〈後編〉

 告白は結局実現しなかった。一学期最後の土曜日の午前授業の後、告白しようとラブレターもどきをルーズリーフの切れ端に書いて、封筒に入れて、樹里が学校最寄りのバス停に着くのを待っていた。


 すると樹里はやって来た。

ただし一番自分が関わりたくないヤツ等と一緒に。

 飯尾という、バスケ部の副キャプテンをしている三年の男子とそのグループ。僕の中学からの友人の北島は以前、その飯尾とトラブって結局、北島がバスケ部をやめる事になった。北島は気は強いけど単純明快でいいやつだ。だけど相手は一枚もニ枚もうわ手で、顧問の先生に北島の事をディスったニセ情報を色々と触れ込んだ。スポーツマンシップには全くのっとらないタイプ。

 その件は関係者のいない他クラスでも、バスケ部員経由で噂に上っていた。

 あざとい奴らだ、でも北島ってのも頭悪いわ、みすみすそんな状況に陥るなんて、とか。僕はあえて北島の前ではその話題を出さなかったけど、一連の出来事にもやもやした気分でいた。飯尾のグループが我が物顔に学校で幅を利かせているのにもムカついたし。


 少し離れた所から見る樹里と飯尾は、お互いボディタッチしたり、付き合っているとすぐに分かるような親密さだった。大笑いしていたけど、誰かについてからかっている内容に受け取れた。とにかくその様子と言葉遣いからは、自分がこれまで想像していた樹里の清らかさみたいなものは微塵もなく、品の無さしか感じられなかった。家に帰ってから、ラブレターもどきはビリビリに破く事は確定として、とりあえず心の中であの箪笥の引き出しの中のリボンもギュッと押しつぶして捨てたくなった。


 そのまま家に帰る気には、何だかなれなかった。樹里への未練はなかったけど、今までの甘い片思いの記憶が全て崩れ去った今、経験した事のないような、むなしい気分だった。


――そう言えば今日は夏祭りの日だったな――


 感染対策のため、二年続けて中止になっていた夏祭りが規模を縮小して行われると市報に書いてあったっけ。最恋近男子もエリィと行くってツイートしてたな。樹里と飯尾達も夏祭りに行くのだろうと思った。でもそんな事はもうどうでもいい。


 気が付けば、吸い寄せられるように川沿いの遊歩道に来ていた。ここは、最恋近男子がよくその風景をツイッターにアップしている場所だ。彼の縄張りの一つ。途中にある公園を写したと思われる画像もあったっけ。


 その時、向こうの方にミニバンが停まっていて、その前には見覚えのある顔があった。学生服姿の宇城未散だった。ミニバンにはそよ風何とかという施設名が書かれてある。宇城は、よろよろとした中年の女の人をそのミニバンの運転手に頼んでいるようだった。施設のユニフォームを着た職員と話をしている。それは同じ高校生と思えないような手際良さと大人の対応に見えた。やがてミニバンは走り出す。ゆっくりと田舎道の方へ向かおうとしている宇城を見て、「そっちなのか?」と僕は思った。もし夏祭りに行くのなら、市立図書館の横を通る大通りの方じゃないのかと。

 やはり最恋近男子は宇城ではないのだろうか?

そんな疑問が頭の中で渦巻いていた時、前を歩いている宇城が振り返った。

「確か、芸術クラスで一緒の土屋……だよな?」


「ああ」


「土屋の家もこっちの方なんだ」


「いや、何となく学校の帰りにこっちの方ブラブラしてただけ。そしたら目に入って……」

 自分がストーカーでない事を一生懸命言い訳しているような焦り具合だった。


「ああ。あれ、母さんが今日からショートステイするんだ」


「ショートステイ?」


 僕は聞き馴染みのない言葉に戸惑った。


「土屋、ちょっとサイダー、付き合えよ」


「いいけど」




 そして五分後には宇城未散は、川沿いの公園のベンチに、自販機で買った350mlのサイダーの缶を手に持ち、座っていた。

 まともに話すのは初めてという遠慮から、僕はちょっと間を空け、横に座った。


「母さんは病気で三年前初めて入院してから、時々治療で入院を繰り返してるんだ。障害があるんで、介護施設を利用してて、時々施設に数日泊まるんだ。さっきもそれでさ」


まるでテストが難しかったみたいな、普通のテンションで宇城は話す。


「そうか。何か悪かったな。プライベート覗き見したみたいで。自分達と同年代で家族が病気なんて信じられなくって、オレ、変な顔してたらごめんな」


「別に。この辺で土屋に会ったことないし、驚いたけどな。夏祭りあるのに、こんな辺鄙なとこで時間潰すなんてさ」


「オレさ、今日、失恋したんだ」

 僕は必死で、自分の不幸を探していた。でないと、相手の不幸話だけ聞いたのでは、気が引けるから。


「は? フラレたって事?」


「いや、好きだったコに彼氏いるみたいでさ。いや、別にそれでガックリきたわけじゃないんだ。相手がヒドくて、そのコもヒドくて失望したんだ」


「えーと……それじゃ失った恋じゃなくって、失望した恋って事?」


 宇城の抑えた表情は笑いを我慢しているようだった。

「それ、そんなおかしい?」 


「いや、何か土屋って割に幸せなタイプかなと思って」


「んな事ねーよ。確かによく上から目線って言われるけどな。でもこれでも色々苦しいんだ」


「苦しい……か」


「本当はさ、オレ、宇城の事、ツイッターに恋人の事を毎日ツイートしているリア充な高校生だと思ってたんだ」


「してるよ」


「え?」


「最恋近男子ってアカウント名で。ただし架空の恋人の事なんだけど」


「えっ! ええ〜!」


「そんなに驚かなくても。それに恋人はいなくてもリア充だよ。親の介護があって、ある意味、他のやつらより毎日は充実してる。楽しいっていう意味の充実かって言われればそうじゃないかもしれないけどな」


