第10話 迷子

 カリンの視界を遮った女性は、苦虫を噛み潰すようにゆっくりと言葉を絞り出す。

「あなたですか、乱さんが忙しいと言っていた原因は」

 突然、見知らぬ女性からそう言われて目を丸くする。

「ら、乱さんの知り合いの人ですか?」

 とりあえず質問をする。

「ええ、そうです。ただの知り合いですが」

「乱さんなら家に。天外さんと咨結なら今さっきまで……」

「知ってるわ。だってあなたの後をけてきたんだから。ちょうどそこで騒ぎが起きたのは都合がいいわ」

 女性はカリンの肩をわざと押し、そして冷ややかにくすりと笑った。

「この前、乱さんのお宅を訪ねたら忙しいと追い返されました。理由を聞いたら大事な客人が来たからと。だからどれだけ過去世に執着している方なのかと思って見に来てみれば……の人じゃないですか!あなたは乱さんの縁者ですか?それとも記憶がなくてただ身請けされただけ?あなたに説明する義理はありませんが、私は今までたくさんの恵まれない人達を見てきました。心が歪んでしまった人たちを。乱さんはそういう人達を条件として身請けしているのに、あなたはなぜか普通過ぎます。無難な人生を送れてるのにどうしてここに来たの?まともな人生を送れた有難みに気付かないなんて、欲深いと思いませんか?」

 女性の言うことは全く意味のわからないことばかり。カリンは何度も口を開きかけたが、女性は口を挟む間も与えてくれない。

 女性の声は怒りに任せてどんどん荒くなるが、あちらの騒ぎで誰もこの二人の状況に気付いてくれない。


「普通の人生を送れた人は、些細な事ですぐに音を上げるんです……。あなたが普通だと証明してみせましょうか?」

 女性は懐から何かを取り出すと、カリンに向かって勢いよく振り下ろした。

 カリンは本能的に手で顔を庇う。

 それは一瞬の出来事で、目を開けると顔を覆った方の袖が切れていた。女性が持っていたものは短刀だった。


”やっと、私が消えられる———”

 

 理由はともあれ、これから自分がどうなるだろうか理解するとカリンの心は肩の荷が下りたように、何も感じずとても軽くなった。こんな自分とやっと別れられる、何か重いものからの開放感。何の抵抗もせず、ただ女性の刃を受け入れる。

 

(な、なんなのこの子!どうして避けない?……?)

 

 普通なら恐がり、それなりの反応をするはず。

 短刀を握った手は再びカリンへと振り下ろしていたが、自分の思っていた反応は得られず、カリンの動じない態度にむしろ女性の方が動揺した。

 短刀を握った手が止まる。

 そのとき女性とカリンの目が合った。

 覚悟を持つ者と持たない者の違いは、互いに見ればすぐにわかる。

 女性の、恐怖心にも似たその潤んだ目は、カリンの頭にある言葉を呼び戻した。

 

 ”今まで辛かったろう———”

 

 その言葉で感覚が正常に戻ると、カリンはようやく今の状況に恐怖を感じ、本能的にその場から駆け出した。路地に入り、角を曲がり、とにかく女性から逃げるために走った。



 ◇

 

 

 身を隠せそうな材木置き場が目に入ると、息が切れながらもそこへ身を隠した。

 女性は追ってきていないようだった。息を整えながら、今さっきの一連のことを思い出す。幸い着物が切れただけで、怪我はしていなかったが、一歩間違えれば死んでいかもしれない、とカリンは身震いした。そして修羅界というこの世界で、今一人になってしまったことに不安と恐怖を改めて感じた。


 天外に動くなと言われた場所から離れてしまったが、探してもらえるのだろうか。ここからさっきの場所に戻ったとしてまたあの女性が待ち伏せていないだろうか。いや、もうどこをどう来たのかわからないから戻れない。

 見つけてもらわなかったら、これからどうすればいいだろう。

 色々なことを考えているところに上から声が降って来た。

 

「お嬢ちゃん?」

 

 カリンは驚きのあまり体がびくっとした。

「こんなところで何してんだい?まさかかくれんぼなんてしてるんじゃねぇだろうな?」

 中年くらいの、顔と腕に模様が入った男性が、カリンを覗くようにしながら立っていた。

「こんなところに居ると危ねぇぞ」

 男性は木材の下に隠れているカリンをじっと眺めると、こう言った

「……嬢ちゃん、じゃねぇな」

 カリンはそう言われ、心臓が止まるほど驚いた。

 現世の人間だと知られてはいけない———。

 さっきの女性のようにまた襲われるかもしれないという恐怖から、その場からまた駆け出した。

「おい、待ちな!天外は……」

 逃げていくカリンに向かって何か話しかける。だが、追って行こうとまではせず、ただ、走って行くカリンの後ろ姿を見えなくなるまでずっと目で追っていた。



 カリンは足の疲労から足がもつれ、地面へと倒れ込んだ。

 ゆっくりと体を起こし、地べたに座りこむ。汚れを払う気力も出てこない。


 「不幸になるために生まれてきたんじゃないのに……」


 カリンは思わずポツリと呟いた。

 人と違う自分の今まですべてが惨めな気分になる。何をやっても悪い結果ばかり。消えてしまいたいと思っていたのに、その自分に反して逃げ出してしまった事すらも惨めでたまらない。やっぱりあの時、刃物で切り付けられていればきっと、きっとこんな苦しい思いをしなくて済んだだろうと後悔した。

