リアル(切実)脱出ゲーム

人生

 リアル(切実)脱出ゲーム




 天井付近にある小窓から夕日が差し込んでいる。


 もうそんな時間か、と薄暗い体育倉庫のなか、わたしは顔を上げる。

 こつん、と後頭部が誰かさんの頭とぶつかった。


「……痛いんだけど」


「言うほどでもないでしょ。……何? わたしとの会話を楽しみたい系?」


「…………」


「なんか言えよ」


「うざ」


「!」


 がんっ、ごんっ、どすっ、ぼこっ――本気で頭痛くなってきたのでどちらからともなく嫌がらせヘドバンするのをやめた。


 背中合わせに、体育座り。膝を抱えたいところだが、生憎とお互いに両手が塞がっている。


 わたしの右手は彼女の左手に、彼女の右手はわたしの左手に――手錠で、繋がれているのだ。


 ……あぁもう、沈黙が気まずい。一刻も早くこの場から逃げ出したい。お腹空いた。トイレ行きたい。


 どうしてこうなった。




 ことの始まりはこうだ。


 ある日の放課後、わたしも所属する映写部の先輩たち……三年生一同が雁首揃えて、わたしこと肝川きもかわイズミと、彼女――彩月あやつきナツキの前で、頭を下げたのだ。


 先輩たちからの一生のお願い、とかなんとか言っちゃって。


 受験勉強に専念するため、もうじき部活を引退する先輩たちが、部を引き継ぐわたしたちに頭を下げている。さすがに断る訳にはいかないだろう。仕方なしに、私と彩月は先輩たちに言われるまま――体育倉庫を訪れたのである。


 さ、入って入って――と背中を叩かれ、肩を掴まれ、半ば強制的に倉庫の中に。

 この時点でもうロクでもないことになると察してはいたのだが……何をするつもりなのだろうという好奇心も多少はあって、大人しく従った。


 明かり取りと換気のための小窓が一つだけある、独特のにおいがする体育倉庫。様々な器具がずらりと並んだその中央で、わたしと彼女は向かい合った格好で立たされる。


 彩月ナツキ――同じ映写部に所属する、二年になってから同じクラスになった女の子。

 背丈はわたしよりやや高く、ほんの数センチの違いのくせに、姿勢が良いからかいつも上から見下ろしてくるような印象を受ける。見た目だけなら表情の変化が乏しいこともあってクールな美少女といったイメージだが、それは本当に見た目だけだ。

 私と顔を合わせるなりあからさまに嫌そうな顔をしながら、長い黒髪を片手で払う――


 その腕を、横から先輩が掴んだ。

 わたしたちの両サイドに先輩二人が立って――がちゃり、と。行われたのは、恐るべき行為であった。


「は?」


「ちょっと……」


 戸惑うわたしと彩月――わたしたちは拘束されたのだ。両手に手錠をハメられたのである。恐ろしいのは、それが自分の両手に繋がっていないということ――つまり、わたしの右手の手錠は彩月の左手に、わたしの左手の手錠は彼女の右手と繋がっているのだ。


 手錠の、金属製の輪っか同士を繋ぐ鎖の長さ……ネコの頭1.5コぶんくらい。これではほとんど身動きがとれないどころか、向かい合ったままの私と彼女はキスでもしそうな距離を強制される。


「これから君たちにはリアル脱出ゲームに挑戦してもらいます」


 などとのたまう部長は倉庫の入り口に。やることやってそそくさと逃げ出した先輩たちも横にいた。そちらに顔を向けようとすると、手錠が干渉し、わたしは彩月と顔を見合わせる。首だけを入り口に向けた。


「我々先輩一同はずっと悩んでいたんだよ。君たち不仲コンビが部を引き継ぐことに……。このままでは一年生が可哀想だ。新入部員も気まずくなることだろう。――そこで! だ。我々が引退するまでに、ぜひとも君たちに仲良くなってもらうべく……強硬手段に出ることにしたのである」


