エピローグ

大事な言葉

 目を開くと、そこは最近見慣れてきた拓也たちの家だった。

 起き上がると、すぐさまそれに反応した拓也たちが、水やら食事やらを運んでくる。



 勉強机に置かれたデジタル時計に目をやると、火曜日の午前十時。

 二人とも、学校と会社には行かなかったらしい。



 それも仕方ないことだろうなと思い、とりあえず渡された水を一気に飲み干した。



「………父さんは……」



 吐き出した息と一緒に出た言葉に、拓也たちの肩が震える。

 それで、大方察しはついた。



「まあいいよ。今はまだ、会う時じゃないってことだろうから。」



 助けに来てくれたくせに、目も合わせないまま去っていったということは、きっとそういうことなのだろう。



 言葉だけを交わしたあの闇の中でも、何をしているかは言えないと言っていたし。



 それに、なんとなく分かるのだ。



 自分にやるべきことがあるように、あの父にも、父にしかできないことがあるのだろうと。



「でも、お礼すらも言わせてくれないなんて……」



 そして、謝ることでさえも許してくれないなんて……



 思わず口から零れそうになったその言葉は、寸でのところで胸の内にしまい込む。

 眉を下げて微笑んでいた実は、心配そうな顔をしている拓也たちに目を向けた。



「拓也、尚希さん、今回はありがとう。二人が来てくれなかったら、きっと……俺は、踏ん切りがつかなかった。戻らなきゃって思いながら、ずっとあそこにいたんじゃないかと思う。本当にありがとう。」



「………」



 拓也たちは、しばらく茫然と目を丸くしていた。



「………」



 沈黙が気まずくなって、実は思い切り口をへの字に曲げる。



 珍しく素直に感謝したつもりだったのに、こんな反応が続くと自分の行為がだんだん恥ずかしくなってくるわけで。



 ついに耐えきれなくなって、実はそっぽを向いてしまった。



「ふっ……二人して何さ。いいよ、もう言わな―――どわっ!?」



 突如首と胸に走った衝撃に、実は大きくバランスを崩した。

 しかし、その体は倒れることなくその場にとどまる。



 認識できたのは、上半身にかかる温もりと、首に回された腕の感触。



「……へ?」



 なんとも間抜けた声が零れる。

 自分が拓也に抱き締められているのだと気付くまでに、ゆうに五秒は要した。



「ちょっ……拓也? どうしたの? おーい。」



 軽く拓也の肩を叩くが、拓也は全く反応しない。



「実、無理だ。拓也は今、感動を噛み締めてる。」

「か、感動?」



 聞き返すと、尚希は大きく頷いた。



「だってお前、この前初めて、拓也もオレも大事な人たちだって言ってくれただろ? その上こんな風に礼まで言われたんだから、嬉しいに決まってるって。オレだって嬉しさが余って、正直どんな態度を取ればいいか分からない。」



「この……前……」



 振り返って、イルシュエーレを説得するために言った言葉が一気によみがえる。



「―――っ」



 途端に、実の顔が熟れた果実のように真っ赤に染まった。



「いやっ……あれはっ、そのっ……だから…っ。うわああっ! 今さら、すっごく恥ずかしい!!」



 癇癪かんしゃくでも起こしたかのように、髪の毛を掻き回す実。



 何を言っていたんだ、自分は。

 いやでも、別に嘘ではないのだ。



 拓也たちを大事に思っているのは本心だし、イルシュエーレを説得するには、自分の素直な気持ちで向き合う必要があった。



 しかし、それを拓也たち本人に聞かれていたと思うと、急激に自分の発言が恥ずかしくなる。



 その恥ずかしさはぐるぐると頭を巡り、結果としてよく分からない焦りへ。



「拓也! いい加減離れなよ! ってか、今すぐ俺を一人にして! 後悔してくるから!!」



「なんで後悔するんだよ。いいことなのに。」



 拓也がふてくされたように唇を尖らす。

 それに実が顔を赤くしたまま怯むと、面白がった尚希がそこに加勢した。



「そうだよな。オレたちは嬉しかったんだぞ。あの素直じゃない実が、オレたちを大事な人たちだって―――」



反芻はんすうしないでくださーい!!」



 実が喚くが、拓也と尚希は笑うだけだ。

 しばらくその場には、実の叫び声と拓也たちの笑い声が休みなく響いていた。


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世界の十字路8~深き水底の愛~ 時雨青葉 @mocafe1783

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