第5話 情緒が冗長で上々な女

「…………いい匂いがする」

「いや良い顔で言ってもやってることはアウトだよ?」

「そうかしら」

「キリッとしてもダメ。いい加減諦めなさいな」


 ちきしょうめ。

 ハクいナオンのザーヒでフィーバーしてたら怒られたわ。

 え? 意味が分からない?

 憎き敵の母親である木島瑠璃を正座させ、その膝に頭を載せる。

 つまり膝枕ね。


 その状態でおもむろに下を向き、これ見よがしにハスハスしてやったわ。

 そしてすぐに仰向けになり、瑠璃の目を見上げてやった。

 ハッ! いくら同性でもこれは恥ずかしいだろぉ?

 

 しかしこれは罰なのです。

 なにせ敵の名前は木島秀一。

 仕事は公務員。

 あっさり総合職試験をパスして、これからは外交官として海外を転々とする様だ。


 試験に通ってすぐ、野郎は満面の笑みで報告にきやがった。

 最近は執筆関連の仕事場を上野のマンション(お父さんにお金は返した。そのお金でマンマと旅行に行った)に移している。

 そこにやってきて「アリスさんのお陰です」だってさ。

 ハッ! そりゃね。語学に関しては菫のついでに(これ重要)教えてやったもの。

 出来て当然。別に褒めてやるほどではないわ。


 さて上野で仕事をするようになったのは何故か。

 ……だって家に帰っても誰もいないんだもの。

 菫ェ……あの子は卒業後、大手商社の海外事業部に入りおった。

 母親としてそれは喜ばしい。

 寂しいけどね。そりゃそうよ。働く場所は基本的に海外なのだから。


 菫が担当しているのは欧州エリアで、わたしも大好きなワインの輸入に関わっている。

 フランスだけじゃなく、欧州圏での産地を飛び回り、味はいいが無名のワイナリーを発掘しては年間契約を結び、それを輸入してコンビニと提携した安価なワインとして売り出すというサイクルね。

 途中でそのワイナリーの格付けが上がれば、今度はそれを新たにボトリングして単体で売り出す。

 どう転んでも利益が出るという感じね。


 菫は教授の名残りであるタレ目以外は、すっかりとわたしに似た美人サンになった。

 その恵まれた容姿も武器とし、若手ながら相当に活躍しているそうだ。

 素直に誇らしいわね。

 ……胸がDな時点でわたしの上位互換であるから当然だけれども。


 それにわたしの戦車ゲームのクランである「淑女の円卓」のメンバーと顔繫ぎしていたのも大きいでしょうね。

 そのコネクションを使えば、本来は話を聞いてくれる筈もないトップワイナリーと交渉も可能だろうしね。


 けれど前に食事をしていた時にその事を話したけど、菫は最初、わたしのコネを利用する事を躊躇した。

 それをわたしは鼻で笑った。え、駆け出しでそれ言っちゃうの?って。

 こう見えて母親として言うべきところは言うんだよ?

 じゃないと天国の教授に嫌われるもん。


 シニカルに突き放すわたしに菫は珍しく狼狽した。

 コネを使う事のどこが悪いんだろう? 仕事は結果を出してこそ評価される場所でしょ?

 そして「私はこんなに頑張っているのにママはわかってないっ!」と怒鳴りすらした。

 そこでもう一度鼻で笑ってあげた。

 ポカンとする菫に教えてあげた。


 そもそも彼女たちはセレブの中の上澄みの集まり。

 なんでゲームなんてしてたのかは知らないけれどね。 

 まあソフィアは日本のオタク文化に憧れてハマったらしいけれどね。

 当時は戦車で戦う女子高生たちのアニメとタイアップをしてた気がするから。

 多分それ目当てでって事でしょ。


 ああ、そうか。

 ソフィアとその友人のスペイン人のマリアと遊ぶようになって、そこからソフィアが他のメンバーを呼んできたんだ。その後その人がまた別の人を連れてきて。

 まあいいや。


 わたし達は言うなれば趣味で繋がった同好の士よ。

 チャットをしながら互いの愚痴を言い合ったり、夫には言い辛い生々しい悩みを相談し合ったりとかはするけれど、だからと言っても必要以上に踏み込まない距離感を持っていた。それぞれの個性を尊敬しあっていたからね。