 である、と復唱する金魚のふんども。これに反応したのはことの原因である彩月ナツキ。


「はあ……? 仲が悪いんじゃなくて、この性格ブスが私の神経を逆なでしてるんですっ」


「誰が性格ブスだこの人格ハゲ! てか先輩たちも今の聞いたでしょ! 開口一番この暴言! 悪いのはこいつであって、」


「はい? 何を責任転嫁してるの? というか鏡見たことないの? どちらかというと毛量少ないのそっちでしょ」


「わたしの高度な罵倒が理解できないと見える。人格がハゲだっつってんの、人前で猫かぶってばっかでさ……!」


「意味不明、理解不能。低能すぎて何言ってるのか皆目見当つかないわ」


「はあ……!?」


「唾とばさないでくれる? キモい。何ムキになってんの? 恥ずかし」


 っこの野郎……と、顔が近いのもあってわたしが本気で噛みつきそうになっていると、


「はいはいはいはい!」


 ぱんぱん! と手を叩く先輩どもである。拍手喝采、という訳ではない。


「ケンカするほど仲が良いんですね!」


「「ちがいますー」」


「もういい、分かったから。そして分かってほしい、今のをほぼ毎日のように見せられる後輩たちの気持ちを。君たちだって、退部届が乱舞する部室を見たくないだろう? これは必要悪なんだ、許せ後輩」


 瞬間、この人たちが何をしようとしているのかを察したわたしたち。慌てて倉庫から出ようとするのだが、いかんせん両手が繋がっているためまともに前を向くことが出来ない。歩けない。お互いに前に出ようとどつき合っているうちに――


 がららら、と――倉庫の扉が閉じる。外側で金属音がする。内側から開かないように細工されているのだ。


 お互いを引きずるようにしながら扉の前まで来ると、


「この倉庫のどこかに肝川さんのスマホを隠してあるから、」


「はい? いつの間に!?」


「それを探して、我々に連絡すること。そうすれば解放してあげよう――スマホの隠し場所に関するヒントもあちこちに仕込んであるから、頑張って脱出したまえ」


「ちょっ、え? 本気なんですか!?」


「あ、そうそう――連絡するのは彩月さんの担当。プライベートの詰まったスマホを相手に預ける……仲直りの印ってやつだね!」


 仲直りも何も、そもそもケンカすらしていないのだが――


「ついでに二人で撮った自撮り写真も添付すること。カップル風のやつね!」


 HAHAHAという笑い声が響いた後――扉の向こう側は静かになった。


「…………」


「…………」


 薄暗い倉庫に取り残され、お互いに顔を背け合うわたしたち。


 ……なんだこの地獄。


 わたしもそうだが――たぶんあっちも、「こいつのせいだ」「お前のせいでこうなった」「最悪なんだけど」といろいろ胸中に暗雲立ち込めているが、先輩たちにあんなことを言われた手前、口に出して罵り合う心境にはなれなかった。


 顔は背けられても体を離すことが出来ないから、気まずさは募る一方。手を伸ばせば距離をとれるが、いつまでもそうしている訳にはいかない。シンプルに疲れる。


 しかし、どうしようか――外に通じる小窓はあるが、一人ならなんとか出来ても手錠で繋がれた現状、詰む可能性が高い。


 大声をあげて外に助けを求める――のも、難しいかもしれない。仮に誰か来ても、外で待機しているであろう先輩方が妨害するだろう。何せ我ら、映写部なので。撮影の最中とか言われると引き下がざるを得ない。


「とりあえず……」


 大人なわたしが先に口を開く。


「……スマホ、探すか。ゆーて、すぐ見つかるでしょ。そう広くないし」


「……馬鹿じゃないの? 手あたり次第探すつもりなんだろうけど、この状態なのよ。歩くのだって難しいのに」


「馬鹿はどっちだよ。そっちが文句ばっか言ってるからこういうことになったんでしょ。猫かぶってろよ。教室で他の子にするみたいに『おはようございますですわ~』ってお嬢様しろよこら」


