第11話 同じ匂いのする人

 乱の家へ帰っている途中、雨がポツリポツリと降ってきた。降り始めたかと思うとあっという間に本降りになり、三人は乱の家へと急いだ。

 家に入るとすぐに濡れた体を拭いた。

 せっかくひな菊に着付けしてもらった着物が、またも惨めな姿になってしまった。咨結のざんばら髪も雨に濡れてぺしゃんこになっている。

 居間へ入ると乱はおらず、見知らぬ女性が座っていた。

「やっと帰って来おったか。客人に会いに来てみれば誰もおらんからどうしたものかと思っておった」

 女性はミドルボブくらいの髪で、丸眼鏡を掛け、着物に身を包んだ可愛らしいお姐さんといった感じだった。だが、見た目とは違って、話し方は意外と古風なようだ。

「お前、役まわ……仕事はもう終わったのか?まさか乱を置いて来たのか?」

 天外は少し嫌味っぽく言葉を返す。

「ふん、あやつとは一緒に仕事はできん。白木蓮が居れば十分じゃろ。とっとと帰って来たわ」

「わざわざ呼びに行ったのに勝手に戻って来たのか?こりゃ乱の苦労も絶えないな」

「苦労しているのは巽ではなく、むしろわしのほうじゃ。何かと干渉してきては口を出してきおる。どこかの来たばかりの奴にも言われとうないのう」

「相変わらずひねくれてるな。……それより、彼女が例の客だ」

「ひねくれているのはお互い様であろう。お前に言われなくても、誰が客人か見ればわかるわ」

 天外は、はぁ、とため息をつき、明衣の性格についていけないとばかりに頭を小さく振る。

「お前といると疲れて困る。咨結、俺は仙夾の所へ行ってくるから留守を頼むぞ」

 カリンも二人の気まずい空気に息が詰まりそうになっていたため、天外が出かけて行って少しほっとした。どうも緊張感のある空気は苦手なのだ。

「ふむ、巽と天外の二人が不在とはせいせいするわ」

 明衣と呼ばれた女性は溜息をつくと、立ち呆けているカリンに向き直り口を開いた。

「わしは巽の知り合いで、怪しいもんではない。名は明衣あかはと申す。あなたさんがカリン殿ですな」

 そして 両手をついて頭を下げた。頭を下げられてはカリンも同様に返さなくてはなるまい、カリンは生まれて初めて見よう見まねで両手をついた挨拶をした。

 しかし、この女性は一体誰なのか。天外は何も教えてくれないまま出かけてしまった。

「ふむ、恐がらんでもいい。ひな菊があなたさんの身請けを断ったら、本来ならわしが身請けする話じゃったけぇ、突然巽が自分で身請けすると言い出しおった。理由も話さんけぇ、せめてあなたさんに合いに来た」

 明衣は咨結の頭を優しく撫でながらそう説明した。

 明衣は咨結ともすでに顔見知りのようだ。咨結がなついているならきっと悪い人ではないだろう。

「おや、そういえばその着物どうしたんじゃ?ななおが着ているものとずいぶん似ておるが」

「色々あって……ななおさんに借りました」

「ああ、巽が用意したものが気に食わんかったのじゃな」

 カリンは説明しようとしたのだが、大きな口を開けて笑う明衣の声にかき消されてしまった。

「ところで、巽にあなたさんの縁者を探すよう言われておるが、どうしてまたこんな世界に留まりたいと思うた?ここは地獄とも言われる死者の世界というに、早く現世へ戻りたいと思わんのかえ?」

「じ、自分に縁のある人が誰なのか知りたくて……」


”———因縁なんてどうでも良い———”

 

「とするならば、やはりこの世界の住人に呼ばれたと考えるのが自然でありましょうかの。誰かに心当たりはあらんせんか?」

「心当たり……」

「あなたさんの親族でも、そうそう現世の者がここに呼ばれることはない。親族以外の、より強い因縁を持つ誰かのはずじゃ」

 明衣は髪を耳にかけ、眼鏡を掛け直す。

「ここの住人どもはとても執着に執着しておるからのう。まずはそれを手掛かりに探すしかあるまい」

「執着に執着?」

「現世で報われなかった後悔や妬み、苦しみといった苦悩を持ったままここへ来ると、その感情はずっと現世にしがみついたままになってしまうんじゃが、詳しい話は巽から聞くと良い」

