第8話 一念化生(いちねんけしょう)
次の日。夜が明けて間もない頃。昨日からの雨はまだ降り続いていた。
乱は香寿神社という、乱と
「心残りはないか?」
「ええ、あの子を一目見れて満足です……」
落ち着いて答える紅梅に、むしろ乱が面を食らって動揺する。
「そうじゃなくて。本当にあいつに会わずにこのまま来世へ輪廻するのか?」
「いつもすれ違いばかりですが、あの子が私を覚えててくれている限り、縁はつながっています。必ず会えるから悔いも未練もありません」
「……確かにな。そんなものを残したままでは輪廻できないからな」
「次は何の姿で再会できるのか……」
紅梅の表情に迷いといったものはなく、明らかに希望でいっぱいだった。どのような姿だろうと、カリンと会えることが何よりの幸せ。これからも縁が続いて行くことが何よりの報い。
紅梅は差してきた傘を閉じると足元に置いた。
「それではあの子を
「わかってる」
乱は懐から数珠を取り出し出し、両手を合わせる。
「四無量心を学びし魂、ここに修羅神の名の下に汝を解放する。諸法無我、色即是空……」
乱が経を唱えはじめると、どこからともなく蝶が現れ乱の周りを舞う。昨日現れたのと同じ蝶だ。乱が右手を差し出すと蝶が止まった。
紅梅は目を閉じると、紅梅の体がみるみる光の炎のように姿が変わっていく。そしてその光は、雫を垂らすように乱の手に止まっている蝶の中へと落ちて合わさると、大きな光をまとったまま神木の中へと消えて行った。
「紅梅、お前さんは会わない辛さを選んだが、俺はやっぱり、あんたは前世で顔を合わせることもなく生まれて間もなく亡くなった、あいつの弟分だったと教えてやりたかったよ」
雨は小降りになってきていた。
◇
乱が家に着く頃には雨は止んでいた。
居間に入るとカリン達は庭を散歩して暇を持て余していた。
「起きてたか。雨が止んだな……」
「いつ役回りから戻ったんだ?」
天外はカリンに聞こえないよう声をひそめた。
「夜中だ。それから紅梅を送ってきた」
「そうか、紅梅は現世へ行ったんだな。これからカリンを香寿神社へ連れて行くところだ。乱が連れて行くか?」
「いや、これから客が来る。咨結も連れて行くんだろう?」
「ああ、咨結も一緒だ」
「そうか。帰りがけ、また仙夾の所へ寄ってみてくれ」
「ああ、残りの二枚の。後で寄ってみる」
昨夜は何とか帯と着物を脱ぎ長襦袢のみになって寝たが、また着物を着るとなると難しい。身支度を済ませるために部屋に戻ったはいいが、どうしたものか。鏡の前であれこれ試してみるが、どうも上手く着付けができない。今まで着物なんてものを普段から着たことがないから当然だった。
「ここをこうおさえて……こうするんだ」
自分の着物を持ち長襦袢姿のままの乱が部屋に入ってきた。そして自分の着付けの手順を見せてやる。カリンも見ながらやってみるが、すぐにできるはずもない。
「向きが反対だからわかりにくいか?」
今度は自分から見てわかりやすいようにと、乱はカリンの後ろに回り、着物を着付けして見せる。
だが慣れない親切心に緊張し、また体がこわばる。乱はそれに気づくつと一瞬手を止めた。驚かせてすまんと、優しく微笑んだがそれは少し寂しい表情にも見えた。
「ほら、できた。何度でも教えてやるから遠慮しないで言えよ」
玄関にはすでに天外と咨結がカリンの支度を待っていた。カリンが階段から降りて来ると、二人は立ち上がった。
カリンの後ろ姿に心細さを覚えた乱は、二人から離れないよう念を押した。
「言っとくが俺もあんたと同じ日陰者だからな。問題起こすなよ」
「日陰者?」
「ああ、俺は本当はあまり表に顔を出したくないんだ。あんたもここの住人に現世の者だと知られるなよ」
天外にも念を押され、改めて身の危険があることを思い出し身がすくむ思いだった。だが、咨結が手をつないでくれているお陰で不安が少し和らいだ。
町を出た先の竹林を抜けると遠目に小さな鳥居が見えて来た。その奥には特に変わったところはない、一般的なお堂が建っていた。
「何か音が聞こえないか?」
境内に入るなり天外にそう聞かれ、カリンは立ち止まり耳を澄ます。本殿の裏手へ案内されると、そこにはいくつも並ぶ鳥居にいくつもの風鈴が藤の花のように垂れて、風に揺らいでいた。
その光景にカリンは思わず目を見張る。透き通る心地よい音。軽やかで清楚な音。
カリンの暗い心を洗い流してくれるようだった。
思わず荘厳な風鈴の景色にすぐに魅入ってしまったカリンは我に返ると二人の姿を探した。
「気に入ったなら何よりだ。それからあれ……」
と、天外が指をさした先には大きな神木があった。今朝方、乱が紅梅を輪廻させた場所でもあった。
「あれはもともと二本の別々の木だったが、成長するうちにからみあって一本の木になったと言われているらしい。だからここの住人は来世でもまた巡り合えるようにと、密かに信仰しているんだ」
カリンはこの神木を見たことがあると思った。正確にはここに来たことがあると思った。それは、確か初めてここで目が覚めた時。
「だから、縁が巡り合うようにっていう意味で、あんたをここに連れて来るよう乱に言われた」
「縁……」
天外は反応の薄いカリンに少し苛立ちを覚えた。
「縁ってわかるよな?人と人の繋がりの」
カリンは頷く。
縁について今まで特に深く考えたことなどなかった。良縁に恵まれていい人と巡り合って、なんてことは良く聞くが、自分は良縁なんてものとは無縁だろうことは分かりきっていた。なぜなら今まで自分を理解してくれた人なんて周りにいなかったからだ。良縁があったなら理解してくれる人存在と巡り合えていも良かったはずだ。
これからもこんな変わり者の自分を理解してくれる人は現れないだろう。それに、縁があったからといって何だと言うのだろうという思いもあった。
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