「そういう態度がムカつくって分からない訳? これだから低所得世帯のお猿さんは」


「はあ? 差別かよ、これだから頭わんぱくお嬢様は。というかうちの親の年収知ってんのかよ、共働きで部長職ですが?」


「こっちは社長ですけど何か? 誰のお陰で生活出来てると?」


「お宅の会社とは縁もゆかりもないわ馬鹿野郎――」


 ああだこうだ言い合うこと十数分――お互い顔を背けたまま、床に吐き捨てるように暴言をまき散らしていた。換気されていない倉庫内は蒸し暑く、おまけに相手の体温も間近で感じられるため、ヒートアップしたせいもあってにわかに汗ばんでくる。喉も渇いてきた。一刻も早くここから出たい、こいつと離れたい――そう気を取り直すのも時間の問題だった。


「とにかく、動こう。どっかにヒントがあるみたいなこと言ってたし」


「……どっかっていうか――」


 と、彩月が視線で指し示すのは、入り口から向かって正面に置かれた、跳び箱。その上にストローの刺さった透明なタンブラーのようなものが載っている。中身はお茶の類か、明るい茶色の液体。


「水分補給用? ……明らかに怪しいけど、それくらいの配慮はするでしょ。夏だし」


「よく見てみなさいよ。中に何か入ってる。……ほら、動くわよ」


 言われ、渋々歩調を合わせてカニ歩き。そうしながらわたしはタンブラーの中身を注視する。前を向くと彩月の顔があるから自然とそうなった。


 液体の底に、氷のようなものが入っている。「ようなもの」としたのは、一見するとそうは思えない――透明じゃないのだ。茶色の液体の底に沈殿する何かがある。


 近づき、二人揃って覗き込む。タンブラーが結露して汗をかいてるから、液体の底にあるのは確かに氷のようだが、その氷の中に何かが入っている。水と一緒に凍らせたのか。なかなか手が込んでいる。


「……どうする? 溶けるのを待つ? というか飲んでいい?」


「……飲めば? トイレ行きたくなっても知らないけど」


「む……」


 多少逡巡するも、私は跳び箱に顔を近づけ、ストローを口に咥えた。ずずず、と吸い尽くす。液体はレモンティーのようだった。タンブラーの中はすぐに氷だけになる。


「で、氷だけど……噛み砕くのが早いよね」


「中の何かまで飲み込まないでよ」


「うっさいな……」


 右手を横に伸ばす。そうすると手錠で繋がれた彩月の左手も一緒に動く。まるでわたしが彼女をコントロールしているかのようだが、引っ張らないと言うことを聞かないから面倒だ。手首も痛いし。手首にハマった輪っか自体にはだいぶ余裕があるから、タンブラーを手に取ることは簡単だった。それを口もとに持っていくのに多少手間取る。

 タンブラーをあおって、氷を口に含む。その様子を間近で見られているのがなんだか気恥ずかしい。


 ばりぼりと氷を噛み砕くと、舌が異なる感触を得る――吐き出してみる。


「キモいんだけど」


「何もしてないくせに口だけは達者だな!」


 文句を言いながらも、それを確認する。ビニールの袋――の、中に、メモのようなものが折りたたまれている。


「手の込んだことを……」


 右手だけでそれを広げてみる。彩月の左手がわさわさしていて邪魔くさい。


「ヒントっぽい――『ハグしろ』?」


「はああ……」


 これまでにない大きなため息だった。


「頑張って損したわ」


「お前何もしてないけどね!」


「そうやってスキンシップさせて、仲良くさせようっていう魂胆なのよ。バカバカしい」


 先輩たちの考えそうなことである。わたしもそれには全力で同意するのだが、かといって指令ヒントを無視するのもどうなのか。何もしないより、やるだけやってみるべきではないか――


