慟哭
増田朋美
慟哭
その日も、暑い日だった。テレビでは、電気がどうのとか、大手の携帯電話で通信ができなくて、多くの人から苦情が寄せられているとか、そういう報道ばかりやっていた。もはや、携帯電話も、必需品の一つでもあった。それを持っていなかったり、使いこなせない人は、甚大な差別を受けることになる。ある意味では一種のジェノサイドと言えるのかもしれない。
その日は、有森五郎さんが、新しい座布団を納品するために製鉄所を訪れていた。新しく縫い上げられた座布団を見て、水穂さんは、ありがとうございますと言って、茶封筒を彼に渡した。五郎さんは、それを受け取ったが、すぐに中身を確認して、
「こ、こんなに、た、く、さんもらって、も、困ります。」
といつもの吃音者特有の口調で言った。
「いえ、いいんです。せっかく座布団を五枚も縫い直してくださったんだし、お礼はきちんとしなければ。」
水穂さんがそう言うと、
「で、も、定価、は、いち、ま、い、せ、んえんの予定、でし、た、よね。」
一枚千円がよく聞き取れなかったけれど、水穂さんは、
「いえ、構いません。僕からのお礼の意味を込めて、受け取ってください。」
と言った。五郎さんは、
「ひ、じょう、に、こま、る。」
と言ったのだが、それと同時に、製鉄所の、インターフォンのない玄関がガラッと開いた。
「おーい水穂いるか!ちょっと、すぐにレッスンしてやってくれないかなあ!」
そうやってでかい声で言いながら入ってくるのは、間違いなく広上麟太郎であった。というか、会う約束も何も取り付けないで、いきなりやってくるのは、麟太郎しかいないと言っても過言ではなかった。誰でも、会うときは、約束を取り付けるものである。守れるか守れないかは別のものとしても、会う時間とか、場所とかを決めるものである。それをしないのが広上麟太郎なのであった。
「広上さんですか。こんな暑いときに、何をしに来たんだろう?」
「も、し、よ、ければ、おいだ、し、て、きましょ、うか?」
水穂さんと五郎さんがそう言い合っている間に、
「こんに、ち、は。」
という別の男性の声がした。
「ぼ、僕、と同じ。」
五郎さんがそう言うと、
「水穂いるか!あのさ、すぐにこいつにレッスンを頼みたいんだ。こいつに、今度の夏の音楽祭で、演奏してもらうから、そのためのレッスンをやってほしい。いるんだろ?入るよ。」
という声が玄関先で聞こえてきたのと同時に、
「お、おじゃま、し、ます。」
という声も聞こえてきた。水穂さんは、立ち上がろうとしたが、同時に咳き込んでしまった。五郎さんが、
「むり、し、ないで。」
と言っている間、麟太郎は、どんどん上がり込んで四畳半にやってきてしまった。
「ほら、ここだ。さて、すぐにレッスンを始めようか。じゃあ、頼むぜ水穂。こいつをさ、思いっきりしごいてやってくれ。それでは頼むぜ。よろしくな!」
「よ、ろ、しく、おねがい、します。」
麟太郎と一緒にやってきたのは、なんと高橋喜朗さんであった。なんでまた彼がここにやってきたのだろう。
「じゃあ、早速、ピアノを弾いて、どのくらい仕上がっているか、見てもらってくれ。曲名は、もう新聞でも流してあるから、もう決まっているからな。」
麟太郎は、高橋さんを、ピアノの前へ座らせた。まだ咳き込んでいる水穂さんに代わって五郎さんが、
「ちょっと、ま、まって、くだ、さい。いき、な、りきて、どう、いう、こ、となんで、すか?なんで、また、よ、や、くもなし、に、ここへ、き、て、ピアノ、のレッスン、し、てくれ、なんて、い、いった、い、どういう、ことですか?」
と吃音者なりに急いで聞くと、
「何だ、テレビかなにかでも盛んにやってるけど、音楽祭の事知らないの?」
と、麟太郎は呆れた様に答えた。
「は、はい!知りません!ぼ、くも、み、ずほ、さ、んも、て、れび、をみま、せんから!」
五郎さんがそう対抗する様に言うと、
「そうかそうか。テレビの普及率はさほど高くない地域があるんだな。それじゃあ説明しよう。実は来月に、静岡市で、音楽祭があることになっている。そこで、うちのオーケストラも、出場するんだが、その時に、この高橋喜朗さんに、ソリストとして、出演してもらうことにしたんだ。曲は、これだ!見ろ!」
と、麟太郎は、カバンの中から楽譜を一冊取り出した。表紙には、チャイコフスキーと書かれている。
「な、んて、かいて、あ、る、んですか?」
五郎さんがそうきくと、
