41.FJK吸血鬼ちゃんです

「恭平君?」

「先輩?」

 突然の俺の奇行に、氷室と実相寺が怪訝な顔になっている。

 俺は二人に応えることもなく、周囲を見渡した。

 あの文面からして、いるだろ。

 閑散としている店内。

 いつからそこにいたのか、カウンター席に小柄な女の子がちょこんと座っていた。

 彼女はスマホを片手に、身体ごとこちらに振り返った。

 世羅陽向だった。

 見間違うこともない。

 太陽も平気な現代に生きる本物の吸血鬼(JK)。

「お久しぶりです、桜井さん」

 陽向は足をぶらぶらさせていたカウンターチェアから静かに飛び降りた。

 敬礼すると、あざとくはにかむ。

「恥ずかしながら帰ってまいりました」

「お前、本当は女子高生じゃねえだろ」

「それが久しぶりに顔を見て最初に言う言葉というのはどうかと思うので」

 俺のいるボックス席に、彼女が足音もなく近づいてくる。

「久しぶりもなにも、一週間も経ってねえだろ」

 そう。

 こいつが京都に帰っていったのは先週の話だぞ。

 年末年始に実家に帰るほうが、まだ長くいそうなもんだ。

「こんなことになると思ったわ」

 氷室が眉間の皺を揉みほぐすようにして、小さくぼやいた。

「ちょっ、先輩。誰なんすか、この美少女ちゃん」

 実相寺は俺の袖をしきりに引っ張り、

「ファッション雑誌にモデルとして出ているアイドルっぽい」

「それは褒めてるのか?」

 俺が紹介するまでもなく、陽向は上流階級特有の隙のない笑顔になった。

「はじめまして、世羅陽向と申します」

 そこはかとなく怖えよ。

「現役JKです」

「げ、現役……?」

 実相寺が声を震わせた。

「ほら見なさい。のた打ち回りたくなったでしょう」

 氷室は短くなった煙草を灰皿に押しつけると、少し呆れた声をもらした。

「先輩の知り合いっすか?」

「もちろんです。わたしと桜井さんは援助交――むぐ」

「ちょっと黙ろうな」

 俺は陽向の口を無造作に塞いだ。

「むぐーっ! むぐ!」

「なんかいま、ものすごく不穏なこと言おうとしてなかったっすか?」

「実相寺、気にするな。こいつは頭がちょっとおかしいんだ」

「むぐっ! むぐむぐむぐ!」

 抗議の言葉を吐いているであろう陽向を、俺はずるずると引きずって店の隅っこに連れていった。

 その様子を半眼で見てくる氷室に、実相寺の相手をしておいてほしいとアイコンタクトしてみる。

 彼女は気怠そうに手を振ってきた。

 この願いは恐ろしく高くつきそうだ。

「お前なあ、なにしに戻ってきたんだよ」

「はー、なので? 桜井さんがそれ言います?」

 人気のないところで解放してやると、陽向は両手に腰を当てて俺を見あげてきた。

「やりたいようにやることにしたんです」

「陽向様は紹介された婚約者を、ぶん殴って破談にしたのだ」

「うおっ!」

 急に背後から声がして、俺は思わず振り返った。

 鹿島葵だった。

 パンツスーツ姿は相変わらずだったが、そこはかとなくやつれているように見える。

 俺は陽向に向き直り、聞いた言葉をそのまま言った。

「ぶん殴った?」

「はい」

 陽向はうなずくと、誇らしげにダブルピースをして見せた。

「えっへん」

「えっへんじゃねえよ」

 初手で暴力を使うな。

 もっと穏便な方法はなかったのかよ。

「そのせいで御当主と壮絶な親子喧嘩になってな」

 鹿島葵がげんなりと言った。

 そりゃそうだ。

 従順だった娘が戻ってきてみれば、政略結婚の相手をいきなりぶん殴ったんだからな。

 世羅家の将来にマイナスに働くことだけは間違いないだろう。

「ママを言い負かして、ママが結婚した年齢までは自由にしていいことになりました。家からの援助は一切ないうえに、お目付け役の葵さんつきですけど」

「そういうことかよ。そいつは結構なことだな」

「そうなんです。結構なことなので」

「で、それと戻ってきたことになんの関係があるってんだ」

「はー、もう。どうしてそういうことを言うんです。桜井さんはツンが強すぎると思います」

 わけのわからないことを言うな。

「わたし、やりたいことが二つあるんです」

 陽向は両手を胸の前で合わせた。

「ひとつは世界を旅してパパを探し出すこと。幼いころの思い出で美化してましたけど、よくよく考えたら家族を放り出していくなんてひどくないですか? 見つけたら一回ぶっ飛ばして、八時間くらい説教しようと思ってます」

「なんかどんどん暴力的になってないか?」

「もうひとつは――」

 陽向が目を伏せた。

 なんでそこで照れる。

 俺はいやな予感がした。

 そして、こういう予感は大抵当たるんだよ。

 上目遣いになって、陽向が俺を見つめてきた。

「桜井さんの血を吸いたい」

 やっぱりかよ!