「だいたい、ハグなんてどうやってするわけ?」


「……普段から猫かぶってて本当の友達とかいたことないから、他人とハグしたことないんだね、分かる分かる。ハグって何か知ってる? 抱擁、抱き締めるってことだよ。オーケイ?」


「っ」


 めっちゃ眉間にしわを寄せたかと思えば、彩月は突然両腕を前に――わたしを抱きしめようとするかのように伸ばした。当然、わたしの手もそれに引っ張られ――


「痛い痛い痛い……!」


 強制的に後ろに回されたわたしの両腕。下から上へ、肩を超えそうになる。おまけに彩月が抱擁ホールドしようとするものだから、わたしの肘の関節が本来曲がらない方向にねじれかける。なんとか抵抗して手錠を回し腕の向きを変えるが、それでも痛いものは痛い――


「ほら――」


 ざまあみろ、と言いたげに口を開いた彩月だったが、


「待って、ちょっとそのまま」


「痛いっつってんだろが!」


 無理やり腕を前に戻す――


「あんたの背中に何か貼ってあるのよ!」


「は?」


「そういえばここに連れ込まれた時、背中を叩かれた――あの時か!」


 勝手に何か納得したかと思えば、今度は彩月が自身の両手を背中に回す。そうなると私の腕は前に行く訳で、彩月とのあいだの空間がぐっと狭まる。額がぶつかる。それを避けるようにお互い、頭を相手の肩に預ける格好になった。図らずも、抱擁っぽいポーズ。


 彩月の背中――わたしの手もそこにある何かに触れる。彩月の手が背中に貼りついた紙を引っ張り、前に持ってくる。その瞬間パッと離れるわたしたち。


「『お互いの好きなところを三つ挙げろ』だって。……典型的なやつ」


「そしてケンカになるやつだ。……というか、指示ヒントに従ったら次のが見つかったね。こうやってミッションをこなしていけば、わたしのスマホが見つかる感じか」


 脱出ゲームと言っていたし……。


 それにしても、好きなところか。わたしの視線は宙を泳ぐ。良いところもないのに好きなところある訳ないじゃん。


 それに三つ挙げたところで、どこからヒントが出てくるのだろう。ハグした結果、背中の貼り紙に気付いたのはまだいいとしても――


「てか、わたしの背中にも紙あるんだよね?」


 先の要領で、私が後ろ手になって紙をとろうとするのだが――いかんせん、手が届かない。彩月の手が干渉して腕が回らないのもあるが、紙が小さいのか指が届かないのだ。


「体、硬すぎなんじゃいの?」


 制服ブラウスの背中がわずかに引っ張られる。ペタペタとわたしの背中を触っていた彩月の手が、貼り紙をはがしたのだ。わたしの肩に顎を乗せた格好のまま、彩月がその紙を確認している。


「なんて書いてあるの? というか戻れ、暑いわ」


「っ」


 ぐちゃぐちゃと紙を握り潰す音がした。


「おいこら、ヒントなんて?」


「別に」


「別にじゃないだろ」


「あんたが私に謝罪しろって。非を認めて許しを請いなさい」


「はあ? ……あ、分かった。逆か。逆なんだ? わたしに謝れってあったんでしょ。やっぱ先輩たちはちゃんと見てるなぁ、悪いの百パーそっち、」


「セックスしろって」


「……はい?」


「ここはセックスしないと出られない部屋だから、セックスするまで出さないって」


「ぶっ」


 思わず噴いた。何言ってんだこいつ――しかしそんな戯言を彩月が言い出すとは思えないので、本気でそう書いてあったのだろう。こころなしか、押し付けられた胸から心音を感じる――


