第9話 生死事大

 香寿神社からの帰り、町中を歩いていると懐かしい声が聞こえた気がした。

 カリンは足を止め、辺りを見回す。だが、当然見覚えがある人はいない。だが、すぐ近くの、食事処だろうか、そこの二階の窓が開いているのが気になった。

 再び耳を澄ます。すると、確かに聞き覚えのある声がまた聞こえてきた。

 誰の声だったろうかと、カリンは過去の記憶をひっくり返して、思い出せる限りの色々な顔を思い出してみる。小さい頃、学生の頃、最近の頃……。

「何してる、着いてこないと置いてくぞ」

 ぼっと立っているように見えたのか、天外は少し声を張り上げる。だが、カリンの隣にいる咨結は、周りの事など気にする必要はないといった感じで、カリンの様子を見守っている。

 天外の口調に思わず怯む。だが黙っているときっとまた苛立たせてしまうだろうと思い、思いついた言葉を並べる。

「ちょ……ちょっと、あの、知ってる人がいる気がして……」

「あんたの縁者をか?」

「え、縁者?わからないけどあの二階から声……」

「会ってどうする?」

 天外はカリンが言い終わらないうちに言葉を遮る。

「え?」

「会ってどうするつもりだ?あんたは現世に戻ればまだ生きているが、ここに居る者たちはもう死んでいるんだ。現世に戻ったところでいないだろう」

「……でも会いたい。会えるならまた会いたい」

 カリンはまだ誰かは思い出せないが、現世で会えなくても、それでもまた一目会いたいと思った。いや、現世ではもう会えないからこそ会いたい。今度は天外の口調にひるまずに、しっかりと天外を見つめ返す。

 すると天外は意外と素直にカリンの想いを聞き入れ、食事処へと入って行った。

 

 しばらくして天外が一人連れて建物の中から出てきた。

 カリンは思わず目を見張った。

「あ……!」

 カリンの思った通り見知った顔で、見覚えのある高校の制服を着ていた。この顔は、昨日仙夾の所へ行く時にもちらりと見かけた顔だったが、誰だったかは思い出せないままだった。

 だが今はっきりと思い出した。その人物とはカリンの高校の時の同級生で、二十歳の時に自宅から飛び降りて命を絶ってしまっていた。同じクラスになったことはなかったが、共通の友だちを通して仲良くなっていった。


「村上さん……!」

「??」


 相手はカリンの事を覚えていないようだった。だがカリンはいつもの事だと気にしない。存在感の薄い自分の事をすぐに思い出してくれる人がいないのはわかっている。

 それよりもあんなに若くして命を絶ってしまった彼女のことがずっと心の中で引っかかっていた。だからこんな形でもまた再会できたことがとにかく嬉しかった。


 カリンは村上さんの手を取った。冷たくもないが温かくもない。体温は何も感じない。

「私は村上さんと同じ高校で、隣のクラスだったの。良くちーちゃんとか花と一緒にいて話をしてた……」

「あ……リンちゃん!」

 村上さんはようやくカリンのことを思い出したようだった。

「久しぶりだね!リンちゃんもに来たの?」

「ううん……」

 二人の会話を聞いていた天外は、カリンに示し合わせるように首を振る。自分が現世から来たことは言うな、と。


「そ、それより村上さん、ずっと聞きたかったことがあるんだけど……」

「あはは、うん、わかってる」

 村上さんは笑った。それは高校生の時の村上さんそのままの笑顔だった。いつも、前向きで明るくて、こちらまで元気をもらうような優しい笑顔。

「どうして飛び降りなんかしたのかってことでしょ?」

 村上さんのずばりな質問にカリンは頷く。

「友達が自殺なんて……。花ちゃんから電話もらった時、すごくショックで言葉が出なかった。お通夜に行った時、遺体もあざだらけで……まるで人形みたいだった。村上さんだとは思えなかった。未だに村上さんはいないなんて信じられない……」

 カリンは当時の気持ちを思い出し、涙が浮かんでくる。


「私、あまり友達多くないから、村上さんたちと知り合えて仲良くなってもらえて本当に嬉しかった。学校生活も楽しく過ごすことが出来て頑張れた。なのに……そんな友達とこんな別れ方をすることになるなんて……」

