第4話 執行官の条件

「中までは入らなくてよろしいのでしょう?」

「ああ、ここまででいい」


 俺はドライバーに運賃を払いタクシーから降りて、特別法務執行庁の物々しい門構えを見上げた。


「いつみても、なんともいかつい建物だねぇ」


 まあ、それも仕方のないことか。全国に点在する特別法務執行庁の建物は、かつては罪人達を収容する刑務所を改築して運用されているのだからな。

 新法のおかげで刑務所が必要なくなったから、そのまま流用してしまおうという倹約精神は賞賛に値しないでもないが、付近の住民からすりゃああんまりいい気持ちじゃなかろうよ。そのせいで、俺達執行官も妙な色眼鏡で見られることもあるしな。まあ、俺に関してはその色眼鏡が間違っているワケじゃないが――。

 俺は自嘲気味に軽く鼻で笑い、特別法務執行庁の門をくぐった。


「おい――」


 門の少し奥にいるガードマン数人が俺の側へとよってくる。ったく、ガードマンやるんなら、いい加減ここの職員のツラぐらい覚えろってんだ。


「ほらよ」


 俺は後ろポケットから特別法務執行庁のマークのついた手帳をとりだし、ガードマン達に見せた。


「失礼しました――」


 寄ってきたガードマン達がささっと散開し、そして特別法務執行庁の中へ入るドアまでの道のりを守るかのように整列した。


「お勤めご苦労さん」


 新法が制定される前までは、この門でよく交わされていたであろう言葉でガードマン達をねぎらいながら、俺はドアの前へと移動した。

 ドアに備えつけられているカードリーダーに、手帳の中に入っている俺の身分証を読み取らせる。ピピッという音がし、やがてゴクン、といった重厚な音がドアから発せられた。まったく、何から何まで仰々しいねぇ。俺はドアの取っ手をゆっくりとひいて、特別法務執行庁の中へと入っていった。

 官庁の中というと、カチコチな服装をした辛気臭そうなツラをした人間たちの集まりだと思われがちだが、この特別法務執行庁に関してはそれがあてはまらない。

 確かに、エリート意識丸出しの官僚ヅラしたやつもいるにはいるが、どちらかというと服装はラフで言葉遣いもやや荒っぽい連中のほうが多いというのがこの特別法務執行庁という官庁の特色だろう。

 それを証明するかのように、Tシャツにジーパン姿の同僚が俺の姿を見て近寄ってきた。


「よう。今日はもうアガリかい?」

「予定ではそうらしいがね。だが――」

「そうなったことは少ねぇ――だろ?」


 同僚がニヤリと薄っぺらい笑みを浮かべて、俺の言葉の先読みをして続けた。


「ちげえねえ」


 俺も軽く笑みを浮かべて答えてやると、同僚は薄っぺらい笑みのまま俺に、


「実際、そうなんだよ。お前の愛しのオペレーターが上役からお呼ばれしてるぜぇ? なんでもお前にしか頼めねえっていう執行の案件らしい」

「かぁ。やってらんないねぇ……」

「ぼやくなぼやくな。お前にしか頼めねえってこたあ、ひょっとすると、お前のお楽しみに関わることかもしれねえぜ?」

「まあ、確かにその可能性もあるか……」

「そう思っとけや。人間、希望が一番大事だってことよ。ところで、一つお前に聞きたいんだが、今日のお前の執行対象の罪状は殺人だったんだって?」

「ああ、そうだ」

「おいおい、この間頼んだばかりじゃねえか。殺人の執行はできるだけ俺にまわしてくれってよぉ」

「そりゃあ覚えていたが、その時お前が別の執行をやってたから俺にまわされてきたんだぜ。さすがにそこまでは面倒みきれねえよ」

「けっ。それなら俺の執行が終わるまで待ってろって話だよなぁ? 殺人ってのはよぉ、一種の芸術なんだぜぇ? だからこそ、芸術家である俺に殺人の執行をまわしてくんねえといけねえよなぁ? まったく、上のやつらはわかってねえぜ」