「仲が良い=愛し合ってる、つまりセックス――って、そういうことらしいけど。よくあるやつよね」


「何言うてんねん。よくあってたまるか」


「まったくよ……」


 言いながら、彩月が体を離す。顔が赤い――そう思った瞬間、顔を背ける。横顔が黒髪に隠れる。


「照れてやんのー」


「ッ」


「ごふぇっ」


 膝蹴りが飛んできた。ゼロ距離暴力である。うずくまりかけるが、手錠が邪魔して膝をつくのがやっとだった。頭が彩月のスカートに当たる。


「っとにかく……こっちはハズレ。好きなところを言い合うんだっけ? 三つ? 簡単じゃない。あんたは……やさしい。かわいい。たくましい」


「最後の褒めてんの? というか適当言うなや、もっと心を込めろ。プライドないのか猫かぶり」


「指示に従うポーズをしてれば次のヒントが見つかるはずよ。……まったく見当もつかないけど。ほんっと……イヤなところなら無限に出るのに」


「わたしは優しい可愛いすごい美人。イヤなところなんてどこ探しても出てこんわボケ」


「口が悪い。顔が悪い。頭も悪くてもう最悪」


「どっちがだよこの性格ブス。インチキクールキャラ。量産型ツンデレ女」


「はあ? ツンデレぇ? そんな安易でクソめんどくさい迷惑ジャンルにカテゴライズしないでくれる? というか自意識過剰。デレとかないからキモチワルイ。私は唯一無二オンリーワン高性能ハイスペックだから」


「うわ、うっざ。自意識過剰はそっちだろ、オンリーワンじゃなくてワンオフ欠陥品め。そりゃ量産されてたら失敗作も出来るわな。デレを知らない毒舌毒吐きモンスターめ。製造元おやのかおが見てみたいわ。一生孤独ぼっちな道を歩んでろ」


「モンスターはそっちじゃないの。美的センスがクトゥルフ神話。あんなキモいゆるキャラの何がいいんだか」


「神がかってますが何か? 高尚な芸術が分からないとは可哀想に。というかクトリュフってなんだ、珍味かよ」


「ええまったく理解できないその感性。知能の隔たりが天と地ほどの差があるわ。……あぁそっか、性別違うもんね私たち。男勝りのまな板くん。下半身に脳みそついてんでしょ」


「はああ!? 誰がまな板じゃコラ。セクハラすんなボケ。そっちこそ、無駄に脂肪ぶら下げやがって。あぁいやらしー、押し付けてくんな馬鹿!」


「これ以上圧し潰されたらヘコんじゃうもんねー? あー、かわいそ。ていうか人の胸に反応するなんて、メンタル男子小学生? もしかして下の方おっきくなっちゃってるのー?」


 こいつ……下ネタ苦手かと思えば――わたしが男だったら押し倒してめちゃくちゃにしてやるのになぁ!


 文句を言い合い胸と胸を押し付け合っていたせいで――足が絡み合い、わたしたちはバランスを崩した。


「きゃっ、」


 と、彩月の口から可愛らしい悲鳴が漏れる。


 倒れ込んだのは、運動マットの上――とっさに手を前に突き出そうとしたのだがうまくいかず、代わりにわたしは膝をつく。なんとか倒れずに済むが、そうすると、お互いの膝が相手の足のあいだに入るかたちになり――もしもこれが男同士だったら、今ので相打ちになっていた。


「何すんのよっ。本気で発情しちゃった? ケダモノ、モンキー、お猿さん!」


「うっさい馬鹿。女相手にコーフンするほど飢えてないから! というか花より団子です馬鹿野郎」


 ちなみに、お互いフリーの独り者である。なんだか空しくなってきた。女同士で何してるんだか……。もはや顔も見たくないのだが、どうしてわたしたちは昼休みに抜け出していちゃつくカップルみたく、体育倉庫のマットの上で重なりあっているのだろう?


「ちょっと……あれ」


「はい?」


 マットに仰向けに寝転がった格好の彩月が、何かを見上げている。天井だ。わたしは体勢的にぎりぎり首が回らないから、彩月を引っ張り起こす。二人で上を見上げると、天井に例の貼り紙があった。


『お互いの馴れ初めを思い出せ』


 ……馴れ初め?