 この古めかしい話し方をする明衣は、外見の落ち着いた雰囲気とは反対に、ちゃきちゃきとした世話好きの姐さんといった感じだが、どうも空気も一変して騒がしくなっているような気がしてならない。

 この場に居るだけで、自分の中の重苦しい気分から解放されているような気分になる。

 単に、その落ち着きのない空気に圧倒されているだけなのかもしれないが。

「しかし、おぬしは大人しいのう。まるで本当に死んだ者みたいじゃ。巽や天外らとは正反対で、おぬしも可哀想よのう」

 ”死んだ者みたい”という言葉の意味は、つまりそれだけ存在感がないということ。明衣の歯に衣着せぬ物言いに、カリンはタジタジになる。

 だが、自分の想いに理解を示してくれたことは、何よりも心が軽くなった。

 そこに、玄関が開く音がした。

 明衣に視線を移すと、どこにあったのかいつのまにか手に錫杖を持っていた。

 一人、二人……。足音が近づいてくる。

「誰じゃ!」

 相手が部屋に足を踏み入れた瞬間、明衣は手に持った錫杖を相手の喉元につきつけた。

 足音の正体は乱と天外だった。

 手元や足元は、まだ止まない雨に濡れてしまっている。

「俺の家だ、俺に決まってんだろ……」

 乱は呆れ気味に答えた。

 明衣も、正体が誰かわかると、乱の喉元から錫杖をどかした。そして、「カリン殿、こちらへ!魂が汚れますけぇ!」と、カリンを自分の後ろへと隠す。

「汚れるって……。それより、先に帰ったと思ったらうちに居のか。俺に会いに来てくれたんだな?」

「どうしてそうなる?死んでもあり得んわ!」

 

(死んでもって……)

 カリンは思わず突っ込みを入れた。

 

「そう照れるな」

「おぬしには照れておるように見えたか。それはすまんのう。こういう顔じゃけぇ仕方あるまい。変に気を持たせてしまって悪かったが、丁重にお断りさせてもらうけぇ」

「そう言われては潔く身を引くしかないか」

「身を引くだけと言わず、この世から消滅してくれて構わんよ」

 カリンと話していた時の明衣とは打って変わって、乱にはやけに突っかかっていく。ななおと天外の間柄のように、乱と明衣の仲も悪いのだろうか。

 目の前で繰り広げられるちょっとした言い合いに圧倒される。

 だが、どことなく、二人とも楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。

「そうじゃ、こやつがまだ話していないようじゃが、修羅界に来る魂達ものたちは単に苦悩へ執着した者だけでなく、因果応報による執着を持つ者もおる。そやつらはお主を襲ってくるかもしれん。見た目の姿で判断せず、かつ見た目の姿に騙されぬよう、十分注意する事じゃ。誰でもそう簡単に人を信じてはいけませんえ」

 明衣の言った事に対して、また乱が何かを言うのかと思い、次の言葉を待つがなかなか聞こえない。今回の明衣の言った事は間違っていないという事なのだろう。

「理不尽な輩二人が戻って来てはたまらん。カリン殿に挨拶は済んだ故、今日はこれで帰らせてもらう」

「なんだ、今日は手合わせはなしか?楽しみにしてたのになあ」

 乱は背を向けた明衣の錫杖をさっと掴むと急に真剣な表情になり、明衣に顔を近づけ小声で話し始めた。

「むやみにその錫杖を取り出すな。この前、妄執を取り逃がして、まだ浄化してないんだぞ。他の関係ない魂が道連れにされでもしたらどうする?!役回りは一人ではできない。必ず他の者と手を組んで役目を果たすように」

「そういうおぬしも、カリン殿にしっかりとこの世界について説明を果たしておけ!」

 

