な子は首を小さく横へと振った。


「……そう。じゃぁ、あなたとは赤の他人ってことね」


 しかし、少年は再び首を横に振った。どうやら、これも違うらしい。エルサは小首を傾けた。


「……」

「…………」


 少年は琥珀色の瞳をエルサから逸らした。ただ、その瞳には何も映らない……光もなく一点を見つめていた。もう、何の反応も示さなそうであった。

 そこでようやくエルサは理解した。……あぁ、この子は生きることに目を向けてはいない、迫り来る死のみを見つめているのだ、と。

 エルサの脳裏にはかつて戦地にて多く目にした人々が思い起こされていた。迫り来る死を見つめ光を失った瞳を……


「あんたさ……、私と一緒に来る?」


 答えは判ってはいたが、エルサは少年へと問いかけた。


「…………」


しかし、少年が反応を示す事はなかった。ここで死ぬ事をこの少年は望んでいるのだ。

 エルサは踵を返す。後ろで様子を窺っていた兄妹子の方へと。


「……待たせたね。二人とも行くよ。できれば陽が落ちる前にはここから離れるつもりだから」


 そう兄妹の子らに告げ、里の外へ向かって歩き出す。

 戦地と化した場所には後に危険が訪れる。血の匂いに誘われた獣達が屍を貪るか、死した事に気づかぬ人の魂が数日間そこに留まり、その末に屍が失った生命を求めて徘徊すようになるからだ。

 本来ならば生きる事を捨てたあの子供を死なせてあげるのがいいのだが……

 エルサには出来なかった。不慣れとはいえ自らもこの兄妹らの親なのだ。しかし、それゆえにあの黒髪の子は苦しみ恐怖して死ぬことになる。

 エルサは歩きながら奥歯を噛み締めた。拭えきれない罪悪感をも感じていた。

……やはり、それならばこの手で……


「?」


 ふと、違和感を感じエルサは足を止めた。先ほどから我が子達の気配を感じない。エルサはそこで初めて後ろを振り返ったが、そこに二人の兄妹の姿はなかった。


「――っ」


 エルサはすぐに来た道を引き返す。自分を諌めながら。

――なんてマヌケなッ! 思考の世界に浸りすぎて二人がついてきてない事に気づかなかったなんて。

 エルサが道を引き返し、さきほどの黒髪の子の元へと戻ると、そこに我が子達の姿が見受けられた。安堵の息が漏れる。

 二人の兄妹は、黒髪の子を間に挟むように座っていた。まるで黒髪の子の心の傷に寄り添うように。

 兄妹達を連れだすつもりではあったが、子供らの三つ並んだ小さな背中が自らを思い止まらせた。

――あの子達に任せてもう少しだけ……陽が落ちる前までは見守ってみよう、と。



 いよいよ陽が沈んでしまえば子供達をつれて森を出るのが難しくなる。そう思いエルサが腰をあげかけた時、子供達の方でも動きがあったようだった。


「……ダメだったようね」


 二人の兄妹だけが立ち上がるが、黒髪の子はいまだ座り込んだまま……

 仕方のない事なのだと俯きため息をついた。これまで生きてきた中できた散々見てきたではないか。これが特別ではない。戦争孤児とはそういうものだ。

 エルサはとうとう諦める事にした。

 ならば、我が子達だけを連れて急ぎ森を出よう。そう思い腰をあげかけたが、


「!」


 再び視線を戻したエルサは無意識に安堵の息を漏らしていた。

 まだ幼い妹の方が差し出した小さな手を、おそるおそる握りしめた黒髪の幼な子は引っ張り上げられるような形で立ち上がった。

 エルサは再び黒髪の子の前へと歩み寄る。そして、再び問いかけた。


「……私達と、一緒にくる?」


 琥珀色の瞳が、今度はしっかりとエルサの瞳を見上げていた。そして、今度はコクリと頷き返した。その瞳は先ほどとは違うモノを見ていた。


「私はエルサ、エルサ=ノーゼンハレンだよ。……あんたの名前は?」


 幼い黒髪の少年は、小さな声で、それでもエルサに聞き取れる声で答える。


「……アル……フォンス……」


 ――琥珀色の瞳は当初とは違い、もう死を見つめてはいなかった。

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