「というか、好きなところ言うのと関係あった?」


「嘘つくとき、あんたあっちこっち見回すから、それで見つかると思ったんじゃないの」


「なるほど……」


 嘘つく前提かよ。先輩たちのわたしに対する心証どうなってんだ。


「とにかく――ヒントは確実に次に繋がる。それが分かっただけでも一歩前進」


「脱出に向かってるんならいいけどさ――というか、それなら――」


 ……セックス……。


「な・れ・そ・め!」


 顔を赤くして大声を上げる彩月である。奇遇だな、同じことを考えていたか。

 もしかするとマットに押し倒せば、下になった側が天井の貼り紙に気付く……という流れを想定していたのかも。


 しかし、馴れ初めとは――




 明確にお互いの存在を意識し、知り合ったのは――映写部に入ってからだ。


 だが、遭遇自体はその数日前――今から一年と半年前。高校の入学式の日だ。


 その日は前日から大雨で、ほとんど嵐と言っていいレベルの突風まで吹いていた。傘を差してもずぶ濡れは避けられず、高校初日にカッパを着ていくのにも抵抗があったわたしは、おろし立ての制服を濡らすよりは、とジャージ姿で登校したのである。


 学校に辿り着くころには雨も勢いを弱めていて――


 わたしは、道の只中で佇むその後ろ姿を見かけたのだ。傘の柄を軽く握って差し、ぶらりと垂れ下がったもう片方の手にはスマホが握られている。


 どこかを見つめるように斜めに顔を傾けた――


 わたしはなんとなくスマホを取り出し、その光景を写真に収めた。


 シャッター音に気付いた彼女がこちらに顔を向ける――目が合う。


「……何撮ってんの」


 当然の問いに、わたしは思ったままを口にした。


 ――きれいだったから、つい。


「濡れ透けJK」


「…………」


 雨に打たれ、肌が透けるように見える白いブラウス――自分の格好に気付いた彼女の頬がにわかに紅潮し、わたしに向けられていた視線が鋭さを帯びる。


「ヘンタイ」


 吐き捨てるようにつぶやくと、彼女は傘で体を隠すようにしながら足早に去っていった。


 わたしは彼女が立っていたところまで歩いて行って、あの視線の先を見やる。


 雨が晴れ、雲間から差し込む朝日――架かる虹。


 なるほど、映写部らしい――と、後日、再会したわたしは思った訳だ。




「――濡れ透けJK」


「……そうだ、思えば最初からヘンタイだったわね、あんた……」


「そういえば彩月さんおめー、部室で会った時もわたしのことヘンタイ呼ばわりしてたな……。女子が女子の制服着て何が悪いんだっつーの」


「男にしか見えないあんたが悪い」


「失礼なやつめ……勝手に勘違いしておいて」


 しかし――今ほど、自分が男だったら、と思ったことはない。


「……そうだ」


「ちょっ……何する気!?」


 再び、マットの上に彩月を押し倒す。仰向けになった彼女の上にまたがった。

 そのまま、わたしは膝立ちになりながら、両足のあいだに彩月を挟んだまま、前へ前へとのしのし移動する。


「痴女ー! 何すんのよ突然!」


「目つぶれよ。パンツ見たらヘンタイそっちだからな!」


