母胎回帰
海沈生物
第1話
ブルーライトの鋭い「光」だけが「本物」だった。朝も昼も夜も分からない「暗闇」に満ちた部屋の中で、その「光」に満ちたインターネットの世界を見つめていた。
今日もインターネットの掲示板を見ていると、「実は大手火星人企業では触手による人間へのセクハラが横行しているらしい」とか「実は地球に密入国した火星人による捕食が多発しているらしい」とか物騒な話題が飛び交っていた。僕はインターネットリテラシーがあるので、そういう「闇」の話題には触れることはない。遠目から見て「ふーん」と思う程度で意図的に避けていた。そんなどうでもいい「現実」の話を読むより、好みのエロ画像を探している方が数十倍も楽しかった。
ふと、手元にあるスマホが光った。「父さん」から「仕事行ってくるから」とLINEに通知が来たらしい。「父さん」とはもうかれこれ数年前から顔を合わせていなかった。数年の間に中年男性らしい老けた髭面になっているのだろうか。それとも、新しい彼女を作っているのだろうか。まぁ、僕にとってはこの部屋から引きずり出されない限りは、「現実」の世界のことなどどうでもいい。
引きこもりをはじめた当初は「部屋から無理矢理引きずり出されるのではないか?」とびくびくしていたが、幸いにも「父さん」は「暗闇」の中で引きこもる僕に対して何も言わなかった。多分、僕が引きこもったのは仕事から鬱病で自殺してしまった「母親」が原因だと思っているのだろう。あるいは、無理矢理引きずり出して「母親」のように死ぬのを怖がっているのか。
どちらにしても、そんな「闇」だらけの「現実」には興味がなかった。それよりも、興味を引くものに溢れた「本物」の「インターネット」の世界でエロ画像を探している方が楽しかった。
そう思って邪魔な「現実」を遮断するようにスマホの電源を切った時だった。突然部屋の窓が割れた音がしたかと思うと、割れた窓の部分から「暗闇」に満ちた部屋の中に淡い「光」が差し込んできた。それと同時に血塗れの宇宙人が入ってきた。このタコっぽい形の宇宙人は、確か火星人だっただろうか。まとめ系サイトの「マジでエロすぎる宇宙人の画像を見つけたwwwwww」という表題に釣られてサイトをクリックした時にビキニ姿の火星人の姿があって、思わず「性癖が際どすぎるだろ!!!」と「期待外れ」の画像に叫んでしまった記憶が思い出された。
それよりも、今目の前にいる火星人だった。僕が遠巻きに大丈夫なのかと見ていると、火星人は柔らかな目で僕の顔を見てきた。その顔は予想していたよりも整った美人の顔で、思わず「変」な感情を抱きかけた。しかし、それはいつもエロ画像を見て持つような感情とは別物で、もっと優しくて淡い感情であるように思った。僕がその感情に振り回されている内に、「うぅ」と火星人は声を漏らした。
「あの……大丈夫、ですか?」
「大丈夫だと思う?」
「見るからに大丈夫じゃないですね、はい。救急車とか」
「あーそれはいいわ。それよりも、濡れたタオルを持ってきてくれない? あっ、地球の水道水じゃなくて市販されている天然水で濡らしたやつね。それをくれたら、多分この程度の傷口ぐらいならすぐ塞がると思うから。……持って来てくれたら、”イイコト”してあげるわよ?」
そんなこと言って、実はまとめ系サイトと同じ「期待外れ」のイイコトをしてくれるのではないかと疑った。僕はネットの「闇」を沢山見てきたのだ。そんな分かりやすい嘘に騙されることはない。そう思っていた。けれど、そんなイイコトよりどうしても助けなければいけない、という「変」な使命感のようなものが心を支配していた。そうして、僕はいつの間にか部屋の外で災害時用に備蓄してあった天然水で濡らしたタオルを部屋に持って来てしまった。どうして持って来てしまったのだろうと後悔しながらも渡すと、火星人は「ありがとう」と優しい笑みを浮かべながら言った。その数秒後にはむくむくと傷口を修復すると、あのエロ画像で見たような姿に戻った。
こう立ち上がられてみると、その火星人は僕より身長が高いことに気付いた。それは丸い身体から生える数十本の触手を伸ばすと二メートルほどあるのが原因なのだが、なんにしても身長が高かった。誰か「女性」に見下げられている状況というのを子どもの時ぶりに味わって、ちょっと背中に「変」なソワソワとした感覚が走った。
「そういえば、あの……”イイコト”とは?」
「あら、忘れてなかったのね。残念。……まぁ助けてくれたのだから、当然言った通りのお礼をしないと失礼よね。それじゃあ、布団の上に寝転んで目をつむってくれるかしら?」