宇城未散は淡々と話す。


「なんで架空の事を書いてるんだ?」


「SNSに真実を書かなきゃいけないってわけじゃないだろ?」


「ま、まぁな」


「別に家族に不満なんてないんだ。元々母さんは体が弱くて、子どもの頃からそういう母さんの世話をしたり、弟の面倒みるのにも慣れてるし。でも少しだけ心に余白があって、そこを埋めるのがエリィなんだ。ふっと誰かと話したくなったり、誰かといっしょに海を見たくなったり、夕暮れ時を過ごしたくなったり。家の仕事が一つ終わって一息ついた時とかも。時間の隙間というか、ノートの片隅の落書きというか。例えが下手なんだけど」


「分かる気がする」


「元々、エリィは、小学校の時の同級生だった女の子の名前なんだ。転校していったけど」


「じゃあエリィの後ろ姿の画像は?」


「偶然写り込んだ近所の人の後ろ姿」


「それヤバい。にしても、あれが架空の話だったなんて絶対信じられない。最恋近男子に憧れて告ろうと思ってたのに。結局、失恋したけど」


「でも失望なら早いうちにして正解じゃない?」


「言えるな。って言うか、オレも宇城と同じようなの目指してたんだ、きっと」


「え?」


「毎日に不満じゃないけど、自分のノートの余白を埋めてくれるような人といたいって思う。だから別に無理してリア充でなくてもいいって今は思える」


――そうだ。僕にとって、最恋近男子のツイートしてた恋の方が飯尾や樹里のレンアイより、自分の思い描いていた恋の形に近いんだ。実際の恋よりも恋に近しい?――


「ツイッターの事、誰かに話した?」


「話してないし、これからも話さない」


「そうか。正直、最近、誰かに最恋近男子の事、気が付かれたかな、と思ってたんだ。でも土屋で良かったよ」


「っつーかオレの事、知らないんじゃ?」


「クラスの北島が言ってたんだ。芸術クラスで美術取ってるって言ったら、『土屋っているだろ? 友達なんだ』って」


「そうか。北島、クラスで元気にしてる?」


「うん。受験に向けて猛勉強中。教室ではよく二人で受験の事とか話してる」


「そんな事話してるんだ。ツイッターばっかだと思ってた。いや、もうその話題はしない」


「いいよ、別に。どっちにしてもこれからも最恋近男子を続けるかどうか分からないけど」


「え? オレが気付いたから?」


「そういうわけじゃないけど、何か魔法がとける気がする」


「ゴメン」


「いや。受験もあるし」


「そうだな」


「本当はちょっと土屋みたいに、ただリア充に憧れて、そんなフリしたいなんてさもしい気持ちがあったんだ。だからかな、やめたくなっていた」


 宇城は大人だなと思う反面、そんな風に自分を分析出来るのが寂しく感じられた。


「そうだ!」と思いついてベンチを立ち上がった。「エリィは、きっとこれから会う女なんだよ。すごくいいオンナ」


宇城は、微かに笑った。


 でも心の中で同時に思った事は口にしなかった。

――でもエリィはツイートの中のように素直に話を聞くタイプじゃなくって、時々パンチのあるコメントを残す女かもな。宇城のこれから会うエリィは。それでノートの余白はにぎやかな落書きでいっぱいになって、余白どころか表紙にまで花やハートマークを描きまくって。そのうちノートのカラーも全く違ってくるけど、でもそれが本来の自分だったのかな、とか考えるんだよ、きっと――


……とこれは姉ちゃん夫婦の事を考えていた。



 その時、いつの間にか藍色に染まった空に光の輪が明るい観覧車のように広がった。


「あれ、今日って花火もあがる予定だったのか」と宇城が訊く。


「たぶん発表はしてなかったんじゃないの?

 また混雑するから。まだ感染対策とかあるんだ。でも予想外だと何かうれしくない?」


夏祭りの花火がとどろき始めた。


そこから見える宇城の横顔は左側なので、傷はない。いや、右側? でも夕暮れは過ぎ、傷なんかもう見えない。



花火がもう一度夜空に大きく広がる。今度は見えないリボンがくるくると広がっていくような花火。


きっとこの花火の感想も話したくなるのだろうか。エリィに。自分はこういう時、誰かに話したくなる。



 それから、僕達は普通の友達みたいに「また、二学期」と別れ、夏祭りから帰る連中でごった返す道を家に帰った。まるで自分も夏祭りでヨーヨー釣りや射的ゲームをしてきたみたいに。



 帰ると、久しぶりに勉強机に向かい、参考書を開けてみたくなった。受験を控える高校生にとっては、二年生と言えども夏休みが勝負だ。ちょっと頑張ってみよう、と。しばらく勉強してから、一休みする。ふっと思い出してスマホを取り出した。


今日の最恋近男子のツイートがあった。



――夏祭りでサプライズの花火があがった。

友達と見た。その後。エリィは花火の話より新しい友達の話を聞きたがった――


その下には藍色の夕闇の中、サイダーの缶が置かれたベンチの画像。


僕は今日の名残に「いいね!」を押した。




――Fin――









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恋よりも恋に近しい 秋色 @autumn-hue

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