第7話 拈華微笑(ねんげみしょう)④

———生まれてから一体どこで何を間違えてしまったのだろう。何を間違えてこんな自分になってしまったのだろう———


 カリンは小さい頃から引っ込み思案で、内気な性格ではあったが、生まれついて自己否定が強いわけではなかった。

 幼稚園の頃から友達と一緒に遊ぶよりも、よく一人で絵を描いていたはいたものの、それでもボタンのかけ方が上手いとか、ができるとか、皆に混ざって劇を発表したりだとか、人並みに成長していた。

 初めて違和感を感じ始たのは小学校に入ってからだった。

 同じクラスの子たちと馴染めず、勉強も理解が追い付かず、話し慣れていないせいで言葉が、クラスの子たちはカリンと距離を置く、という負の悪循環になっていく。

 なんとなく感じ始めたもの、それは、自分だけ『何か』違う、という一つの違和感。

 なぜ自分は皆と同じように明るく、快活でみんなと同じようにに振る舞えないのだろう。

 なぜ自分はこんなに苦手な事ばかりなのだろう。

 なぜ自分には長所がないのだろう。

 止まらないなぜ、なぜ、なぜ……。

 孤独だけがカリンにつきまとうように常に隣にいた。

 

 ただの引っ込み思案なのか、それとも『違和感』なのか、周りに馴染めない寂しさから孤独感が心に居座るようになり、その孤独感が自分の存在を否定するようになっていく。

 自分は果たして普通なのか、普通じゃないのか。答えが知りたい。

 自分が何者なのか、わからない。わからないからどう生きて行けばいいのかがわからない。生き方が分からないから苦しい。

 ずっと、ずっと自分に違和感を持っていた。その苦しさを理解してくれる人はいないだろう。

 長い間ずっと一人だった。

 ずっと、ずっと、これから先もきっと一人なのだろう。

 

 

 ”辛くて苦しくて心細くて、さぞ不安だったろう”という乱の言葉は、まさにカリンが求めていたもの。

 『独り』から解放された、自分と同じ目線で立った共感の言葉。自分が、今、一人ではないのだと実感した言葉。

 カリンは手で顔を覆うが、溢れた涙が手を伝っていく。

 乱はカリンの細い肩から離れると、その場に片膝をついてしゃがんだ。顔を覆ったカリンの手をどかすと、カリンの目と鼻は真っ赤になり、まつげは涙で濡れていた。自分の着物のたもとを押し当て、光る跡を優しく拭う。

 乱の一つ一つのしぐさや言葉は、柔らかい毛布のようにカリンを包み、それがとても優しくて温かかいのだった。

 今まで一度も人の優しさに触れなかったわけではないし、人と接するのが苦手だったから耐性がなかったからなのかもしれない。でも、乱の優しさはカリンの心をしっかりと包んでくれるような、そんな包容力のある優しさがあった。

 涙が収まってきたのにまた涙が溢れてくると、乱はまた涙を拭ってやった。

「我慢する必要はない、好きなだけ泣くといい」

 泣いている子供を慰めるように、乱はカリンの傍から離れることなく背中をさすり、頭を撫で、カリンが落ち着くのを待った。

 しばらくしてようやく落ち着いてきたカリンは、知らない人の前で号泣してしまったことを思い起こし、一人、恥ずかしさでいっぱいになる。目と鼻を赤くした次は、顔全体を赤くした。

 乱とは初めて会ったはずだし、自分の身の上話もまだ話したことはない。なのになぜ的を得たように、自分が欲しいと思う言葉を言ってくれたのかがとても気になった。

 目の前にある、柔らかい表情をしている乱。時折見せる、いたずらっ子の表情とはまるで違っていた。

 さっきの言葉はただの偶然なのだろうか。自分をあまりにもみすぼらしく見せてしまったのかもしれない。自然と否定的な自分を見せてしまったのかもしれない。哀れみを請うような態度はこれから気をつけないと……。

 そんなことを考えていると、壁に立てかけてある姿見に自分が写っているのが目に入った。

 今着ている着物は、仙夾が譲ってくれた淡い橙に大小様々な花が描かれた着物と、そしてえんじ色の無地の袴。実はこれは、カリンが学生の時に卒業式に着たものととてもよく似ていたのだった。いや、似ているなんてものではない、違いはないと言っていい。

 その学生時代だけは周りが気が合う友人ばかりで、今までカリンが過ごしてきた中で数少ない良い思い出が残っている時代なのだった。

 今でも覚えている。自分でこの組み合わせを選んだのだから。

 そんな思い出の袴と、仙夾が気まぐれだけで仕立てたという袴がそっくり同じだなんて……。こんな偶然あるものだろうか。

 

「本当に良く似合う」

 

 背後から笑い声がして、驚いて後ろを振り返る。だが姿勢を崩して鏡にぶつかり、鏡を倒しそうになる。カリンは慌てて揺れる姿見をおさえ、事なきを得た。

 鏡に映る懐かしい着物からつい過去の想い出に浸ってしまい、すっかり乱がいる事を忘れていた。カリンは今の様子を見られていたのかと思うと恥ずかしくなっり、再び顔を赤くした。

 その時、階下から玄関が開く音が聞こえて来た。

「ようやく天外のお帰りだ。今日は普通に戻ってきたな。お前はもう少しここで落ち着いてから降りて来ると良い」

 カリンの腫れた目を気遣っての一言だった。

 

 居間では天外が雨で濡れた髪を手ぬぐいで拭いている所だった。

「ご苦労さん。明衣を探しに行ってくれると思ってた」

「勘弁して欲しいよ。でも役回り中だった。乱も早く来いってよ」

 天外は顔を覆っていたびしょ濡れの布を取りはずしていると、いつになく嬉しそうな顔をしている乱に気付いた。

「?……何かあったのか?」

「いや、何もない」

「俺は日陰者だから、に出るようなことはするなと言ったのは乱だよな?その俺に何の相談もなしにいきなりカリンの世話役をおしつけて、一体どういうつもりなんだよ?あいつの縁者の紅梅がいるうちに、せめてどういう関係かを教えてやったらいいじゃないか」

「慌てるな。あいつはしばらくここに残ると決めたんだ。それを尊重してやりたい。天外はあいつがここで傷つけられることがないようくれぐれも目を離さないでくれ」

「いくら現世の魂とはいえやけに過保護だな。お前、俺に何か隠してないか?」

「これから役回りに行ってくる。あいつの事は今はしばらく一人にしてやってくれ」

 天外の問いには答えず、乱は引き出しからひもを取り出し、肩まである髪をざっくりと一つに束ねた。そして羽織と引き出しから面を取ると、もうすっかり闇に包まれた雨の降る外へと出かけて行った。

「隠し事をされたらお前に恩を返せないじゃねぇか……」

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