窓際族の独り言

石花うめ

窓際族の独り言

 俺は今日も、ぼんやりと窓外の景色を見て一日を過ごす。

 毎日変わらない景色の繰り返しだ。

 日中の俺は、特にやることが無い。かと言って、夜勤というわけでもない。

 世間では、俺みたいなやつのことを窓際族や社内ニートと呼ぶらしい。俺にだってちゃんとした仕事があるのだが、それを加味しないふざけた言い回しだ。

 そういう言葉をつくった人々に聞きたい。

「仕事とは、相手を見下す道具なのか」と。

 仕事は自分のためにするものだと、俺は思っている。

 だが人は、自分のためにしているはずの仕事を他人と比べたがる。

 そして、自分より上だと思った人を妬んで劣等感を抱き、自分より下だと思った人を見下して優越感を得る。

 俺のように誰と比べるでもなく、のんびりと生きればいいと思うのだが、人の世に生まれたら競争から逃れることはできないらしい。

 別に窓際族でも、社内ニートでも、暴走族でも、ニートでもミートでも、なんだっていいじゃないか。

 生きてるだけで偉いんだから。

 それに、人は他の動物と違って、理性というものがあるらしい。それなのに、競争することでしか自分の価値を見出せないのは、人間の最も愚かな部分だと思っている。


 外を見る俺の顔を、夕日が照らす。

 俺の眼下には、列を成したサラリーマンの群れが、波のように流れていく。

 同じような見た目をしたサラリーマンたちは、同じように疲れた顔をしている。

 その一人ひとりがどのような人生を送ってきたのかは分からないが、多分小さい頃は、もっと希望に満ちた輝かしい目をしていたはずだ。

 しかし大体の人間は、生きていくうちに個性を潰され、可能性を狭められ、決められた役をただ演じるだけの大根役者になってしまう。

 役者になって、競わされるように生きる——まさに茶番だ。

 何が正しいのかも分からない舞台で死ぬまで演じ続けるのだから、疲れてしまうのも無理はないと思う。

 しかし、それでも演じるのをやめられないのは、それぞれに大切な人がいて、守りたいものがあるからだろうか。

 ほんの少しの幸せがあるから、人は生まれ、そして生きていくのだろう。

 死にたくないと思うのも、守りたい何かがあるからだろう。

 生存本能だけは、人も他の動物も変わらないはずだ。


 そんなことを考えていたら、日が暮れた。

「ただいまー。あー疲れたー」

 玄関から声がする。

 どうやら恵梨香が帰ってきたみたいだ。

 俺の仕事はここから始まる。

 恵梨香は部屋のドアを開けるなりスーツを脱ぎ捨て、

「タマ、元気にしてた?」

 と言いながら俺を抱きあげた。

 社会人になって三年目の恵梨香は、他の人間と同じように疲れた顔をしている。

 飼い猫の俺は、そんな恵梨香をねぎらうように、お疲れ様の意味を込めて、

「ごろごろにゃぁ」

 と鳴く。

 恵梨香は「うん、そっか」と頷き、とろりとした笑みを浮かべて俺の頭を撫でる。

 その顔を見て、俺も幸せな気持ちになる。


 俺は今日も「恵梨香を癒して笑顔にする」という仕事を全うする。

 少しでも長く、幸せな恵梨香と暮らしたいから。

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