 どうして生きていてもろくなことがない自分が存在しなければいけないのか、意味が分からな過ぎて悔しさのあまり涙が落ちる。

 ポタポタと落ちた涙は地面を濡らしていく。音も立てず、誰にも知られることなく静かに、静かに。

 

 

 遠くから誰かが近づいてくる足音が聞こえてきたが、あの女性だったとしてももうどうにでもなれと言ったふうに、地べたに座ったまま逃げようとはしなかった。

 

「おい、ここで何をしている?」

 それはななおだった。

「こんなところで一人で何をしている?巽や天外と一緒じゃないのか?」

 ななおはの淡々とした話し方は相変わらず威圧感を感じる。

「何があった?」

 カリンは言おうか言うまいか戸惑っていた。いくら会ったことがあるとはいえ、まだ一回しか会ったことがないのに、すぐに頼ってあれこれ話して迷惑ではないだろうか。

 ななおはじろりとカリンの姿を下から上まで観察した。

「巽のところへ送って行ってやってもいいが……その前に着いてこい」

 そう言うなり、地べたに座り込んでいるカリンを引っ張り起こした。


 ななおのことはまだあまりよくわからない。さっきの一件のこともあるし、普通なら完全に信用できるわけがないのだが、人と接することが苦手だった半面、いつもすぐに人を信用してしまうのはカリンの悪い癖でもあり、いいところでもあった。


「浮世はどうだ?幸せにやっているんだろう?」

 思わぬ唐突な質問に頭が真っ白になる。胸を一突きされたような感覚だった。どう返答しようかと考えると言葉に詰まる。

「つまらない質問だったな」

 ななおはカリンの口ごもる態度から察したのか、それ以上話を続けようとはしなかった。


「今一度聞くが、さっき何があった?どうして一人でいた?」

 ななおの質問にカリンは再び押し黙る。そしてまた思いを巡らす。ななおに話してしまって迷惑がかからないだろうかと。

「服が二か所も裂けている」

 ななおの言葉に、カリンは慌てて自分の着物を確認した。一か所は自分でもわかっていたが、もう一か所とはどこだろうか。

「何かあったとしか思えない」

 ななおが言う通り、確かに袖の他に袴が切れていた。ひだで隠れているおかげで、あまり目立たない位置だった。

 

 ななおの態度は少しぶっきらぼうなようではあったが、思ったよりも親切な人なのだと思った。そんなななおの横顔を改めて見ていると、なんと品のある整った顔だろうか。あまりに綺麗すぎて自分と世界が違うほどだ。一緒に歩いているのがとても嫌になる。

 だが、よく見ると体もすらりとしるが、華奢なようにも見える。

 

「私の顔が何か?」

 ななおは前方を向いたままでも視線を感じたのだろう、何の用だと言わんばかりの言い方をした。カリンは慌ててななおから視線を外す。

 助けてもらっておきながら質問に答えないのも失礼だと思い、経緯を少しづつ話し始めることにした。


「———それは多分舞鶴だな」

 一通りカリンの話を聞き終わると、ななおはただ一言そう言った。



 ◇



 ななおの家に着くと、早速ひな菊が出迎えてくれた。

「あら、ななおとカリンちゃん。意外な組み合わせねぇ。なんだか浮かない顔をしてるけど天外と咨結はどうしたの?」

「例の騒ぎで二人とはぐれ、そこで舞鶴に襲われたらしい」

「え?襲われたって……妄念にじゃなくて伊佐治さんのところの舞鶴さんに!?でも天外がいつもついているって聞いていたけど」

「どうせ彼女を放って自分だけどこかに身を潜めていたんだろう。身の上が訳あり人間だからな。それより、着物が破けているから着替えさせてやってくれないか」

「あら、ななおが私以外に親切にするなんて珍しいわね」

 そう言ってひな菊は嬉しそうにななおの頭を撫でた。



「ななおがうちに連れて来てくれて正解だったかもね。こんな姿、乱に見つかったら大変だったわ!せっかくのお召し物、とても似合ってたのに残念ね……」

 ひな菊は箪笥をゴソゴソと探りながら、カリンのボロボロな姿を見て嘆いた。

「それにしても本当に大人しい子ね。乱や天外とは全く正反対。物静かな子っていつも落ち着いてて知的よね。羨ましい」

 そう言ってひな菊は、長襦袢姿のカリンをぎゅっと抱きしめた。

「それにしても天外ってば、どうしてカリンちゃんから離れたのかしら。あ、ななおの言ってたたことは嘘よ。あの子、ああ見えて乱には忠実なの。だからカリンちゃんを放っておくなんてことは絶対しないはずなのよ。頻繁にがあるから、現世の子から目を離すことも危険だって十分わかってるはずのに」