 腕を後ろに回して手錠の鎖に配慮しつつ、膝で移動して彩月の頭の上までやってくる。あとは、彩月が起き上がれば――


「ほら、腹筋しろ」


「はあ……?」


 面と向かったままではやりづらい。これで背中合わせの格好になれるはず――


「いつつつ……」


 ……体が硬いのはどっちだよもう。


 諦め、再び彩月の頭の上を通って、元の状態に戻る。わたし、マジでただの痴女じゃん。なんだよこのリンボーダンス。


「背中合わせになる必要ある?」


「あるんだなぁ、これが――……トイレしたい」


「今、なんて?」


「トイレしたいって言ったんですー!」


「だから言ったのに……」


「はいはいわたしが悪うございましたー! でも仕方ないじゃん! 飲み物すてるとかもったいないし! 喉渇いてたし!」


「というか、背中合わせになったからってトイレ出来るってものじゃないでしょ……。何? この中でするつもりだったわけ? ……これだからヘンタイは……」


「うるさいなぁ! 非常事態だから仕方ないでしょ!」


「言わなくても気付いてると思ってたんだけど――これ、どこかで隠し撮りされてるかもしれないんだけど、それでもするわけ?」


「な――」


 そうだった、我々、映写部であった。ハグとか好きなところを三つ挙げろとか、そういうの……指示するだけに飽き足らず、絶対ナマで見たがる連中であった。


「……み、見えないようにするもん……」


「もん、て」


 そのためのスカートだ。


 しかし、さすがに向かい合った格好では恥ずかしすぎる。出るものも出なくなるだろう。その方がいいのだが――


「私たち、手錠で繋がれてるの、ほんとに分かってる?」


「分かってるけど――」


 別に、手伝ってもらう必要はない――はず――まあ、パンツを下ろす時に手が邪魔になるけれども――


「音、聞くなよ……」


「キモい……」


「ほら、そこにバケツあるから、それにするから――わたしだって恥ずかしいんだからなこの野郎! 察しろよ! 友達の前でするとか――、」


「友達じゃないし」


「今いらんわそのツンデレ! あぁもう――! お嫁にいけないわー!」


 感極まって下より先に目から水分が放出する。


「……お嫁にいけるつもりでいたんだ。見た目の割にメンタル乙女じゃん」


「うっさいわ……。責任とれよ馬鹿野郎……。わたしはもうするからな、ここでしてやる――」


「いや、もう、その話やめて。トイレすることより、ここから出ることを考えて。……ほら、何かないの? 馴れ初め思い出したんでしょ?」


「そう言われても……。さっきまでのパターンだと――うーん、制服のどこかに仕込まれてるとか? でもさすがに気付くよね――……やっぱり、せっく、」


「そこに跪きなさい」


「は?」


 急になんだ女王様か。


「あんたが跪いて、私がその上を越える。それで場所が入れ替われるはず」


「あぁ、なるほど――なんかイヤだな」


「目の前でおしっこ漏らすよりはマシでしょ!」


 言われ、わたしは大人しく彩月の前に跪く。両手は上に伸ばしたまま――彩月が私の肩を、頭をまたぐ――わたしの頭がスカートの中に。ここはエチケットとして目をつむっておこう。じゃないとパンツに激突する感触がリアルになってしまう。

