最終話 情緒が不安定すぎる前世が男で今は女の話

「教授、こんなところにいたんですね」


 彼が死んだお父様から成人式のお祝いにプレゼントされたという、ボロボロのカウチソファー。

 わたしの声に彼は見慣れた苦笑いと共に、こっちにおいでと手招きする。


 二人掛けには少し足りないけれど、わたしと彼が並んで座るには丁度いい。

 少しだけ窮屈で、その分自然にわたしと教授はくっつける。


 苦笑いを何故するのか、そう聞いたことがある。

 彼が言うには、君は若く僕は老いているからだって。

 世代が違うのだから価値観にズレがあるのは当然。

 でも夫婦となれば互いに妥協点を探すのも世間的には普通なのだろう。

 けれど僕は君が合わせようとするのに恐縮しながら、君がそうしてくれるのを嬉しいと思ってしまっている。

 度し難いとは思うけどね。すると苦笑してしまうんだ。

 

 わたしは貴方に合わせた事は一度だってないよ。

 女として生まれて、必死に慣れようと無理をして。

 疲れ果てたわたしが見つけた、唯一己を飾らずにいられるのがあなたの横だっただけなんだよ。


「どうして置いていったの?」

「これからは一緒にいられるさ」

「じゃあ今までの分、甘えるからね」

「そう言って僕を甘えさせてきたのは君だけどね」


 久しぶりに手櫛を通される。

 彼はいつもわたしを子供の様に扱う。

 それが心地いいんだ。

 今だって小さいくせにわたしの顔を胸に抱き寄せてさ。

 

 背が小さい事はコンプレックスじゃないの?

 なんて不躾に聞いた事があるけれど、並んで座ればあまり気にならないだろ? と彼は笑った。

 戦う相手を同じ土俵に持ち込むのは戦術の初歩だよって。

 わたしと貴方は戦っていたの?

 

 戦っていたさ。

 君が寄せてくれる好意よりも、僕の好意の方が上なのだと証明し続けたかったらね。

 わたしの方が上ですけどー。

 でも君がそうやって意地を張っても、こうして撫でられると君は猫の様に大人しく、されるがままになるよね。

 だから僕の勝ちだと思うな。


 そう言えば君、結局卵焼きはどうしたの?

 いっぱい砂糖を入れましたよ。

 こんなのおかずって感じがしない! ってあの子は貴方と同じ様に口をとがらせてました。本当に子供っぽいんだよ。

 君の前なら誰だってそうなるのさ。

 君は誰にでも優しくする人だから。

 ゼミの時だって――――


 教授、まるで嫉妬みたいな事を言わないでくださいよ。

 アリス、僕は嫉妬していたんだよ。

 わたしだってしてましたー! 特に結婚後にモテモテになってて毎日してましたー!

 君だってご近所さんの奥様達からまるで女王様にの様に傅かれていたからハラハラしていたんだよ。

 えー? 同性でしょう?

 同性だからなおさら勝てない気がしてね。


 教授、なんか変わりましたね。

 昔はこんな事、言ってくれませんでした。

 君が大好きで、虚勢を張っていたのさ。

 えー? 奥様に怒られますよ?

 

 実は彼女、僕がここに来て最初の頃に会いに来たんだ。

 そしてあんないい娘を悲しませるなんて……そう言って平手打ちされたんだ。

 

 良かった。

 また会えたんですね。

 

 君にも会えた。

 わたしも貴方に会えた。

 これからも横にいてくれるかい?

 うーん……先に奥様に会いに行こうかな?

 お話してみたかったし!


 君はそう言う人だよね。

 えへへ、貴方がそうやってスネするところ、ずっと見たかったんです。

 愛しています、教授。

 愛しているよ、アリス。


「でもねアリス、もう少しだけ頑張ろう。皆が待ってるよ」



 うん。






 ◇◆◇◆



「ママッ!!!!」


 少し目尻に皺が目立つ様になったわたしの宝物。

 すみれは涙を隠さずにわたしの手を握った。

 そんなに大きな声を出さなくても、わたしはここにいるよ。

 

