第4話 龍の妃
玄李は本当に王様だった。
龍の姿の彼の背に乗って、雪のかかる切りたった山々をすり抜けていくと、ひときわ大きな岩山が現れ、その頂上に雲海を見下ろす荘厳な宮殿が建っていた。
中庭のような場所に降り立つと直ぐに2人の男がやってきた。
「
「おかえりなさいませ、陛下。ご無事で何よりです」
ゴツい男が笑顔で出迎えた。
「無事ねぇ……。まぁ生きて戻られたから良しとしますけれど」
すらりとした男は、玄李の肩の辺りをみて細い目を更に細くした。
「陛下、お妃ではなく新兵を連れて来られたのですか? 程よく鍛えられているようなので有望そうですが」
ゴツい方は一瞬だけ厳しい視線を私に向け、ニカっと笑った。
「清剛、だからあなたはいつまで経っても独り身なんですよ。陛下、おめでとうございます。無理をして向こうに降りた甲斐がありましたね」
すらりとした方の言葉に、清剛と呼ばれた男は激しく瞬きをした。
「ああ、彼女はイチカだ」
玄李が紹介すると2人はサッと片膝をついて胸の前で両手を合わせた。
「北辰国の司徒、豹真と申します」
「北辰国の太尉、清剛であります」
偉そうな職名(?)のお兄さん2人にかしこまった挨拶をされ、その圧に負けそうになったが、私も伊達に運動部で鍛えられてはいない。
「鯉住 イチカといいます。よろしくお願いします」
私は彼らに負けない声の大きさで挨拶を返した。
「王妃様、あちらと辰世界では似た所も多くございますが、慣れないうちは戸惑う事も多いでしょう。些細な事でも遠慮なくお尋ねください」
豹真の気遣うような言葉に私は慌てた。
「ちょっと待ってください、その件私はOKしてないです。玄李、あなた方の王様が勝手にやって……。これって無効に出来ませんか?」
私は首を指差した。こうしていると流されるまま本当にお妃にされてしまう。
2人は一瞬固まったが、素早く立ち上がり玄李に向かって声をあげた。
「陛下⁈ まさか無理矢理したんですか。何考えているんですか。うわぁ、信じられない」
「陛下、外道ですね」
「何だよ、何としてでも妃を見つけてこいって言っていたのはお前らじゃないか」
んん?
それってじゃあ誰でも良かったって事?
面倒だから手近な私で済ませたって事?
やり取りを聞いて脈が速くなった。
「とにかく私は後宮に入るつもりはありません。今回は事故で来てしまっただけなので、なんとしてでも還らせてもらいますから」
謎の苛立ちに任せて少し強く言うと、豹真は眉を寄せた。
「後宮って…… 陛下、姫さまに一体何を話されたんですか」
「色々話す前に窮奇に襲われたんだよ」
「窮奇ですと⁈ まさか陛下、あの禍いの獣とお一人でやり合ったのですか」
「
「きな臭いとは思っていましたがそこまでですか。白龍公の南辰国では、方々で民が武装蜂起しているという報告もあがっております……事態は思ったより深刻という事ですか」
「かつてのような大戦になってからでは遅いですからね。青龍公、紅龍公と足並みを揃えなくてなりません。陛下」
「ああ、分かっている」
3人とも難しい顔をして考え込んでしまった。
「すみません、ところで私は還してもらえるのですよね」
物騒な言葉が出てきて話題が逸れたが、これだけははっきりさせておきたい。
「イチカ……」
玄李の顔が悲しげに曇る。
「主の無礼、私からも深くお詫びいたします。しかしお聞きの通り、この世界は危機に瀕しております。手前勝手な願いとは存じますが、せめて危機が去るまでの間はご逗留頂けないでしょうか。その印を持つ貴女様がここに居られることは世界の安定に繋がるのです」
「姫さま。辰世界とあちらの世界は全く別に存在している訳じゃないんです。こちらの歪みが災害として現れる事もあります。当然その逆も。あの……つまりですね、あちらも無関係ではないというか、むしろ表裏一体というか。とにかく影響し合う関係なんですよ」
豹真と清剛は期待のこもった瞳で私を見た。
私は、期待されると……弱いのだ。応えたいと思ってしまう。
「分かりました。私も、どんな世界のどんな人だって安全で安心に暮らして欲しいと思っています。還るのはひとまず置いておいて、出来ることがあれば協力します」
あーあ、言ってしまった。
豹真と清剛は嬉しそうに頭を下げ、玄李の狭まっていた眉が弛んだ。
しばらく滞在することが確定した私は、宮女のお姉さんに簡単にお城の中を案内してもらいながら、この世界や国のことを色々教えてもらった。
宮殿はとてつもなく広く、どこを見ても世界遺産のような立派な作りになっていて、驚き疲れるくらい驚いた。
「あの、イチカ様少しよろしいでしょうか」
案内が終わる頃、豹真が声をかけてきた。
さっきの場では伝えづらい事があったと言うのだ。
「この世界では王位を継いだ者は龍となります。半人半獣というか半人半神のような存在となるのです。そして龍は、伴侶と決めた相手に御印を贈ります。伴侶を得ると力がより安定することもあり、我々も陛下がお妃を早く見つけて欲しいと願っておりました。それでですね、御印というのは生涯に
「え?」
「そして、印を結んだ相手としか子孫を残す事はできません。ですから御印はこれと決めた方に捧げる、龍にとってこの上なく神聖な行為なのです」
思わず首の痣に手をやる。
「そんな大事な事、どうしてあんなに雑に? しかも私に。いいなんて言ってないし……」
「それについては私も何やっているんだかと言いたくなります。しかし知っておいて頂きたいのは、陛下は悪戯に貴女様に言い寄っているわけでも、これからどんどん他の女に噛み跡をつけて妃を増やすつもりも無いという事です」
「そんなの、知らない方が良かったです」
この痣は玄李の本気だったなんて。
この痣がそんな呪いみたいなものなんて。
私がいなくなった後、彼が新たな妃を得ることは無いだなんて正直知りたくなかった。
「だから陛下はお伝えしなかったのかも知れませんね。荒削りな所もありますが玄李様は一途で優しく腕も立ちます。国中の乙女に憧れられる程度には外見も良いですし。夫として悪くは無い男だと思いますよ。如何でしょうか」
豹真は目を細めて笑った。
「豹真さんは、優しく無いですね」
「よく言われます」
私は還りたい。
私にだって夢がある。きっと玄李に比べればとるに足らない夢だけれど。
こんな重たいものを預けられても迷惑なだけだよ。
私はもう一度痣に触れ、ため息をついた。
翌朝、私は疲れていたはずなのに早く目が覚めた。
夢だったなんてことはなく、天井には見慣れない豪華な細工が施されていた。
バルコニーに出てみると、美しい雪景色が広がっていた。
まだ日は昇っていないが、雪せいでかなり明るい。
私はひんやりした新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
「早いなイチカ」
声に驚いて隣のバルコニーを見ると、そこに玄李がいた。
「お、おはよう」
人型の彼は、まぁ確かに国中の女の子を虜にすると言われるだけのことはある。
「今朝は風がない。朝焼けに染まる雪山は美しいぞ。良かったら見に行かないか?」
どうやってと言うのは愚問だった。
私が頷くと彼はあっという間に黒い龍の姿になってその背に私を乗せた。
彼に背は心地よく温かい。一緒に春風になって飛んでいるような気分になる。
「イチカ、やっぱり俺は君に妃になって欲しい」
「どうして?」
「君の匂いが好き、声が好きだ。君と話せると嬉しい。こうしていると楽しい。正直自分でもよく分からないんだが……君ことが大好きで、ずっと一緒にいて欲しいから…… じゃダメなのか?」
「うーん」
困った。胸の奥が何だかほわっとしてくすぐったい。
さらさらしたタテガミに顔を埋め、答え詰まっていると。
「良かった。少し前進だな」
玄李の嬉しそうな声がした。
実はちょっぴりだけど「龍の妃」を将来の選択肢のひとつにしてもいいかと思ってしまった所だったのだ。
なんだか悔しい。
「ほら、イチカ綺麗だろ」
世界を優しく極色に染めながら、黄金の太陽がゆっくりと昇ってきた。
おそらく、私の頬は朝日とは関係なく染まってしまっているだろう。
第一章 完
とかげのプロポーズ 碧月 葉 @momobeko
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