 彩月がわたしをまたぎ、わたしの後ろに回る。腕が痛かったが、これでなんとか背中合わせの格好になった。


 ふう――なんだかようやく一安心できた気分だ――心も落ち着いてきた。おっと、油断したら一生の恥をさらしてしまうところだった……。




 ――そうして――マットの上に二人、背中合わせに座り込んでいるわたしたち。


 万策尽きた――何も思い浮かばないし、ヒントも見つからない。


 日が暮れかかっているのが分かる。倉庫内も暗くなってきて、ヒント探しも難しくなってきた。


 それから、


「……ちょっと、さすがに、もう、ムリ、かも」


「何が――って、ちょっと待って。そこで漏らすのはやめてよ。最悪、夜はそこで過ごすんだから! ほら、立って! バケツまで移動するから!」


 もう恥も外聞もない。おもらしするくらいなら、きちんと――


 これまでよりぎこちない動きで移動する。体育倉庫の隅にスチールのバケツが置かれている。清掃用だろう。あとでちゃんとキレイにするので、どうか今だけは――


「お……?」


「な、何!? まさかも、」


「違うわボケぇ! スマホがあったんだよ!!」


 中に何か入っていたらマズいと思い、バケツを覗き込んでみれば――わたしのスマホがそこにあったのだ。


「……なるほどね。水を飲んで尿意を覚える――それも織り込み済みだった訳か」


「んなこといいから早く電話!!」


 スマホを手渡す。後ろ向きになったせいで渡しづらかったが、なんとか彩月の左手がスマホを受け取った。


「そういえば私がするんだったわね。……自撮りは?」


「いるかッんなもん!!」


 ……いや、それでああだこうだ言われて手間取るより、さっさと撮って送ってしまった方が――


「パスワードは、」


「あ? パスワードは――」


 ロックを解除してから渡すんだった。ふだん指紋認証で開けてるからとっさに数字が浮かばない。スマホを取り返そうとすると、


「……何、この待ち受け。趣味わる……」


「はあ……!? 可愛いだろうが!」


 わたしのスマホの待ち受けは実家の愛犬、ブルドッグのパピルス。愛くるしい顔をしていながら知能も高く、わたしの言うことはマジでなんでも聞く優秀な相棒――それをこの欠陥ツンデレ女は……!


「キモ……。ていうか、そのクトゥルフセンスで可愛いとか言われてもね……」


「わたしの相棒になんてこと言いやがる! ――というか! パスワード教えただろっ」


「はいはい――そうね、そういうことね……なるほどね」


「何を悟った風に……! 最後までめんどくさいなぁ!」




 ――そうして――


 おめでとう、おめでとう――と、何かのアニメの最終回みたいなノリで、暗くなるまで外で待っていた先輩たちに出迎えられ、わたしたちは無事に体育倉庫を脱出したのである。


 先輩たちに言いたいことは山ほどあったし、むこうも何か言いたそうだったが、今のわたしにはそのような余裕はなく――彩月からスマホをひったくると、古い漫画の女の子みたいな走り方でその場を後にした。


 校舎に行くか、それとも体育館が近いか――期末テスト前で部活は休みだ。体育館は開いてないかも――しかし一縷の望みをかけて、体育館へと走った。

 幸い、授業で使ったからか体育館はまだ開いていた。真っ暗な体育館に突入し、トイレに駆け込む――トイレの電気をつけるという考えも、心霊現象に想いを馳せる余裕もなかった。薄闇に目を凝らし手探りしながら個室に入る。


 そしてわたしはついに、ありとあらゆるこの世の不幸から解き放たれ、心の平穏と自由を取り戻したのである……。


「……ふう……」


 よく、ここまで戦った。よく文明人として、乙女としてのプライドを守り抜くことが出来た。


 トイレの明かりをつけ、自分の敢闘を褒め称えながら手を洗い、鏡に映る清々しい表情をした自分と微笑みあってから――現実に戻り、監禁されていたあいだに親から電話でも入っていなかったかと、スマホを確認する。ふだんならもう家にいる時間だし、母から電話の一つも入っているだろう。


「――――」


 ディスプレイが点灯する。わたしは硬直した。


 着信が一件――それよりもまず、スマホの画面待ち受けにでかでかと表示された――


 いつぞやの、傘を差し佇む少女の横顔――


『……何、この待ち受け。趣味わる……』


『はあ……!? 可愛いだろうが!』


 つい先ほどの会話が脳裏をリピート。自分の顔が熱くなるのを感じた。


 誤解とはいえ、勘違いとはいえ――先輩たちにスマホのロックが突破されていたことよりも――自分の発言の一つ一つに、この上ない恥ずかしさを感じていた。


「何を……今さら……」


 もう一度トイレに戻ろうかと思ったところで、通知が一件――見計らっていたかのようなタイミングで、彩月から。


『盗撮すんな』


 というメッセージと、添付写真。


「……自分大好きかよ」


 腕で目線を隠し、口元と胸元をアップにした――どこかのエロ画像みたいな、二重の意味で頭のない……。


『センスのいい待ち受け』


『うっさいわナルシスト』


 ……わたしもエロ画像送ったろうかな――



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