 開け放たれた窓から吹き込む風が白いカーテンを揺らし、なんとも涼し気。

 ここからは見えないけれど、窓の向こうは緩やかな丘陵とオリーブ畑。

 その反対側にはブドウ畑がひろがっている。


 あら、秀くんもいるのね。

 それにソフィアも。ミカ、エリー、レア……みんなお婆ちゃんになっても綺麗。

 みんな泣かないで。

 わたしは、とっても幸せなのだから。


 20年前にわたし達は地中海の島へ移住を果たした。

 一応発起人はわたしになっているけれど、猛烈に動いたのはソフィア達だ。

 秀くんはフランス大使となり、ホリデーには家族そろってここまでやってくる。

 孫もね。亜里珠って名付けた時には我が娘ながら頭大丈夫って思ったけどね。

 

 結局瑠璃も一緒にここに来てくれた。

 あの子は何を血迷ったのか、ヴィクトリア調の使用人服を正装とし、本気でこの屋敷のハウスキーピングをするようになった。

 それは中々に堂に入ったもので、ソフィア達も呆れ混じりに誉めていた。

 ここでは瑠璃が一番年齢が下だからね。みんな構いたくて仕方ないのだ。

 特に童顔だからアラフォーでティーンに見られるって相当よね。


 色んな事があったわ。

 ここはマルタ共和国と言うのんびりした国で、わたし達は売りに出ていた無人島の中でひときわ大きな島を購入したの。

 全員の資産の半分以上を一か所に集め、これで最高の老後を送るのよ! とわたし達は息巻いた。


 移り住んだ円卓のメンバーは13人。

 誰一人欠ける事無く移住を希望したけれど、元々の人数よりも少ないのは、運命に逆らえず、先に向こうにいったから。

 とは言え彼女たちの形見は貰ってきて、島で一番景色のいい岬の先に建てたお墓に入っている。

 

 本土から呼んだ大工さん達にお願いし、地中海らしい白い漆喰の平屋の屋敷を建てて貰った。

 13人が住み着いて、バスもトイレもドレッサールームもクローゼットも足りなくない様にオーダーすると、平屋の縛りがある分、島全体を見渡せる丘の上がほとんど埋まってしまう程にデカくなってしまった。

 端っことその反対の端っこの部屋を選んだ結果、移動が遠すぎる! と喧嘩に発展し、円卓……13人……お前絶対ユダだろ……という醜い争いに発展したのは流石に笑った。ちなみに当事者2人はわたしとソフィアだ。


 わたし達は家族と言う柵を外れ、第二か第三の人生を謳歌するのだ! と鼻息荒く、真っ先に手を付けたのが畑だ。

 オリーブとブドウ。まあ油とワインを自分たちで作ろう! という目論見ね。

 それも半月もせずにとん挫したのだけれども。


 そりゃそうよ。

 わたしはインドアの極み、作家だし、ソフィアを筆頭とした彼女たちはセレブ。

 野良仕事なんかできる訳もない。

 でもわたし達は愚かにも「わたし達なら楽勝よね!」と半年後には収穫祭で大騒ぎしているビジョンを浮かべていた。

 

 全員もれなく筋肉痛でのたうち回り、けれども畑はまともに耕されもいない。

 結果、セレブ共は白旗を上げ「プロに任せましょう」等と言い始めた。

 もう好きにしなはれと丸投げするわたし。


 そして被害者になったのが瑠璃。

 彼女はわたしの敏腕マネージャーである。

 その実績を買われ、見た事も無い大金をポイーされ「ルリ、いいわね? 畑のプロをこの人数連れてくるまで帰ってきちゃだめよ?」と笑顔で言い渡され、わたしを睨みながらもシチリア島のカターニアに渡り、半年帰ってこなかった。


 なんでも南イタリアをうろうろしながら、畑をやりながら余生を送りたい老夫婦はおりゃんかーと行脚したらしい。

 瑠璃は法人を立ち上げ、そこに資金をプールし、集めた老夫婦たちに給料を払う様に取り計らった。

 結果、1000人前後の移住者がやってきて、もうね、これ道楽じゃなく開拓じゃん……と呆れたわたしである。

 瑠璃曰く、ヤケクソだったらしい。

 大変だったわねえ……と労うと、彼女は真顔で「貴方たちと長年付き合って慣れました」と言っていたわ。


 結局2年以上かかって島は有人島として機能するようになったわね。

 老人が多いから病院も建てて、商店も出来て。

 畑を拡げようとしていた住人が血相変えて飛んで来たら、相当昔の遺跡が見つかり、結果バチカンから人がわんさかやってきたり。

 その結果遺跡はバチカン的に「それを粗末に扱うなんてとんでもない!」と言うレベルの聖堂だった。

 そしたら島に巡礼者や観光客が来るようになり……日本からもここで結婚式をしたいとわざわざ来る人もいたわね。


 なんでもわたしの愛夫家っぷりが有名で、一緒に居ても死に別れても素敵な夫婦でいられるみたいな験を担がれる感じ?