 明衣が帰ると乱は溜息をついた。

「明衣はあんな性格だが、面白い奴だったろう?ただ、あいつは信用できないと思った奴はとことん嫌いでな。まぁ、結論から言うとあいつが気を許せる奴はほとんどいないが、お前に会いに来たという事は何か気に入られたみたいだな」

「そういう明衣は乱のお気に入りだよな。よくあんなのの面倒見ようと思うよ。ほら、仙夾の所から受け取って来た」

 そう言って天外は仙夾から受け取って来た着物をカリンに渡した。いきなり差し出された上に、どかっと両手に乗せられて、よろよろと姿勢を崩す。その様子を見ていた乱は手を出して支えてやる。そして荷物を部屋に置いてきたらどうかと促した。

「面倒を見てるんじゃない。気がかりなんだ。何か助けを必要としてるのに、明衣の性格がそれを邪魔してる」

「俺にはまったく理解できないね。そんなことばっかりしてるから、舞鶴にも勘違いされているんだろうが」

 天外は我関せずと言った風に、縁側に寝転んだ。

 階段を上っていく音が聞こえてくると、天外はタイミングを見計らったように口を開く。

「今日、現世での友人を見つけた」

「あいつが自分で縁者を見つけたのか?」

「ああ、聞いたことがある声がするってな」

 乱は手を顎に当て、訊ねる。

「それは吉報。どんな様子だった?」

「そりゃ喜んでたよ。だけどどうして会いたいと思うんだろうな。どうせ現世へ戻ったって、その友人はいないだろ?」

「会えないからこそ会いたいと思うのは当然だろう」

「いや、もう会えないんだから会う必要はないだろう。たまたま友人がここにいたから会えたものの、もういない奴の事を思い出す必要はないだろう。縁は繋がっているわけだし、また来世で会えばいいだけの事」

 むしろ俺の言い分の方が当然だ、というように淡々と言い放つ天外。対して呆れるように頭を振る乱。

「縁が繋がっているからと過信して、ないがしろにしていいって訳じゃない」

「はいはい、わかってるよ。俺が言いたかったのは、癒えた傷がまた開いても俺は知らねぇって、こと」

 身近な人、それも大切だった人ならなおさらで、失った心の穴を埋められるのは時間の経過。長い時間をかけてせっかく癒えたのに、再会することで、再び穴が開くのではないか、という天外なりの思いやりだった。

「……」

「なんだよ?俺の言った事に納得でもしたか?文句なら受け付けないぞ」

「ああ、お前の言うことも一理あるな。だが、自分で友人を見つけたということは、もう少しではず……」

「しかし、どうやって現世に居る吉良って奴を探せばいいんだ?何かと厄介な人物を身請けしたもんだよ、お前も」

「ああ。だからお前にあいつの世話役になってもらった。役回りをしている俺には、つきっきりであいつを守り切れないからな」

 天外は横になっていた体を起こし、乱に訴えるような眼差しを向けた。

「彼女がここの住人の輪廻を回すのに重要な役割を持っていると言うが、そのためにここに居るっていう事か。輪廻が回るとどうなるんだ?厄介な人物が危険な目に遭うかもしれないっていうのに、早く現世へ戻さないのはおかしいだろ」

 カリンが襲われたことを正直に伝えるつもりでいたが、乱は何か自分に隠している事があると直感した。ふいに自分もこの失態を隠しておきたいという気持ちに変化した。

 正直に伝えたら自分の失態を咎められ、乱が自分の元から去ってしまうかもしれない、という不安が襲う。

 もし、乱が去って行ってしまったら、もし自分を身請けする人がいなくなってしまったら、自分は居場所がなくなってしまう。そう思うと、乱を繋いでおくには、自分も乱へ隠し事を持つ事で平等でいたい。

「どうした?そんなにあいつが邪魔か?」

「ただ……ここの住人と現世の魂、どっちが大事なんだよ。乱……俺に何か隠していることがあるだろ?話してくれないと俺も動きようがない」

「わかってる。天外にはすでに色々と助かってるよ」

 乱は天外の隠し事を知る由もなく、笑顔で天外の働きを労った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あなたのあなたに 花鳥風月 @kachofugetsu-2022

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