 ひな菊はとても優しい。そして綺麗で淑やかで品がある。だが、面倒見もよく、物腰が柔らかいから、ななおと違って一緒にいてもあまり緊張せずにいられた。

「迎えなら絶対来るから大丈夫よ。さ、できた」

 ひな菊が着せてくれたのは男性用の紺の着物に灰色の袴だった。

「私のは少し大きいでしょうから。華やかさが足りないけどななおの着物で許して頂戴ね」

 そう言われれば、確かにななおはひな菊と比べて一回り小さかったかもしれないと思った。

 その時、玄関のほうから騒がしい会話聞こえた。そしてその会話は足音とともにだんだんとこちらに向かってくるのが分かった。

「勝手に上がり込んできたと思ったら、今度は勝手に歩き回るのか!どこまで礼儀をしらない奴なんだ!」

「だからお前に用はないって言っているだろ!俺が用があるのはお前じゃない」

「あの現世の者がいなくなったのは自分の責任だろう!その現世の者を保護してやった我々に、まず礼を言うのが当然じゃないのか?そんなことも過去世で学んできていないとは、毎回とんだ茶番な輪廻だな!」

「俺は遊びであの場を離れたんじゃねえ!こっちの立場も知らないくせに!」

 カリンとひな菊がいる部屋の障子がいきなり開けられたかと思うと、天外と咨結の顔が目に飛び込んできた。


「ちょっと!失礼じゃない!着替え中だったらどうするのよ!いきなり開けるなんてやめて頂戴!しかもカリンちゃんが怯えてるわ」

「……っ!ここにいたか…良かった……!」

 天外はひな菊に何か言い返そうとしたが、カリンが視界に入るとどうでもよくなった。その場に膝から崩れ落ち、心底ほっとしていた。

 カリンも見慣れた二人の顔を見て心の底からほっとした。まるで親の迎えを待つ子供のような気持ちだった。咨結はカリンに抱き着いて来て、全身で嬉しさを表現していた。


「カリンちゃん、とても寂しがってたわよ」

「お前、少し口閉じてろ!」

「恩人に向かってなんていう言い草!」

「ななお、いいから……」

 天外とななおの口げんかがまた始まる。仲が悪いのだろうか。

「もう、二人ともやめなさいって、ほらほら……」

 手を出し始めた二人にまたひな菊が割って入ってなだめる。天外は肩を掴んできたななおを、逆に突き飛ばした。するとななおはその勢いで倒れそうになり踏ん張って堪える。するとちょうどそこにいたひな菊の足を踏んでしまった。


「いい加減にしないとぶっ飛ばすよ……」


 騒がしかったその空間にどこからかトーンの低い声が聞こえると、ななおと天外はすぐにぴしゃりと口を閉じた。

 カリンは誰の声かわからず、自分の後ろや部屋のなかをぐるりと見まわす。天外ともななおとも違う低い声。まさか咨結?

 そのカリンの様子に天外はにやりとし、涼しげな顔をしながら、ひな菊を指さしてこう言った。

「こいつ。女の姿に見えてるかもしれないが男だからな」

「人を指さすなんて失礼だろ!魂の姿に男も女も関係ないだろう!」

「天外ってば意地悪ね!私に優しくしてくれるのはカリンちゃんだけね!」

 ひな菊は普段通りの声でシクシクと泣いて見せた。ななおは鋭い目つきで天外を睨んでいる。

「実際、見る奴によって俺たちの姿は違うから、どう見えているかわからないが、ひな菊に限らずここの住人みんながみんな見た目通りの姿とは限らないから気をつけろよ」

「気をつけろとはどういう意味だ?」

「そういう意味だ。現世の人間なんだから、そういうことを言っておかないと驚くだろ!ここには見た目と中身が違う奴もいるってことをな」

「見た目と中身が違うことの何が悪い!」

「ななお、落ち着きなさいって!」

「悪いとは言ってないね!俺は例えを教えただけだ。他にも見た目と中身が違う人間がいるが、少なくともひな菊のほうがお前より良くできてる」

「良くできてるとは何様だ!偉そうに!そういう貴様の前世は猿だろうが!」


「いい加減にしろおぉぉっ!」

 

 ひな菊のトーンの低い大きな喝が家中に響いた。カリンと咨結も含め、4人とも身が縮みあがった。


「あれ?そういえばお前、なんでななおと同じ着物着てるんだ?」

 天外はカリンがさっきまで着ていたものと違うことにようやく気付いた。

「そうだ!ななおが連れてきてくれたのよ。天外とはぐれたところをちょうど見かけたんですって」

 ひな菊は着物の話題からわざと逸らす。

「ななおが?」

「そうよ。何か?」

「へぇ、嵐にでもなるんじゃねぇかな……」

「まずは礼を言え!」

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