 高校を卒業するとみなそれぞれの進路へと進み、日々の生活に追われて親交が薄れる。

「あはは。私もあの頃楽しかったよ。卒業後は就職して、普通に毎日を送ってた」

「じゃあ、どうして?」

「……わからない。時々生きてる意味が分からなくなって……気づいたらベランダから落ちてた」

 村上さんはまた悩みのないような明るい声を出して笑う。


「リンちゃんは過去世に未練はある?私は未練はないといえばウソになるけど、でも不思議と後悔はないんだよね。生きてればいつか楽しいこともあったと思うけど、その楽しみが見つかるまでの間を埋める物が何もなかった。心の内ってね、その人しかわからないんだよね。でも私の場合、自分で自分の心の内が分からなかったの。自分が何をしたくてどう生きていたいのか。どれだけ努力してもその心の答えが見つからないの。何をしてどこに向かえばいいのかわからない。何とかしようとはするんだけど、それでもどうしても生きることに魅力を感じない。生きてること自体が辛くなった」

 村上さんは寂しげな表情を見せることなく、淡々とかつての村上さんのまま話を続ける。


「病気になると何の病気か知りたくなるじゃない?原因が分かればそれに合った対処ができる。でも原因不明だと不安で不安で仕方ない。治る病気なのか治らない病気なのか。心も同じで、何に悩んでいるのかわからないと心と頭がずっとちぐはぐなの。頑張らないといけないとわかっている自分と、苦しくてたまらない自分と。そんな毎日ばかりに疲れちゃった。だからね、自分で命を絶つことは悪い事だと思われてるけど、その選択しかできない人たちもいるってことを知って欲しいな。でももし、リンちゃんに悩を相談してたら、まだ心が軽くなってたかもしれないね、今気づいた。でも、後悔はないから心配しないで」

 村上さんは舌を出し、また笑った。


 皮肉にも自分の存在理由を見いだせない今、カリンに村上さんの気持ちが理解できる気がした。

 あの頃は生きていることがこんなに辛いなんて思いもしなかった。

 だけどこんな自分が何のために生かされているのかわからない。

 苦しんでまで自分が生かされている理由が知りたい。

 そう思うと、今のカリンが村上さんにあれこれと言うのは間違っている。

 

 カリンは村上さんとまたここで会う約束をして別れたが、その後また会えることはないのだった。


”どうやって自分を消したらいい?”

 

 旧友に会えた喜びと、救えなかったことへの思いで複雑な様子のカリンに、天外は声を掛けた。

「あんたの友人、後悔はないと言ってたが嘘だな。にいるのがいい証拠だよ。ここに来る人間は後悔や未練があるもんだ」

 再び歩き始めると、少し離れた背後で何かが倒れる音がした。振り向くと小さな男の子が道に膝をついて倒れていた。男の子は近くに転がった杖をたぐりよせる。

 周りの人も誰も手を貸そうとしないことにカリンは違和感を感じ、自分が手を貸しに行こうとしたが、天外はカリンがついてきていないことに気付きカリンを呼び戻す。

「おい、カリン!何してる、早く来い」

 カリンは天外の声に振り向き、男の子から一瞬目を外したが、次に視線を戻したときには、すでにたぐりよせた杖を両脇で支えていた。


 そんな三人を、一人の女性が建物の影から様子を伺っていた。


 と、突然、両杖をついた男の子の方が騒がしくなった。

 この騒ぎに天外が気づき、近くの人に声をかける。

「どうした!?」

「妄念だ!あいつが喰われてる……!あれはもう間に合わないだろうよ。俺たちも逃げた方がいい」

 天外はその言葉に反応するように、態度が急変した。

「チッ!時間を稼ぐから咨結は向こうを頼む!それと、カリンはここから絶対動くな!」

 天外は何が起こっているのか教えず、ただカリンにこの場にいるようにとだけ念を押すと、自分は騒ぎのする方へ、咨結は天外とは反対方向へとあっという間に行ってしまった。

 カリンは言われた通りこの場所で、天外と咨結が戻ってくるのを待つしかなかった。


 天外達が行って少しするとまた一層騒がしくなった。

「回帰士だ!」

「回帰士が来たぞ!」

 みんなの視線の先を見ると、顔をお面で隠した男性らしい人が現れた。手には錫杖を持っていた。そして、遠目でよく見えないが、あの黒くもやもやとしたものは一体何なのだろうかと目を凝らす。

 黒いものは形を変えながら動いていて、人の形にも見える。


 カリンが事の様子を伺っていると、突然目の前の視界が遮られた。

 何事かとゆっくり視線を移すと、目の前に女性が一人、自分を忌むような表情で立ちはだかっているではないか。

 なにやらこの女性から赤黒い闘気のようなものを感じた。

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