「わたし――桜井さんと最初に会ったとき、そんなエッチなことはしませんって言いましたけど」

 彼女は俺を誘惑するように、少しだけ舌を出して瑞々しい唇を湿らせた。

 鋭い犬歯が、見え隠れしたような気がする。

「いまならエッチなことしてもいいですよ」

 勘弁してくれ。

 家出した女子高生の一時の気の迷いであってくれと思っていたんだが、そういうわけじゃないってことか。

「鹿島、おい。お嬢様がとち狂ったこと言ってるぞ。いいのかよ」

「いいも悪いも、陽向様が決めたことだ。私はもう知らん」

「サジを投げるなよ!」

「そんなことより桜井、陽向様と私をしばらくお前のマンションに置いてくれないだろうか。世羅家からの援助がなくなったうえに、私も責任問題で会社をクビになってしまってな。できればバイト先も紹介してくれないか」

「そんなことよりで、さらっと言う内容じゃないだろ!」

「あと胃薬が切れてしまってな。近所にドラッグストアはないだろうか」

 鹿島葵は幸が薄いという成分を煮詰めたような顔になっていた。

「桜井さん、葵さんのことは放っておいて、聞いてください」

「それはさすがにひどくないか?」

「葵さんは会社をクビになった途端、カレシだと思っていた男の人と連絡がつかなくなって。自分の給料だけが目当てだったとわかって落ち込んでいるんです」

 同情する余地しかない。

 俺が経済界の大物とかだったら、いますぐ鹿島葵を救出する鹿島基金を設立したいくらいだ。

「いいですか、桜井さん」

 陽向がやおら真剣な声になったので、俺は思わず彼女の顔を見た。

「好きな人の血を吸うと、お互いにむちゃくちゃ気持ちいいってネットで読みました」

「どこのネットだ、それは!」

 聞いて損したよ!

「まあまあ、桜井さん。ほんのちょっとお試しで、歯の先っちょを首筋に当てるだけなので。ちょっとだけですよ。先っちょだけ」

「いかがわしいんだよ! セリフがいかがわしい!」

「もう、なんなんですか。我がままですね」

 陽向は本当に呆れたような表情で、やれやれと頭を振った。

 なんで俺がダメみたいな扱いになってるんだよ。

「これは桜井さんのためでもあるんです。わたし、桜井さんとの約束を忘れてませんから」

「約束?」

「吸血鬼のわたしを取材して、本にしたいんですよね?」

 俺は確かに、家出してきた陽向に居場所を提供する代わりに、本物の吸血鬼ってやつで一発当ててやろうと思っていた。

 だが、現代の吸血鬼ってやつはどうしようもなく普通だった。

 こんなネタ、一年に一回は宇宙人に人がさらわれていたり、恐竜の生き残りが見つかったなんて記事を載せている三流スポーツ新聞だって使いやしない。

「ああ、それは――」

 もういいんだ、と俺は言おうとした。

 だが、陽向は俺の唇に人差し指をそっと当てた。

 俺が戸惑っていると、彼女が耳元で囁いてくる。

「桜井さんはSNSで、現代を生きるJKの吸血鬼と出会って、その女の子が父親を見つけるために世界を旅する冒険を取材するんです。いろいろな国で、大変な目にあって、二人はいつか恋に落ちて、桜井さんは本物の吸血鬼に血を吸われるんです。めでたしめでたし」

 陽向の声には悪戯っぽい響きがあったが、本気で言ってるんじゃないかと思った。

 それとも俺は、またよくわからない吸血鬼の力を使われてでもいるってのか。

「桜井さんはその体験を本にして、全世界でベストセラーになるので」

 俺の唇から指を離し、陽向ははにかんだ。

「完璧な計画じゃないです?」

 視線が交わる。

 彼女の瞳は黒いままだった。

 だが俺はこんなバカバカしい「完璧な計画」ってやつを、否定することができない。

「とはいえ。まずは旅の資金を稼がないといけないので。葵さんだけじゃなくて、わたしにもバイトを紹介してもらわないとなんですけど」

「急に現実的だな」

「やりたいことをやるにも、言っているだけではなにもはじまりませんからね」

「まあな……」

 世羅陽向の思いと行動を否定していいのは、彼女自身だけだ。

 だから俺は、彼女の言葉を否定できない。

「でも、本のタイトルはもう考えてあるので」

 陽向は得意げに言った。

「聞きたいですか?」

「いや別に」

「聞きたいですよね?」

 その声からは断固とした意思が感じられて、俺は頭をがりがりとやった。

「わかったわかった。聞いてやる」

「最初から素直にそう言えばいいんです」

 陽向は軽く咳払いすると、右手の人差し指をピンと立てた。

 そして――


「〈ホ別10のドラキュリーナ〉というのはどうでしょう?」


 そう言って、にぱっと笑った。

 俺は自分でもわかるくらいに苦笑をしたと思う。

「はー、もう、はー」

 陽向はそんな俺に、不満そうにぶんぶんと両手を振った。

「なんですかその反応は?」

 ああ。

 そうだな。

「わたしのセンスを褒め称えてくれていいので。どやー」

 まったくもって。

「どやー、じゃねえよ。そんな変なタイトルでベストセラーになんてなるか」

「はー、なので? なりますよ!」

 センスの欠片もないけどな。

「桜井さんはすぐにできないとか言う。そういうこと言う前に、やりたいと思ったらやってみないとです」

「なんかそういう話、俺がお前にしなかったか?」

 俺とお前の話をはじめるには、ぴったりのタイトルだよ。

 書き出しはそうだな。

 こうしてやるよ。

 陽向。


『おまたせしまた、おにーさん。FJK吸血鬼ちゃんです』

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ホ別10のドラキュリーナ 北元あきの @KITAMOTO_Akino

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