「見ても分かる通り、チャイコフスキーのピアノ協奏曲一番だ。第1楽章から、第三楽章までぶっ通しで弾いてもらうからな。それで水穂、今から、ここで聞いてもらって、なんか感想とか、直してほしいところとか、そういうことがあったら、バンバン言ってくれ!」
麟太郎は、すぐにそういった。
「何を言っているんですか。彼のような人を、舞台に出させて、演奏させるだけでも可哀想なことなのに、こんな難しい協奏曲を演奏させるなんて、酷すぎますよ。」
水穂さんがそう言うと、
「いや、大丈夫だ!これからの世の中は、障害があったって、何でもやれる時代じゃないか。パラリンピックの選手だって、一生懸命やっているんだからそれと同じだよ。それに俺は、こいつが、そういう障害があるってことは、隠さないで、公表しようと思っている。そのほうが、宣伝効果もある。そして、こいつのピアニストとしての知名度も上がる。それでいいじゃないか!さあ、レッスンを始めよう!」
麟太郎は、ちょっと興奮気味に言った。
「そんな事、誰も通用しませんよ。それに、障害を武器にして生きるという生き方は危険すぎます。中村久子さんのような有名人は特殊な成功者です。そういう人と、同じにしてはなりません。それよりも、冷たい視線とか、差別的な発言に耐えるということを教えていかなければ。」
水穂さんは、心配そうに言った。
「お前も時代遅れだなあ。まあ、お前も不幸な目にあったから、そういうことを言うんだろうが、でも今は違うぞ。障害や、不幸な境遇は逆に商売の元手になる時代だよ。もう、そういうやつが可哀想だとか、そういう時代は終わったよ。これからはバンバン世の中に出ていっていいと思うんだ。そのために、俺達が、こうして彼のレッスンを引き受けてやることが、正確な援助というものじゃないのか?だから、お前も、文句ばかり言ってないで、ちょっと、彼の演奏を聞いてやってくれよ。」
麟太郎があんまり言うので、水穂さんは、
「仕方ありませんね。では、第1楽章だけ。」
と言った。麟太郎は、よしきたと言って、高橋喜朗さんに弾いてもらうように言った。高橋さんは、ピアノの蓋を開けて、ピアノを弾き始めた。確かに、冒頭部分から、音は外していないし、ちゃんとチャイコフスキーらしく、壮大な演奏になっている。技術的に言えば何も悪いところはない。ただ、プロのピアニストにあるような、余裕しゃくしゃくと弾いているような感じはないけれど、でも、ちゃんと一生懸命やっているという感じがちゃんと伝わってくる演奏である。
第1楽章が終わると、五郎さんも、水穂さんも、丁寧に拍手をした。
「どうだ!すごいだろう!これでこいつがすごい実力があることを知ったなら、もうだめとは言わせないぜ。それでは、レッスンしてやってくれるか、頼むぜ水穂。もちろん、お前のレッスンを受けたことは、ちゃんと、プロフィール欄で紹介するつもりだから、ご心配なく。」
「残念ですが、僕はお力になれません。先程もいいました通り、障害があって、どうのこうのというのは、砂上の楼閣に過ぎないことであって、とても強運の持ち主でなければ成功しないんです。そんな大掛かりなことを、させるわけには行きません。」
麟太郎がそう言うと、水穂さんは、そういった。すると、五郎さんが、
「い、い、じゃないです、か。僕、は、とても、か、んどう、し、ました、よ。それに、ぼ、くたち、は、さ、かだち、し、ても、できない、ことですか、ら、ぼ、くとしては、応援、し、たいです、よ。」
と言った。
「ほら、五郎さんだって、そう感想を言ってるじゃないか。お前も、逃げないでレッスンしてやってくれよ。こいつは、きっと、五郎さんにとっては希望の星なのかもしれないぞ。」
麟太郎はすぐ五郎さんの話に漬け込んでそういうのだった。水穂さんは、少し考えて、
「残念ですが、僕は、無理です。体が思わしくないので、とても、このような大曲、最後まで見きれませんよ。本当に、申し訳ないのですが、僕は辞退させていただきたいです。」
と言った。
「それならどうするんだ。他に、レッスンしてくれるやつを探すのか?」
麟太郎が当たり前のことを聞いた。水穂さんは、疲れた表情ではいといった。
「残念だなあ、お前に見てもらえばお墨付きだと思ったのに。水穂、お前もな、ただの人ではナイってことはちゃんと自覚してくれよ。お前だって、世界一難しいと言われた、ゴドフスキーを弾きこなしたという偉業があるんだからな。そこを強調させれば、お前だって、ピアニストとしてまだまだやれるんだぜ。だからさ、体が思わしくないなんて、そんな事言ってないで、サッサと体を治してさ、また演奏しようという気になってくれよ。な、これからの音楽のために頼むよ。」
