九大文芸部OBOG会

丘                          

                              作:木倉 兵馬


 英州の高拓海は博覧強記なれど、占筮を過度に信じる悪癖があった。

 彼の言葉はみな全て古今の書に基づくものであり、彼の行動はみな全て占筮の結果に基づくものである。


 例えば次の様なことがあった。

 ある夏、高拓海の邸宅、その中庭にて怪鳥の鳴き声がする、と下女が言った。

 高拓海は下女に尋ねた、


「怪鳥を見たのか」と。


 下女は高拓海に答えた、


「鳴き声がする時、バサバサという音がした。怪鳥の証である」と。


 これを聞いて高拓海は皆に言った、


「心正しき者は怪しき物を語らずという……」と。


 古典の一節を引いて皆を宥めようとしたのである。

 しかして、下男下女に古典の知識を持つ者はなかったので、高拓海の期待した効果、すなわち「主は知識のある方で素晴らしい役人である」なる印象を与え得なかった。

 仕方なく、高拓海は自ら骰子を取って占った。


「井戸が怪しいのではないか」


 高拓海は下男下女に命じて井戸を調べさせるも、何も奇怪なるものは見つけ得なかった。

 ちょうど高拓海の住む郷に旅の暦占方士が留まっていたので、彼は下男に命じて方士を呼び寄せた。

 方士は中庭を見るなり言った、


「竹の手入れが良くない。いくらか切ってはどうか」と。


 暦占方士は日取りを決める占術を専らとする。

 しかるに、家の調度や植栽に口を出すことは稀であり、故に高拓海は耳を貸さず重ねて暦占を請うた。

 暦書をパラパラとめくり、いくらかの計算をしてから、暦占方士はしかつめらしく言った、


「やはり竹を切るべきである。暦の上ではあの竹は勢いが已むべきであるのに、未だに衰えるところがない。すべからくいくつか切ってしまうべきだ」と。


 ここに至って高拓海は下男に竹を切らせた。

 すると怪鳥の鳴き声は消えて後に聞くことはなかったという。

 高拓海は暦占方士に多額の謝礼を与えて、泊まっていってはと提案したが、暦占方士は固辞して郷を去った。

 のちに暦占方士が語った、


「高拓海は博覧強記なれど、それを活かす星宿に居ない。中庭の竹が擦れ合って軋んでいたのを怪鳥と信じ込んで疑わなかったのが証である」と。


 あるいは次の様なことがあった。


 高拓海は役所での仕事が多くあり、帰りの遅くなる時があった。

 その日も夕を過ぎ蝙蝠の飛び交い始める頃になって、ようやく帰宅の用意が済んだ。

 詩を吟じながら帰る途中、高拓海は足を滑らせた。

 水路に落ちたのである。

 悪いことには、落ちた水路に沿って廃墟の土塀が伸びており、その土塀の一部が崩れ落ちてきた。

 幸い、高拓海に軽傷しか与えなかったものの、暗い夜のことである、高拓海が恐れを抱いたのは仕方のないことだった。

 しばらくして、松明を持った下男が通りかかった。

 下男は帰りの遅い主を案じて、自ら探しに出たのである。

 下男は高拓海に言った、


「今から縄を持ってくるので待っていてほしい」と。


 すると高拓海は答えた、


「待て、私の上に被さっているのは泥か土か」と。


 下男は怪訝になって尋ねた、


「泥も土も同じものでは」と。


 高拓海は下男に怒鳴った、


「愚か者め、泥は土とは違い、土は泥とは違うのだ。そもそも、泥というのは土より細かく……」と。


 太平京で流行り始めた本草学の書、その一節を引いて下男を叱ったのである。

 長々とした説教は下男の忠誠心を弱めたが、高拓海はそれに気づかない。

 続けて高拓海が言った、


「もし泥であれば今日動かすのは凶であるから、明日まで待て。土であれば動かすのは吉であるから、今すぐに助け出せ」と。


 下男は面倒になり、主の被ったものは泥である、ゆえに一旦帰宅し明日の日の出を待つと言って去ってしまった。

 高拓海はそのまま、心細い一夜を過ごし、下男は自ら暇乞いをして別の役人の家に仕えたという。


 かくの如く、高拓海は識あれど行いに表さない者だった。