 そう言って、同僚は狂ったようにケラケラと笑い始めた。ったく、ここにはマトモな人間はいないもんかねぇ? まあ、マトモだったら俺達のような仕事はとてもやってられやしねえだろうが……考えるだけ無駄ってやつか。


「ま、お前の希望通りになるよう、今度かけあっておいてやるよ」


 俺は笑い続ける同僚を後に、俺の専用の個室へと向かった。

 専用の個室といえば聞こえはいいが、その実、元々囚人の留置場だった一部屋を改築してあてがわれたものだから、使ってる人間としちゃああまり良い気分にはなれねえ。そんなたたでさえ好きになれねえ個室の前に、仏頂面ぶっちょうづらで分厚い書類の束を手に持ったオペレーターの姉ちゃんがいるとなりゃあ、なおさら良い気分にはなれねえよなぁ。

 俺はあえてオペレーターを無視して、個室のドアノブに手をかけようとした。しかし、


「資料によると、あなたの視力は悪くなかったはずですが?」


 という、なんとも小憎らしい口調でオペレーターが俺に声をかけてきた。どうやら無視させちゃあくれないようだ。


「確かに視力は悪くねえよ。だが、あえて目に映らないようにするっていう選択肢があるってのを覚えておくといいぜ」

「どういう意味でしょうか?」


 ほんとにわからないといった様子で、オペレーターは顔をしかめながら首をかしげた。やれやれ……エリートには皮肉も通じないもんかねぇ。


「まあ、いいさ。それで、どういったご用件でございましょうか?」

「新たな執行の案件です」


 当たり前でしょう? といったような口調がなんとも腹が立つな。


「見てのとおり、帰ってきたばかりなんだがねぇ?」

「それに関してはいささか同情の念がありますが、こればかりはいたしかたありません。あなたが法の執行者たる以上、法を犯すものが現れれば、たとえ就寝中であろうと、あなたはその責務を果たさなければならないのですから」

「やれやれ……お前のそのモチベーションはいったいどこから沸いてくるんだ?」


 俺の言葉にオペレーターがぴしっと姿勢を正して、真っ直ぐに俺を見据えた。こいつぁマズイ。ご高説のスイッチを入れちまったかな。


「私達がいるからこそ、今の世の中は安寧に満ちているのです。今までは犯罪が発生すれば、その犯罪者を刑務所に収容したり裁判を行ったりするという多大な手間がかかっていました。そしてその手間には、善良な市民達の莫大な額の税金が使用されていたことはあなたにもおわかりでしょう? そもそも、税金というものは、それを納めた市民にこそ還元されるべきものであって、市民をおびやかす犯罪者に使用されるなど、愚の骨頂だと思いませんか? だからこそ、新法である“因果応法”という制度が制定されたのではありませんか。殺人には殺人を、盗みには盗みを――そのように、犯罪者が犯した罪状とまったく同じ罰を、我々特別法務執行庁の執行官が与える……これほどまでに理にかなった法律は人類の歴史の中でも存在したことはありません。そして我々は、この素晴らしき新法の執行者であり体現者として存在しているのです。これは全世界のいかなる職種の中でも崇高でかけがえの無い仕事だとは思いませんか?」


 身振り手振りを交えながら力説するオペレーターを見てると、やっぱりコイツもどこかまともじゃねえのだと、改めて再認識させられるな。なんというか、法という教祖に対する盲目的な狂信者っていう感じだ。それに比べ、俺達執行官はそんな理想のどうのこうのなんかより、もっとシンプルな目的で仕事をやってるからな。てめえの欲望を満たすっていう、実にシンプルな目的だ。