「申し訳ないですけど、もう無理なものは無理ですよ。」
水穂さんは、それだけ言って、また咳き込んでしまうのであったが、
「で、も、こうし、て、みず、ほさん、に、会いに、きて、くれる、のだから、いいの、で、はありません、か。みず、ほ、さ、んだって、必要と、されて、い、るんです、よ。」
と五郎さんが、水穂さんの背中を擦りながら、そういうのだった。それを聞いて麟太郎は、涙が出そうな程であった。
「ありがとうな。まあ今回は、お前の体が心配だからここまでにするが、次は必ずレッスンしてやってくれよ。お前は、今でもピアニストなんだからな。お前を必要とするやつはいっぱいいるさ。だからそれを忘れないでくれよ。」
水穂さんは咳き込みながらはいとだけ言った。とりあえず、麟太郎は、喜朗さんを連れて、製鉄所をあとにした。それでも、麟太郎としては、音楽祭に、喜朗さんを出させるのに当たって、ピアニストらしいプロフィールを作りたかったから、どうしても誰かに一度師事してほしいという気持ちがあった。
その次の日。麟太郎に言われて、喜朗さんは、富士駅にいた。手には、「沼津市、前原」というメモ書きを持っている。前原というのは、麟太郎が、行くようにと指示した女性の名前であった。沼津駅から歩いて15分くらいのところに住んでいるという。麟太郎に言われたとおり、車の運転ができない喜朗さんは、電車に乗って、沼津駅へ向かった。沼津は富士駅から電車で20分程度だ。電車はラッシュ時間では無いのに、たって乗る人がいるほど混雑しているが、それは気にしないで、電車に乗った。しかし。
ガタン!と音がして、電車は止まった。それと同時に間延びした車掌のアナウンスが、
「只今、前の電車が遅れていますため、その調整のため停車しております、、、。」
と聞こえてきた。五分くらいであったら良かったのだが、電車が動き出したのは、15分くらいあとであった。しかも、沼津駅の直前の片浜駅でしばらく止まっているという。喜朗さんは、それではレッスンに遅れてしまうと思ったので、片浜駅へ電車を降りた。そしてタクシー乗り場に向かったが、考えることは皆同じ。もう長蛇の列ができてしまっていた。それと同時に正午を告げる鐘がなる。約束の時間は、11時30分だったのに、もう30分も過ぎている。
喜朗さんは、紙を取り出して、前原先生の電話番号を書いた。そして、前方を走ってきた人に、
「す、すみません!」
と、急いで言った。
「か、か、わ、り、に、」
「はあ、何だ。悪いけど、こっちも、この事故でそれどころじゃないんだよ。そういうことは、駅員に頼めば?」
喜朗さんがそう言っても、その人は、冷たく通り過ぎてしまった。喜朗さんは言われたとおりに、駅員のいる駅の事務室に行き、駅員にお願いしようと試みたが、他の乗客の、切符の払い戻し対応とかで、忙しく、それどころでは無いらしい。
「す、す、す、すみま、せん!」
と急いで、駅員に言うが、これが沼津駅だったら、もっと早く対応してくれるのかもしれない。でも、片浜駅には、駅員が一人しかいないのだった。喜朗さんは、急いで、前原先生の電話番号を書いて、少し遅れていますが、必ず参りますと、こちらに連絡してくださいと紙に書き、駅員に渡した。駅員は、払い戻し対応でそれどころではなさそうだったが、それでも、喜朗さんは、そうしなければだめであった。駅員はそれに気がついてくれて、今するからねと言ってくれたけれど、その前に、電車が動き出す見通しを聞く人とかが多すぎて、なかなか電話をすることができないでいた。
「今しますよ。ちょっと待ってて。」
駅員は、やっと、前原先生のお宅へ電話をかけてくれた。
「もしもし、こちらに、口の聞けない方が、電話をかけてくれと仰っていますが、、、。」
駅員がそう言うと、中年の女性の声で、
「ええ、もう40分も遅れておりますので、とりあえず今日は、もうお断りとお伝え下さい。」
と聞こえ、電話はガチャンときれてしまった。駅員が、その旨を喜朗さんに伝えると、喜朗さんは反論する気力もなくなって、
「あ、あ、あ、ありが、とう、ござい、ました。」