◆ ◆ ◆ ◆ ◆


 さて、ある時高拓海は不興を買って西の果て、干州に左遷された。

 高拓海の一族は不運に対しひどく騒ぎ立てつつ干州へ向かった。

 緑の豊かな故郷を離れ、荒涼とした砂漠の土地へと移ったのである。

 嘆き悲しむ家族や下男下女を、高拓海は古書の故事をいくつも引いて宥めようとし、少しは良い効果を得た。


 しかして、高拓海には大きな不安がある。

 先祖の墓社をどこに置くべきか。

 墓社と邸宅の関係は占いによって吉凶が定められている。

 不興を買ったとはいえ皇帝から与えられた以上、邸宅の場所を大きく変えるわけにはいかない。

 ならば、動かさざるを得ないのは墓社である。

 墓社は山に囲まれていることを大吉とする。

 山であれば、いくらでも、どこにでもあるだろう。

 高拓海はそう考えて干州への旅路の不安を弱めようとした。


 干州にたどり着くや、高拓海は嘆いた。

 高拓海が想定していた以上に環境が異なっていたのである。

 山はなく、なだらかな丘が並ぶだけだ。

 川はほとんどなく、地下水路やオアシスが都市の水源である。

 高拓海の占術では、このような状況は想定外だった。


 しばらく悶々として苦しみ、考え抜いた結果、高拓海は土地の形を変えてしまうことに決めた。

 山がないのなら、丘で代用すれば良い。

 川がないなら、運河を作れば良い。

 高拓海は決心すると、さっそく適切な場所を探した。

 すると、すぐに適切な、あまりにも適切な場所を見つけたのである。


 初九の丘、と当地の人々が呼び習わす場所である。

 異教徒の古老の話によれば、最初に現れた九人の人間の王を埋葬した丘なのだという。

 高拓海は初九の丘を開発することに決めた。

 しかして、それを知った干州の人々、特に異教徒たちは強硬に反対し、徴用を拒絶した。

 古書や最新の技術書から多くのもっともらしい言葉を引いて説得するも、干州の異教徒は耳を貸さなかった。


 しかたなく、高拓海は己の下男下女だけで仕事を成そうとした。


 異教徒たちはどういうわけか妨害をしなかったので、少人数ではありながら丘の切り崩しは易々と進んだ。

 ある夕のことである。

 高拓海のところに、下男下女がやって来て以下のように報告した。


 低くなった丘の土砂が急に風で飛び、大きな石碑が見つかった。

 石碑には文字が書かれているものの、非常に古い書体で書かれていたがために高拓海だけが読み得るだろう。

 不安が周りに伝染らないよう、読み解いて高拓海になんとかして欲しい、と。


 高拓海は思った、


「古書体の石碑であれば、太平京の皇帝にお贈りして喜んでいただけるだろうか。そうすればまた栄達の道は開けるに違いない」と。


 そこで急いで石碑を読みに向かった。


 石碑は人の背丈の二まわりほどあり、何かを塞ぐような形で横たわっていた。

 下男下女たちが照らす松明の中、高拓海は石碑を観察する。

 文字はたしかに古書体だったが、その彫りはまるで最近のもののようである。

 あまり文章量はない。ただ三文が力強く記されている。

 高拓海は声に出して読み始めた。


「此処に罰せられるは誰ぞ。此処に死ぬるは誰ぞ」


 首を傾げつつ高拓海が次の一文を読む。


「其の名は高拓海なり」


 己の名が記されているとわかった途端、高拓海は胸を押さえて苦しみだした。

 周りの下男下女を見て助けを呼ぶように命じようとする。

 高拓海は倒れ込み怯えた。

 九人の下男下女の顔ははっきりとは見えず、ただ冷ややかな目が見下ろしていた。


 翌日、家の者が高拓海を探して初九の丘へ赴くと、彼は虫の息だったという。

 高拓海はこれまでにあったことを一息に述べると絶命した。

 後日、新任の役人が初九の丘の石碑を調べると、そこには高拓海の語る内容の文章はなく、ただ古書体で、


「天下泰平」


 の四文字が記されていただけだという。

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