からっぽなはずの船は僕を乗せて

高黄森哉

遠くの海岸

 僕はほんの少し、海に憧れていた。なぜならば、海なし県出身だからだ。日常に海があったらどれだけよかったか、もしも程度に考えたことはある。しかしながら、実際に叶ってしまうと、こんなものか程度であった。


 もしも、自分が願うことがなければ叶うこともなかったのだろうか。ならば、時間を巻き戻してくれないか。引っ越してきた自分は引きこもりがち。学校に馴染めなかったのだ。


 もともと人との対話は苦手な方ではなかった。だが、引っ越しを繰り返すうちに不得手になってしまった。引っ越すたびに、自分の殻を破らなければならない。毎度、毎度、恥ずかしい思いをしてきたから方法は知っている。やりたくない。


 変わらない日常が急に変わる訳はない。だから、脱皮の必要があった。ということで、その決意を境に、僕は夜な夜な海へ下りて、海岸で途方に暮れることにしたのである。


 海岸の頼りない堤防を歩く。自分は危ないことをしている。なのに劇的に思えない。そうこうしてる内に、青春は滑り落ちてしまうという焦燥がする。くだらない日常がひいては寄せる。


 狂気だ。狂気。日常に物語を見出す狂気。対義語の両立なんて無理だ。現実は飽くまでも常識的で、誰かが水面に身を浮かべていたり、泣いていたり、戦っていたりしない。自分を物語に浸せば、もしかしたら、彼等は引き寄せられるのではないか。そう考え始めたらいよいよ狂気。白い目で見られるような非常識か。


 ジャボジャボと泡が立つ。そのぶくぶくが静かに響く。月明りは多く、海岸は懐中電灯なしでも淡く見通せる。汚い海岸だ。それもそうだ。ビーチというわけではない。それに臭い。当たり前だ、ビーチじゃない。


 遠くに錆びた船が座礁している。半分の船。この船を見るたびに、移動しているのは、何故だろう。きっと、潮の満ち引きの関係であろう。それにしても、あれはずっとあそこにあるのだろうか。そうに違いない。でなければあのような体をなさない。


 あれは僕を乗せた船だ。僕は陸を行く。


 海岸を歩いてしばらく。僕は初めて、船の近くに来た。何度もここに来ていたが、船は少し遠くにあるので、行く気はしなかったのだ。船は役目を終えていた。役目を終えた船が静かに横たわっている。


 美しいと感じた。これが美しくなければ己が救われない気がした。醜い美だ。まるで自分のようだ。しかし、中身はスカスカなのだろう。まるで、僕のように。この船の片割れはどこへ行ってしまったのだろうか。片割れを探して、彷徨ってるのだろうか。


 船を前にして、おかしなことに気が付く。船跡のような模様が、砂浜に描かれているのだ。これは、潮の満ち引きで船が移動した、という仮説を否定するものであった。もし潮が満ち、そして船体が波に乗り、その後に取り残されるのなら、砂地にはなにも残らない。


 半分の船を回り込んでその切り口をみた。恐ろしい体験だった。そこには、巨大なヤドカリがいた。まるで、誰も気にしないため剃らなかった僕の脛、そんな醜い足を畳んで、ぴったりと船に身を閉じ込めていた。妄想と違い、僕は船では無かった。一匹の大きな甲殻類だ。朽ちたその船の片割れを背負って、ぴったりと身を閉じ込めて囚われている。


 僕は船に搭乗した。僕を乗せて浜辺を進んでいく一隻の船は、砂地に航路を刻んでいく。奇怪な世界の住人の一人としての航海を始める一匹の少年。振り返ると浜辺が遠い。海の音も遠く、そこはもう砂漠になっている。


 砂漠には僕と同じような少年がヤドカリに搭乗している。砂地の真ん中に巨大なイソメがいる。イソメはヤドカリを襲っている。ある少年が食べられてしまう。そして、彼はもう彼でなくなってしまっている。トビウオのように助走をつけて砂面からエイが離陸。ヒトデが回転しながら飛んできて、トビウオもどきを仕留めた。奇妙な生態系である。半分になった魚は、陸に打ちあがって跳ねる。


 砂漠、砂漠、砂漠。どこまでも砂漠。同じ景色が続いている。僕を乗せたヤドカリ。こんなことは起こらないのは分かっている。しかし、いつだって願っている。きっと世界は変わっていく。定義を満たしていく。まったく根拠のない信仰だが、ぽっかりとウツボが口をあけている。


 気が付くと僕は堤防にいた。船は遠くにあった。目を瞑り白昼夢、明日も夢を紡いでいく。現実を夢ナイズ、ただ一人浜辺うろつく。少年を乗せた船が静かに陸を進んでいく。夢か本当か分からない、夢想家の浜辺旅。


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からっぽなはずの船は僕を乗せて 高黄森哉 @kamikawa2001

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