と言って、片浜駅をあとにした。もう汗びっしょりだった。とりあえず、止まっているのは、上り線だけで、下り線は特にかわったこともなく、平常通り動いていたから、すぐに帰ることができた。下り列車は、上り列車に比べると格段に空いていた。喜朗さんは、麟太郎に、お礼をするのも忘れて、無言で富士駅で降りた。
翌日。喜朗さんは、製鉄所に来ることは来た。どうやら、本人の話によると、家族に急かされてきたらしい。多分家に閉じこもられていても困るとか、そういうセリフを言われてここへ来たのだろう。なんだかひどく落ち込んでいるようで、彼に質問をするのも、話させるのも可哀想な感じがするほどだった。もう、ソリストの話とか、そういうことをしても何も言わなかった。確かに、障害があると、時折そのせいで、大変な悲しみを負ってしまうこともあるが、それを理解することは誰にもできないのである。同じ吃音者である五郎さんは、その日は別の場所で座布団を納品するといって、製鉄所には来訪しなかった。それもなんだか、嫌だなという気がしたけど、彼を責めるわけにも行かないのだった。
喜朗さんは製鉄所の中庭で一人で声も出さずにないていた。もうワーンと泣いてしまえる方がまだ正常なのだった。それができるのは、ある意味恵まれていることでもあった。喜朗さんもそうしたかったけれど、それは他の利用者の迷惑になるからと思ったのか、それはしなかった。ただ、黙って、無声慟哭しているのだった。
すると、不意に前方に焼き芋が差し出された。なんだろうと思って喜朗さんが顔をあげると、白い手が焼き芋を持っている。その主は、水穂産であった。
「う、うし、ろ、先生。」
喜朗さんは思わず水穂さんに言った。水穂さんは、彼を縁側まで連れていき、そこへ座らせて、
「大丈夫ですよ。偉い人は、いかに自分勝手なのか、僕も知ってます。だから、お声掛けようか随分迷いましたが、でも、お元気になってほしかったから。」
と優しく言った。
「ど、ど、どうして。」
喜朗さんはびっくりしてそういった。彼にしてみれば、麟太郎のような、偉いコンダクターと言葉が交わせるのだから、水穂さんが、なんでこのようなセリフを言ったのか、不思議で仕方なかったのであった。
「偉い人は、本当に無責任で、自分勝手です。無責任って叫んでも、こちらのほうが悪いと言わなければ解決できないこともある。諦めるしかないこともありますよね。」
水穂さんは優しかった。喜朗さんは、差し出された焼き芋を、震えた手で受け取った。
「あ、あの。」
「いえ、気にしないでください。きっとあなたのような方ですから、なかなか僕の言うことを信じてはくださらないと思うけど、でも、そういう不運は、僕も経験したことありますし。何の慰めにもならないかもしれないですけど、受け取ってほしいです。」
「あ、あ、ありがとうございます。」
喜朗さんは、焼き芋にかぶりついた。
「あ、ああ。」
熱いと言う前に、飲み込んでしまわなければならないかと思った。
「急いで食べないで、ゆっくり食べてください。食べるとまた、脳の環境が変わるっていいますし。」
水穂さんはにこやかに笑っていった。確かに、その顔は人間の顔で間違いなかったが、どこか青白くて、普通の人間では無いような気がした。そうなると、水穂さんが言った言葉も、偉い人の無意味な慰めと違い、本当に一緒に泣いてくれるとして言ってくれた言葉なのかもしれなかった。
「ああ、あの。」
喜朗さんは、質問したいようだが、質問になっていなかった。そういうことは、吃音者によくあることなのだが、非常にもどかしい言葉になってしまう。
「仕方ないしか、結論は出ないと思いますけど、その過程に至るには、本当に大変だと言うことは知ってます。そういう人がいてくれれば、また違うと思います。」
水穂さんは、自分が力になるからとか、そういう格好つけたセリフは言わないで、ただ、同じ経験をしたといっただけであった。でもそれだけでも、喜朗さんにとっては、大きな力だと思われた。もう一回ピアノレッスンに行けとか、気にしないでどんどん自分を売ればいいとか、そういうアドバイスもいらないから、ただ、さり気なくそばにいてくれるのが一番いいのだった。そういうことは、なかなか一般の人にはできないものであった。
「ありがとうございます。」
と、喜朗さんは、水穂さんに言って、涙を拭いた。
慟哭 増田朋美 @masubuchi4996
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます