第3話 封印を解け

「俺の妻になって」


 ゆっくり唇を離した男は耳元で囁いた。

 「ツマ」って何? 餌の事? 

 混乱は極まり、心臓は壊れたみたいにバクバクしている。

 

 その時、ガチャリとドアノブが動いた。


「ねぇ、お姉ちゃん。ブラックがゲージにいない……ってなぁんだ。一緒にお昼寝していたんだ」


 ケイがトコトコ入ってきて、ちょこんとベッドサイドに腰を下ろした。

 一瞬焦ったが、謎の男はいつの間にか元のトカゲの姿に戻って私の腹の上で寛いでいる。


 今のは夢だったの?

 

 その後、ケイと遊ぶブラックを観察したが、どう見てもいつもと変わらないただのトカゲだった。

 ちょっと恥ずかしい内容だったけれど、夢なら一安心……と思っていた。

 お風呂に入るまでは。



 夕方、自主トレで家の周りを3キロ走った私は汗を流すためにお風呂に入っていた。

 顔を洗って鏡を見た時、首筋の異変に気がついた。一部が赤く変色しているのだ。


 よく見るとそれは、梅の花の形をした不自然な痣だった。

 どこかにぶつけたような記憶はない。

 思い当たることと言えば、昼間のブラックとの一件だけだ。


 馬鹿げていると自分でも思うけれど、確かめずにはいられなかった。

 私はみんなが寝静まった頃、ブラックをゲージごと自分の部屋に連れてきた。

 腕組みをしてブラックをじっと見つめると、彼もぱっちり開いたつぶらな瞳で見つめ返してきた。


「あなたはだれ? これはあなたがやったの?」


 私は痣を指差した。


「俺は北辰ほくしん国の王、玄李とうり。その花は俺の印だ」


 ブラックは昼間の男の声で答えた。

 …… トカゲの王様にマーキングされた?

 どうやら私はまた夢を見ているらしい。

 人は疲れが溜まると、びっくりする程くだらない夢を見てしまうんだろうか。

 

「おい、なんで天井を見上げたまま反応しないんだよ。これは嘘でも夢でもない。なんて言えばいいんだ……この世の現実はひとつじゃない。イチカが生まれ育ったこの世界とは別にもうひとつの現実があるんだ。俺はそのもうひとつ世界『辰世界しんせかい』から来たんだ」


 玄李と名乗ったブラックの口からは次々と信じられない言葉が出てくる。


「じゃあさ、そもそも他の世界の王様がどうしてこんなところにいるの? しかも大怪我していたし」


 私は尋問モードでトカゲを睨んだ。


「不意打ちで刺客に襲われた。こちらに渡る際には世界に負荷をかけないように力を封じてくるのが普通なんだが、ことわりを破った奴がいたんだ。そして、この世界に来た理由は視察と……嫁探しだ」


 嫁探し…… 私はなぜか首筋を触ってしまった。


「そう、そして見つけた。君を。イチカ、俺の妃になってくれ」


 声は真剣だ。喋っているのはトカゲだけれど。


「無理です」


「無理じゃない。どんな障害だって俺が取り除くから。お願いだ」


「あなたは人間じゃないし。そもそも私はあなたはのことを知らない。なんで私なのか訳が分からないよ」


 結婚なんて、そんな先のこと考えたことも無かったけれど少なくても人間とするだろうと思っていた正体不明の生き物となんて。


「俺は、ほぼ人間だ。それも含めてこれから知っていって欲しい。そして、なんで君かというと…… 俺が惚れたからだ」


 ゲージの中のトカゲからの求愛。なかなかにシュールだ。

 

「私はこれから自分自身でやりたい事も叶えたい夢もたくさんあるの。正直言って王様と結婚なんてゾッとする。お願いだから別な人を探してよ」


「別な人なんて、どこの世界にもいない。俺は君が良いんだ。幸せにすると誓うから」


 トカゲの言葉にため息が出る。


「だからね、そんな一方的な思いは迷惑なだけ。私の幸せが何かなんてあなたに分かるの? いきなりやってきてあなたの生き方に巻き込もうとしないで」


 私ははっきり断った。

 今、部活も勉強も家のことも色々頑張っているのは遠い世界で幸せな結婚をするためじゃない。 

 もっといい自分になりたいからだ。

 分かってもらおうと口を開きかけた時、窓の外から空気を震わす遠吠えが聞こえた。


「すまない。既に思い切り巻き込んでしまっている」


 ブラックがそう言うや否や、彼を閉じ込めていたゲージはぐにゃりと曲がって壊れた。

 中から飛び出してきたトカゲは人型になると素早く私を横抱きにした。

 触れてもいないのに窓が開き、彼は私を抱いたまま走っていき窓枠を蹴った。

 

 墨色の空に浮かぶのは、やけに明るい上限の月。

 ヒヤリとした風が髪を乱していく。


 そして再び狼のような声が響いた。


 ちらほらとしか灯りのない深夜の住宅街。

 私たちは、その屋根をから屋根を次々飛び移っている。

 

 トカゲ男は遠吠えの主から逃げているようだ。しかし大きな羽ばたきはすぐ近くまで迫っている。


「あれが刺客?」


「ああ」


「どこまで行く気なの?」


「他の人間を巻き込みたくはない。広い場所を探している。そこに出たら結界を張って迎え撃つ」


「だったら向こう。広いグラウンドがあるよ」


「了解だ」

 

 昼間はサッカーや軟式野球の練習場として賑わう市民グランドだが、今は真っ暗で誰もいない。


 私たちがそこに到着すると、すぐ後にバサリ音を立てて有翼の虎が降り立った。

 鳴き声からてっきり狼系かと思ったら、まさかのネコ科だ。

 

「やはり窮奇きゅうきか…… お前のような化物を遣すとは、やはりアイツ正気じゃないな」


「黒龍、知っているだろう。儂は正気でないものが大好きなのだ。今のあの方は最高だ。この世の大変革を望んでおられる。まもなく我々が四王として立ち、世界を手に入れる」


 虎が吠えると砂が舞い上がり竜巻が迫る。


「あの時と同じ手か。そう何度もくらうかよ」


 玄李がどこからともなく槍を取り出して振るうと、竜巻は凍りついて砕けた。

 

 そのまま跳躍した玄李は化け物の首を狙って突っ込んだ。


 虎が翼をはためかせる。

 すると虎の身体から無数の針が放たれた。

 玄李はそれを槍で払い躱そうとするが、数本避けきれず刺さってしまったようだ。

 毒か麻痺の効果があるのか玄李の動きが鈍った。

 すかさず虎は飛び掛かり、玄李の肩に牙を立て空中に飛び上がった。

 玄李の手から槍が滑り落ちてきた。

 

 血が滴る。ポタポタ、ポタポタと。

 

 虎の化け物は夢中で玄李に噛みついたまま、私には目もくれない。

 私は玄李の落とした槍を拾った。思ったよりも手に馴染む。これはいける気がする。


 丁度良い距離をとって、助走、ステップ。

 そして体を大きくしならせて、宙に槍を放つ。

 槍は弧を描いて飛んでいき、虎の脇腹に刺さった。

 

 腹から後ろ足、右の翼が凍った。

 虎は地面に落下してきた。


 落ちる寸前、玄李は虎から離れて息を切らしながらも着地した。

 私は玄李に駆け寄って身体を支えた。


「流石だな。よし、イチカ、俺の封印を解いてくれ。一瞬で決めてやる」


「何をすればいい?」


「『黒龍を解放する』と言って、ここに接吻するんだ」


 そう言って差し出された掌には複雑な紋様が描かれていた。


「接吻?」


「…… 唇を当ててくれ」


 つまり、キスしろという事?

 さすがに一瞬戸惑った。

 しかし、やらなきゃ死ぬというのは分かる。

 虎を覆った氷はパリパリ音を立て始めた。


「……『黒龍を解放する』」


 私はそう言って彼の掌に唇を当てた。

 

 すると、目に見えない圧迫を感じた。

 そして玄李に代わって現れたのは大きな黒い龍だ。

 

 龍は既に虎の首元を踏みつけている。


「白龍に伝えろ、話合いの場に出て来いと。禍いを集めても世界を変える事はできない」


「ククク、くさいクサイ、青臭い。だから儂はお前が気に食わん。本当の痛みも苦しみも理解できないくせに知ったように語るお前がな…… 消え果てろ!」


 狂気を孕んだ虎の叫び。


「馬鹿が、くそっ!」


 嫌な気配がして虎が光った。

 その後強烈に明るくなり思わず目を瞑る。

 一瞬周りから空気が消えて息が吸えなくなった。

 恐い。

 そう思った時、私を何か温かいものが私を優しく包み込んだ。


 重々しい爆発音。

 

 私は寄り添う温かいものにギュッとしがみついた。

 

 静かになった。


 ピィーピィーと鳥の声のような音がしたので、ゆっくりと目を開けてみた。

 私は必死にしがみついていたものが人型の玄李だと気づいて慌てて体を離した。


 目の前の地面には隕石が落ちた跡のような巨大な穴が空いていた。

 そして周囲は一面雪に覆われていて明らかに市民グラウンドではなかった。

 

「一体何が起こったの?」


「窮奇は自らを爆発させたんだ。あっちで爆発されたら都市が吹き飛ぶからな。理を破る事にはなるが緊急事態ということで強制的に辰世界に転移させたんだ。この雪原なら被害はないだろうと思ってな」


 確かに、こんな爆発があったら街は消えてしまっただろう。

 助かった事にひとまず安心したが、直ぐさま嫌な予感がした。

 辺りは季節外れの銀世界。

 冷やされた霧や雲の粒が樹々に白い華を咲かせている。

 日本でない事は確かだ。


「という事は、ひょっとして此処は……」


 恐る恐る玄季を見ると、彼は純粋で繊細な瞳で頭を下げた。


「本当にすまない。ここは北辰国。俺の生まれた国だ」

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