第6話
陽が傾いた頃にリムジンが現れた。
真珠色のボディに、茜色がぬめりと輝いていた。
出迎えに来てくれたのは嬉しいが、白人の大漢に挟まれて車中に押し込まれた。リムジンは西ハリウッドからビバリーヒルズへ向かっている。植栽が納税額に比例して施され、両脇には献納額を誇らしく示す椰子の街路樹が、燃え尽きそうな太陽の光を遮っていた。
シドはスタジオに入っているはずだ。
不安は残るが、この場に同乗している方が危険と考えた。
大漢は無言で、分厚い胸板を開襟シャツに収めていたが、首のホックは留まらないようだった。左右に固めた両者とも、石碑のような文字が両肩に彫られていた。
車は大きく車体を揺すりながら、コールドウォーターキャニオンの急坂を登攀していく。綴れ折りの道の両脇には高級車が路駐され、ドライバーが休憩していた。灌木の隙間から覗く建物群は、全て南欧風の朱色の瓦で葺いてあった。
その丘陵の程良い高台に、車は飲みこまれ、ロータリーの前には管理棟らしい建物があって、そこで身体検査を受けた。予想していたので寸鉄も帯びてはいなかった。金属の時計ベルトでさえ、叛意を疑う連中なのはよく分かっていた。
元々は石山であった土地柄に土壌を入れて、芝生の前庭を備えた邸宅がそこにあった。その前庭は草野球ができるほどの広さがあった。
通されたリビングから、プールが見えた。
故意に、無惨な光景を見せつけられていた。
革張りの、舐めしの効いた肌触りのいいソファに座ってはいたが、気が緩むことはない。それに暑苦しい熱量を持って、背後にふたつの悪意が立っていた。
カンサーは大統領執務室にあるようなデスクに構え、ゆったりと椅子で足を組んでいた。おれが座ると葉巻カッターを取り出して、葉巻の先端をカットしてライターを使った。
「お前も、女は、殴って言い聞かせるんだってな。我々と同じだな。それは血筋かもしれんな。お前の親父のことから調べはついているんだ」
「ああ。さっきは裸に剥かれた上に、肛門まで調べられた。新兵検査を思い出したよ」
満足そうにカンサーは葉巻をゆっくりと味わった。
「いい光景だろう」と外を顎で示した。おれはソファから立ち上がりかけたが、後頭部を金属質の硬いもので制された。
「ここからはさ。あの忌々しいハリウッドサインが見えないだろう。探したんだよ。この場所を、この角度を。私もここまで昇ってくるのに、腐心してきたのさ」
その象徴的なサインは老朽化していたが、数年前に補修されたばかりだ。元々はその場所は、ハワード・ヒューズの愛妾宅になるはずだった。
「それで、なあ話があるんだって」
「この依頼はシドのドラムのサポートだと聞いている。しかしおれにはそうとも思えない。彼女のサポートには不釣り合いだ。降ろさせて欲しい」
「調べはついてるって言ったよな。お前が適任なんだよ」
細い悲鳴がリビングの窓を揺らしている。
「あれは何だ!」
「お前は殴って女を言い聞かせたんだろ。言いつけができない時の躾にはな、私はもっといい方法を知っている」
遠目にもその女がヘザーだとわかる。プールサイドに、その白い肉体が四肢を伸ばされ、黒い獣が数人で貪っていた。激しく腰を使う黒い尻が見える。
「女の誇りを砕くんだよ。それで女はいう事をきく。それから男なら妬心を操るんだよ。覚えておくといい」
じわりと視界が窄まり、怒りの沸点が近いことを知る。立場というものが、金属の感触で再び蘇る。これは脅迫だった。彼女の屈辱を受ける姿をおれに見せつけるというのは、そういうことだ。
「お前のはな、ドラムのサポートだけではないよ。シドの孕んだ子の父親って役割が残っている」
「何だと!」
「お前に損は無い。スタジオでドラム叩いてどれだけの金になるか。シドが育児中はしばらくオートマタでプレイしてればいい。その後は家庭円満に過ごせばいい。ハリウッドサインの真下に家が持てるさ」
「無理なことを言うな」
躊躇いがあった。逡巡があった。そしてこれまで覚悟がなかった。
「おれは性的不能者なんだ。州兵の山火事消化の現場で負傷してからな」
しかしカンサーは満足そうに煙を吐いて「なにそれも調べたさ」とせせら笑った。下腹を突き出して、目に下卑た嘲笑の色が宿った。
「それはお前が頓着することじゃねえ。あの金魚鉢にシドとお前が寝泊まっていて。それでシドが孕んで、お前だけが出ていったとglove紙が吹けばいい。泣かせるねぇ、それでもいい筋立てだ。スキッドロウに帰ったお前を世間がどう扱うか、想像してみろよ」
ナイフが刺さる部分がない程に、ミンチになった自分の遺体が脳裏に浮かぶ。
「一番お前にとって幸福なのは、その子を認知して、今回のツアーからオートマタのドラムを勤めるこった。何、さっきも言った通りシドの復帰まででいい。わずか数年のことだ。people紙が書けば、世間はもっと泣くぜ。隠れて育んだ愛だとか、何とか。筋立てはこっちで設えるさ」
「その筋立てに追加して、おれはバンドに残るというのはどうだ」
「残って何になる?」
「Doobieを」
「ほう、そいつはクールだな」
そしていつの日か、あんたの妬心も握ってやるさ、と胸の内に刻んだ。
ヴィラに戻って、初めて呼吸を覚えたような溜息がつけた。
無人だったのでおれはスタジオに出かけた。そこはもう電灯も落とされていた。自分のセットの天井灯だけ点けて、スティックを取った。
漆黒のなかで、白熱灯のスポットが首筋に熱かった。
ハイハットを細く叩く。時計の秒針が進むように。
ライドシンバルが続く。聖堂の鐘が揺れるように。
音響調整室から影が歩いてくるのが、気配でわかる。
ロータムが奏だし、それに最初のバスドラ。
これはおれの音色だ。
唐突に金属の震えるリズムがその音色に重なる。
横から湿った甘い香りがする。
シドのクラッシュシンバルとハイタム。
おれの頭の右側から華奢な手が伸びている。その腕にはいくつもの注射の跡がある。先にはスティックを長く摘んだ指が見える。
それはシドの音律だ。
おれが姿勢を捻って左側に寄ったので、シドが身体を入れてくる。大きくキックしてバスドラで緩急をつける。
「おれはな、Doobie Brothersを演るつもりだ」
「ツゥインドラムね」
シドがおれの右手のパートを受け持つ。ドラムが2台。これからはベースも必要だろう。音調が合わずに、入れ替わるメンバーもいるだろう。
「オートマタの構成が変わるわね」
おれはシドの半身になる。
自然と横目が、彼女の下腹部を盗み見る。そこには微かな旋律が、まだ鼓動は届かないが、必ずそこにあるはずだ。子種のないおれが子を持てる。神様が授けてくれたと信じることも、いつかはできる日が来るだろう。
次の世界を拓けばいい。ちっぽけな夢なら足踏みと同じだ。
「今度こそ、新しく生まれるものに」とシドは言い、キスをした。今度は恋人にするキスだった。
「新しい命に」とおれは答えた。
Heart is Still Beating 百舌 @mozu75ts
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