第7話 幸福の猫獣人

「では、元の場所へとご案内しましょう」

「はい」


 藤吉郎に手を引かれ、私は元の場所へと戻っていた。そこは堀内にある鍵曲かいまがり。左右を高い土塀で囲んで、道を直角に曲げた独特な道筋のこと。江戸時代、城下防衛のために作られた場所だ。ここにアドリアーナへの入り口があったんだ。藤吉郎はすっかり猫の姿に変わっていた。


 私は三毛猫の藤吉郎を従えて自宅に戻った。

 ちょうど日が暮れた時刻で、夕食まではもう少し余裕があった。私は啓二君から受け取った手紙の封を切った。中の便せんには謝罪と後悔と感謝の言葉が並んでいた。事故で死んでしまい迷惑をかけたと。そして、自分が歌うはずだった「ふるさと」を皆で歌ってくれてありがとうと。そうしているうちに、その手紙は黄金色の光に包まれて消えてしまった。


 そうか。この手紙も啓二君の執着だったのか。

 でも、消えてしまったという事は、執着も消えてしまったと。そういう事なのだろう。啓二君。良かったね。


 私は安心して胸をなでおろした。

 そして一階に降りて冷蔵庫を漁る。魚肉ソーセージを一本見つけて裏口のあたりをきょろきょろと探してみる。

 いた。三毛猫の藤吉郎が。


 私は魚肉ソーセージの皮を丁寧に剥いて、そして食べ易いようにちぎって藤吉郎に食べさせた。彼は美味しそうにソーセージを貪る。しかし、人語は喋らず「にゃあにゃあ」と猫みたいに鳴くだけだった。


 その後、藤吉郎は私の家に居ついてしまった。そして毎日、学校にもついて来た。校庭を散歩したり教室に入り込んだりしているのだけど、私の膝の上でお昼寝をしたりもする。しかし、彼の事は誰も気づかないのは不思議だ。


「お前は馬鹿か? 猫獣人なんていないんだよ」

「でも、弟が見たって言ってるんだ」

「お前の弟、目が悪いんだよ。眼鏡の度が合ってないんじゃねえの」

「確かにあいつの視力は悪いけど、人と猫獣人を見間違えたりはしない」

「なあ。桐坂きりさか。俺に逆らうなよ。猫獣人はいない。いないんだよ」

「あ……そ……うかもな」

「そうだ。いないんだ」


 ペガサスが強引に情報操作をしていた。桐坂君の弟は体が弱くて視力も悪く、眼鏡を掛けても人並みには見えないらしい。


「ねえ藤吉郎。本当はどうなの? 桐坂君の弟、あそこに行ったんでしょ」

「そうですね。ついこの前、桐坂季節きりさかきせつ君をアドリアーナに招待しました。彼は体が不自由なのに、発想が豊かで勉強熱心。将来有望ですよ」

「未来がわかるの?」

「まあ、そうですね」

「ペガサスをぎゃふんと言わせてやりたいの。あいつ、猫獣人を見たって人を徹底的に攻撃するんだ」

「知ってます。確かに由々しき問題ですね」

「このままほっとくと、アドリアーナの存続に関わるんじゃないの」

「ご指摘の通りです。どうしましょうかねえ」


 などと言いながら、私の膝の上で大あくびをしている藤吉郎である。彼は面倒くさそうに床に降りて、何と教室の中で猫獣人の姿へと変身した。そして黒瀬君ペガサスの右手を握ったんだ。


「何だお前は」

「貴方が存在しないと力説している猫獣人です」

「そ、そんな馬鹿な! 猫獣人なんているはずがない!」

「そんな事はありませんよ。現にこうして、貴方の右手を握っているわけですから」

「嘘だあああああ!」

 

 大声で叫んだ後、ペガサスは気絶して倒れてしまった。

 お昼休みの教室内で起こった突然のハプニング。でも、猫獣人の藤吉郎が見えていたのは私とペガサスだけで、他のみんなには見えていなかったらしい。ペガサスは「独り芝居」「ダサい」「馬鹿じゃねえの」とか言われ笑われていた。

 その後、黒瀬君ペガサスは病院に運ばれて統合失調症と診断され、しばらく学校を休んでいる。ちょっと可哀そうだと思ったけど、彼は散々他の人をいじめていたので自業自得だろうね。

 そして私は、音楽部へと足を向けた。一年半も無断で休んでいた私を、みんなは温かく迎えてくれた。部長の清志郎も笑顔で握手してくれた。藤吉郎と出会い、心の枷がなくなったんだろう。私は気持ちよく歌えるようになっていた。

 藤吉郎はあれから、猫獣人の姿を見せてくれることはなかったのだけど、猫獣人の都市伝説は消えることなく語り継がれていった。それには、三毛の猫獣人に出会うと幸福になれるって尾ひれが付いていた。

 

[おしまい]

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夢の国の猫獣人 暗黒星雲 @darknebula

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