 前に戯れにだけど自伝的エッセイを出した時に、教授との日々や教授が亡くなった後の彼への想いを綴ったのが何故か売れてしまい、アリー蜜柑=旦那ラブガチ勢みたいなイメージが定着したらしい。

 当然わたし達の愛娘についても克明に書いたんだけど、「フランス大使の奥様は随分とお可愛いのですね♡」と何処に行っても言われるそうで、菫にガチ切れされたのはいい思い出ね。


 だって書き下ろし小説は20冊目を出した所で絶筆宣言したからね。

 移住の準備に日本での財産とかあれやこれの処理で忙しかったし。

 でも長年してきた仕事だから、引退しますって言っても書いちゃうのよね。

 書かないとソワソワするのよ。

 え、もしかしてわたし病気?!


 結局わたしの人生はよくわからない物だった。

 かつて自分は確かに男性だった。

 けどそれだってあまりに遠い昔過ぎて記憶は朧。

 教授に出会うまではとにかく無理をして生きて来たかもしれない。


 それでも彼に出会い、子をもうけ。

 わたしがわたしとして生きていく根拠が生まれた。

 だからそれなりに必死に生きたと思う。


 素敵な友人がいて、素敵な娘がいて、素敵な娘婿……この野郎……いやそれはジョークよジョーク。

 苦労もいっぱいしたけれど、わたしの周りには助けてくれる誰かが必ずいて、それはとても恵まれていたのでしょう。


 生まれ変わりを体験して、それが夢でも妄想でもないのなら。

 わたしは信じられる神はいない。

 それはそうよ。

 世界には無数の宗教観があって、あの世の存在も認めてない宗教も多い。

 死後の世界を肯定しても、その姿はやはり宗教によって違う。


 ならわたしに起きた現象は、宗教では答えがでないもの。

 この人生に一片の悔いはない。

 だからこそこれはわたしにとっての奇跡で、その軌跡は自分だけのもの。

 まあこの家の住人にはカトリックもプロテスタントもイスラームもユダヤも仏教も全部いるからね。

 それらが軋轢なく、好き勝手言いながらもゲラゲラ笑っていられるのだから神は

いてもわたし達は祝福されているのよ。

 

 日本人を舐めるな。

 正月は神社に行き、冠婚葬祭はお寺さんで、クリスマスに愛を語り、それでいいのだと言い切れるのがわたし達なのさ!

 

 それでも物事には必ず終わりが来る。

 そう、今のようにね。

 みんなが涙を浮かべてわたしを撫でている。


 ごめんね、もう声もでないのよ。

 頑張って笑顔を浮かべてみてるけれど、どうかな?

 わたしは今、笑えてるかしら?


「ママ? いま手握り返した……ママ? ママっ!?」

「菫、アリスさん笑ってるよ。君にお別れを言ってるんだ」

「やだよ、お別れなんかしたくないっ! え? 頭撫でた?!」

「……? 誰も撫でてないよ」

「うそ、撫でたもん、いま私の髪がふわって……」


 ふふっ、教授、そこにいたのね。

 最後だから抱きしめてあげて。

 立派になったでしょう?

 目なんてあなたにそっくりよ。

 あら? 手を貸してくれるの?


「ママっ!? うそ、うそ、うそうそっ」

「アリスさんっ?!」

「…………しの、かわい……みれ……」

「ママ、ママぁ…………」

「…………愛しているわ、これからも」

「わたしもあいしてるから、いかないで……」

「……みれ……あなた、すこし――――肥えたわね」

「はっ? え、ちょ、ママ?! …………死んでる」

「ごめんな菫、もう笑いを堪えられないんだが……アリスさんらしいわ……」



 こうしてわたしの人生は終わった。

 あの人と久しぶりに手をつなぎ。

 

 これから二人、いつかみたいに本を読んで暮らしましょう。

 どうせだったらあの世でもう一人作ってみる?

 ふふっ、教授ったら。そんなに笑って。

 冗談じゃないよ逃がさないから。


 

 おわり 

 

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情緒が不安定すぎる前世が男で今は女の話 漆間 鰯太郎【うるめ いわしたろう】 @iwashiumai

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