 皆それぞれ何かしらに突き抜けてはいたけれど、誰一人同じ人生を歩んだ人はいないのだから。

 だからこそ逆に普段の自分の立場を気にせずに何でも言い合える関係は、わたし達にとって特別な癒しの場だったのね。


 それを積み重ね、10年も過ぎれば離れてはいても、みんなそれぞれ立場は違えど、国境を越えた親友ねなんて思い始めた。

 それを世界大会の折りに実際に会い、その上でわたし達の円卓は強固な絆を育んだ。


 でもそれは、実際に色々な事を話したから信じあえただけで、そこに依存している人は誰もいないんだ。

 わたし達の夢は、子育ても終わり、年老いたなら、皆で集まって毎日お茶会をしましょうねと言うもの。

 女の方が寿命が長いからね。

 日本人と違い、向こうのセレブな男性は、自分の役割を終えると自分の人生の為に時間を費やす事が多いから、割とポジティブに熟年離婚をしたりするんだよね。

 わたしの様に最愛の伴侶を亡くしている人もいるしさ。

 だから時が来たら地中海の島にみんなで移住して、一日中お喋りでもして暮らしましょって夢を見てるんだ。


 そんな彼女たちをわたしは尊敬している。

 向こうもきっとそうだし、そういう関係性でわたし達は繋がっている。

 だからね、菫。

 彼女たちはわたしの娘だからって無条件に甘えさせないよ?

 顔は繋いであげたんだから、彼女たちの力を利用したいなら、どうにか口説き落としてみなさいってね。

 チャンスは他人よりもある。でもそれを掴めるかは貴女がその資格を示せるか、それだけ。

 だからね、コネを狡いと思うなんて傲慢でしかない。

 

 そう言うと菫はママって凄いなあ……って久しぶりにハグしてくれた。

 教授、召されそうなんですけどよろしいか?

 ああ、わたし達の娘はやはり天使だったのよ。

 だからもっとそう言うの頂戴! はやく!


 結局菫は一時帰国が終わるとその足でイタリア入りしてソフィアの所に行ったそうよ。

 会社には1か月時間をくださいと伝え、ソフィアにアポを付けると直接乗り込んで、ジャパニーズ土下座をしながら暫くかばん持ちをして貴女から学ばせてほしい! とやったそうだよ。

 後にソフィアは「アリス! あれがハラキリねっ!!」ってキャッキャしてたけども。

 お前はいい加減、間違った日本像をどうにかしなさいな。

 日本の田舎に行けばホカゲがいるのよ! って。いません。現代に忍者はサニーしかいません。でも千葉県にはいません。


 ソフィアはイタリアでは知らぬ者がいない程に有名な肉屋だからね。

 あそこの生ハムは実際ヤバいの。前に取材の途中に寄らせてもらった時、旨すぎて日本に帰りたくないって駄々こねちゃったもん。というか瑠璃も珍しく同調してたし。

 だからたまに送ってもらうけれど、一番美味しい奴は検疫の関係で輸入が出来ないのが悔しいわ……。骨髄部分がアウトらしい……ちくしょう。


 彼女自身もいくつか企業を持っていて、旦那さんと共同の競走馬生産育成牧場なんか凄い勢いよね。

 菫はそう言う突き抜けたビジネスの現場を近くで見る事が叶い、価値観が大いに破壊されたそうな。勿論いい意味で。

 

 結果ソフィアに気に入られ、無事コネクションを手にした。

 部署でも社長賞モノだぞ!? と褒められたらしい。

 生ハムを中心としたイタリアの食材関連も大口契約に至ったらしいしね。

 

 と、娘に対し親バカを発揮してはいましたが……ここからが本題なのです……。

 菫がどうして商社に就職したか……それは憎き秀くんとの将来を見据えてだったのよ!!

 もう許さねえからなあ?


 秀くんの夢は外交官の極み、外国への使節団の席次のトップ、大使なのよ。

 そして菫の夢はわたしと教授みたいな素敵な結婚をすること。当然その相手は初恋の相手である秀くん。


 あのさあ……初恋は実らないんじゃないのかしらぁ?

 あとさあ……幼馴染は負けヒロインじゃないのかしらぁ?

 どうなってるの?

 これどこにキレたらいいの?

 神様、天へのクレーム対応の窓口はどちら?

 

 だから菫は秀くんが試験に通り外交官としての準備が終わるまでは、将来の大使の妻として恥ずかしくないキャリアを積むとかで、商社の最前線で実績を! みたいな。

 ちきしょう……健気すぎて嬉しいし可愛いけど腹が立つ。


 あの腐れイケメン野郎め。

 わたしの宝物を惚れさせた上、引き離す気かッッ!!