 まあ種類にちがいあれ、俺達もコイツらもイカれてるからこそ、こうやって協力体制が保たれてるのかもしれねえな。まさしく、持ちつ持たれつっていう間柄なわけだ。となれば、一応は良好な協力関係とかいうやつを築けるように、ここはオペレーターの言葉に同意しておくことが得策だろう。


「そうだなぁ。まったく、素晴らしいお仕事をお授けいただいて、心身共に感動に打ち震えながら日々の執行をこなさせていただいておりますよ」


 俺の棒読み気味なお世辞に、オペレーターは満足そうに、うんうんと大きくうなずいた。なるほど。考えようによっては、皮肉がわからないってのはある意味でいやあ、いいことなのかもしれねえなあ。


「んで――次の素晴らしいお仕事の内容はどのようなものなので?」


 すると、オペレーターはまるで汚物を見るような目になって俺を見た。そして、手に持った書類の束を俺に向かって差し出した。この書類には、執行対象の様々な情報が記されている。昔は警察機構だった連中が新法で情報部に鞍替えし、その情報部の連中が調べ上げた情報だから、その記されている全ての情報は正確無比を誇っている。


「こちらが執行対象の資料となります――この執行はあなたにしか行えないというのが、上層部の総意です」

「そうか。となれば――」


 さっきの同僚の言葉じゃねえが、希望をもってもいいってわけだ。俺は書類の束を受け取って、それを何枚かめくって執行対象の罪状が記されているページをみた。そこには、こう記されていた。

 罪状――強姦殺人。

 そう記されているのを見たとき、きっと俺はさっきの同僚のような薄っぺらい笑みを浮かべていたのだろう。侮蔑の色を浮かべていたオペレーターが、変わりに怯えの色を浮かべて後ずさりやがったんだからな。俺はそれを無視してその執行対象の写真に目をやった。


「ほぉ……。悪くねえな。久しぶりに、心ゆくまで楽しめそうだ」


 思わず呟きたくなるほどの上玉だ。ここ最近のこの手の執行対象はデブばかりだったから、なおさらそう見えるぜ。


「楽しむのではなく、粛々とした執行を希望します。出発予定は一時間後になっておりますので、お早い準備を――」


 そう言って、オペレーターは逃げるような足取りで俺の側から離れていった。まあ、逃げたくなる気持ちもわからんでもない。人間ってのは、自分の理解の範疇に収まらない人間を徹底的に恐れるモンだからな。それが性的趣向ともなれば、なおさら恐ろしいモンだろう。

 俺は改めて資料に目をやった。

 年齢二十八。元格闘家で性格は凶暴そのものである――か。いいねいいねぇ。ますます俺好みの相手のようだ。こういうやつに限って、その瞬間になりゃあいい声で泣くんだよな。んで、散々犯ったあとにささっとる――想像するだけで勃起モンだぜ。

 まったく、これだからこの仕事はやめられねえんだよ。俺のような同性愛者が合法的に男を犯すことができて、それでいて俺の自分でも抑えれない破壊衝動を満たすことができるんだからな。

 ほんっと、“因果応法”様々だぜ。一度この快感を覚えたら二度と他の仕事なんざできやしねえ。それこそ、オペレーターやさっきのタクシードライバーの言うとおり、素晴らしい仕事としか例えようがねえな。心のそこからそう思うぜ。

 俺は一時間後に訪れる福音のときを思い浮かべ、辺りに響くほどの笑い声をあげた。今の俺の笑い声はきっとさっきの同僚と同じかそれ以上の狂気に満ちているのだろう。そう思うと、いっそう笑い声が大きくなるような気がした。

 ひとしきり笑い終えると、俺は個室のドアノブに手をかけた。


「さて……今回はどういう風に可愛がってやれるのかねぇ?」


 これからも続くであろう、この素晴らしい仕事に感謝しつつ、すぐに訪れるであろう快楽の絶頂に期待を抱きながら、俺は個室の中へと入っていった。

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すばらしい仕事 日乃本 出(ひのもと いずる) @kitakusuo

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