これは、これは。別にこれがそういうことであるとは限らない。でも、布団の上で寝転ぶということは、そういうことなのかもしれない。別にそういった感情を抱いていないということもあって若干困ったが、向こうの好意を拒絶するのもなんだか嫌だったので、大人しく火星人の指示通りに寝転がった。ぐにょん、ぐにょんと触手が床を歩く音を聞こえてきた。興奮と緊張で心がおかしくなりそうになっていた時、不意に身体が真っ逆さまになった。一体何がと目を開けると、その「暗闇」の中に見えたのはピンク色の壁だった。蠢くボコボコとした突起が壁一面にびっしりとあるのを見ると、これが火星人の身体の中であると気付く。僕が「あのー!」と叫ぶと、外から笑い声が聞こえてきた。
「名前の知らない人間、本当に助かったわ。ちょうどこの星の人間を数十匹食べていたら、宇宙警察に見つかっちゃってね。なんとかここへ逃げ込むことで追手を撒くことはできたんだけど、一発だけ銃弾を喰らっちゃって。だから、本当に助かったわ。ありがとう」
「でも……あの……それじゃあ、なんで僕を食べて……」
「助けてもらったことと、捕食することはまた別の話よ。貴方たち人間だって家畜である牛や豚を可愛いと愛でる一方で、普通に肉として食べるでしょ? それと同じよ。私は人間を可愛いと愛でる一方で、普通に肉として食べるの。だって、そうしないと生きていけないのだから」
「答えになってません! 僕は助けてあげたのに、なんで……」
「だから言ったでしょ? ”ありがとう”って。それとも何? それに、いつものように今すぐ消化してあげても良かったところを、今こうやって会話をするために人間で言う所の食道のあたりで貴方を止めてあげているの。こう見えて、他の火星人たちより慈悲深い方なのよ? もっとヤバいやつなんて、助けてもらったらすぐに相手の足を嚙みちぎって、ガリガリと下半身から――――」
「あー! もういいです、いいです。はい……でも、イイコトするって言って騙したのは酷くないですか? それって”普通のエロ漫画と思って買ったら実は寝取りの漫画だった”ぐらいの残虐的な行為ですよ?」
「あらそうなの? この星のインターネットのまとめサイトを見ていたら、”人外に『イイコトしてあげる♡』って言われて実は食われるシチュってめちゃくちゃ良いよな!””分かる!!!”って盛り上がっているのがあって参考にしてみたのだけど……ダメだったかしら?」
「ダメ……そういう性癖の人は一定数いますし、一概にダメというわけじゃないと思うんですが……インターネットに書かれていることはあくまで妄想の話で、本物の現実の話ではないで――――」
「本物」の「現実」の話ではない。ブルーライトの「光」の世界が「本物」であると思っていたはずの僕が、どうしてそんなことを言おうとしたのだろうか。論理的におかしなことではないのだが、どうにもそのことが気にかかった。僕にとっての「本物」の「現実」とは、ブルーライトの鋭い「光」に満ちたネットの世界なのか、それとも割れた窓から淡い「光」が差し込む「暗闇」の世界なのか。一体、どっちなのだろうか。
そうこう悩んでいる内に「そろそろ消化するわよ?」と宣告される。正直逃げ出したかったが、話している内に、いつの間にか突起から出てきた触手によって身体が拘束されていた。もう消化されることを免れることはできなそうだった。
……そういえば、僕が死んだら「父さん」は一体どう思うのだろうか。僕に対して全く「愛情」をくれないまま勝手に死んだ「母親」と同じように、絶望から自殺してしまうのだろうか。そう考えると、少し辛くなってくる。「母親」と違って、父さんはちゃんと僕に対して「本物」の「愛情」を持っていてくれていたかもしれないのに。それなのに、どうしてこんな死ぬ直前まで「父さん」と一度も向き合って来なかったのだろうか。「興味がない」とか「どうでもいい」とか切り捨てて、ただ「本物」の「現実」と向き合うことを避けようとしていたのだろうか。こんな死ぬ直前になって、今更後悔する。
「……一つだけ。僕を消化する前にお願いをして良いですか?」
「なにかしら? 追われている身だから、あまりできることは少ないけど。まぁ助けてくれた人間だし、一つだけなら言うことを聞いてあげるわ」
「それじゃあ、一つだけ。僕の父さんらしき人に出会ったら、どうか――――」
その言葉を言った瞬間、向こうからの返事も無しに僕は消化された。肉体が溶ける瞬間的な痛みが身体全体を突き抜けると、意識諸共全てが消えた。ただ最期の瞬間、「暗闇」に満ちた火星人の身体の中で、柔らかくて温かい、この世界に生まれるより以前の懐かしい感覚を覚えたような気がした。
母胎回帰 海沈生物 @sweetmaron1
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