 ま、まあ? 初恋以降、一度たりとも浮気もせず、一途に菫を愛したところはちょーーーっとだけ評価してやらなくもないけど?

 それはそれとして納得なんかできるか!


 そんな訳で、憎き秀くんの母親たる瑠璃を弄り倒してストレスを抜いているのです。 

 まあうん、お隣さんだしね。

 旦那様の葬儀の件で懐かれて以降、今では作家であるわたしのマネージャーとして支えてくれてるし?

 あの隙あらば仕事を持ってこようとするキチガイ編集からの防波堤になってくれるのは嬉しい。

 でも複雑……これからは菫ちゃんには二人のママって事ですねだとぉ?

 おのれ、おのれおのれおのれェ……菫はわたしの天使なのにっ!!!!


 そんな訳で来週末、菫は秀くんのお嫁さんになります。

 とまあそう言う訳で、


「う゛~~~~~~~~~~~~~~~~っ……」

「あはっ、あははははっ!? アリスさん、そこ擽ったいからあっ!?」


 憎き秀くんをこの世に産み出した女王を倒すのである。

 油断したところを仰向けに倒し、最近油断してホニホニになっているお腹に顔を押し当て、ブルルルルル……って息を吹いてるのだ。

 けどそれだけでは終わらないよ。


「ちょ、だめだって、ほんと、それはほんと、やめ、だめなの」

「すううううううううううううううううううっ」


 そう、吸いである。

 瑠璃吸い。

 デリケートなお肉を思いっきり吸うのである。

 羞恥と擽ったさに身もだえようとわたしは許さないのだ。

 

 ……何故なら顔を隠す必要があるからだ。

 絶対に見られて堪るか。

 秀くんママの癖にわたしの素顔を見ようなどと片腹が痛い。

 

「アリスさん、二人を祝福しているんでしょう?」

「…………うん」


 やかましい。

 あの人の次は菫か。

 わたしは一人ぽっちになるのか。


「菫ちゃんのウエディングドレス姿、見たいんでしょう?」

「………………見たい」


 当たり前だろう。

 あの人とわたしの娘だぞ。

 世界一綺麗に決まってる。

 あと背中をトントンするんじゃあない。

 後頭部も撫でるな。


「じゃあちゃんとおめでとうしよう?」

「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………うん」

「すっごい溜めたね」


 仕方ないでしょ。

 いま多分、わたし鬼瓦みたいな顔してるもん。

 でも寂しいもん。寂しいんだもん。


「さみしいよぉ」

「そうだね」

「菫が遠くに行っちゃうよ」

「秀一も母親捨てて行っちゃうんだよ」

「ざまぁ」

「叩くよ」

「ごめんなさい」

「大丈夫だよ。あの子達は幸せになる。母親である、んーん、母親でしかない私たちは遠くから見てればいいんだよ」

「そうだね。次はあの子達の時間だもんね」

「うん。私も寂しいけどね。結局子離れできてないのは私もだもの」


 そこで我慢が出来なくなってしまった。

 わたしの名誉のために詳細は伏せるけれども。

 ただ瑠璃がいてくれて良かったと思わなくもない。

 ナノサイズくらいなら感謝してやらなくもない。

 

 そうして業腹ではあるが、この日の夜は瑠璃に捕獲されたまま、木島家で眠ったのである。

 久しぶりに人肌に包まれて寝たのだけど、こんな感じだったっけ。

 ねえ教授、すっかり思い出せないんだ。

 

 翌朝、窓から差し込む陽光が鬱陶しくて目を覚ますと、真横でじっとわたしを

見ている瑠璃と目が合った。

 どう見ても20代にしか見えない童顔に殺意を覚えつつ、横にいてくれたことに鼻くそくらいの感謝を込めて髪を手櫛で梳いてみた。

 そしたら瑠璃は思わず見惚れてしまう様な笑顔でこういったのだ。


「おはよ。そう言えばあの作品の締め切り、明日までだからね。進捗を聞いてもいいかなあ?」



 木島瑠璃、やはりお前は敵だーーーーー!


 誰だよこいつをマネージャーに雇ったの。

 ……わたしだったわ。




※アリスママ毒親だった模様

※次話、7/6 12:00に予約投稿した物が最終話になります。

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