テクニカル・リーズン・イグジット
渡邉 清文
Technical Reason, Exit
ループする毎日、意味のない仕事、退屈で冷えきった現実。そんな場所への帰還はごめんだ。
とは言え、二週間の夏休みも終わり。残念ながら帰国の日。T国はI市の空港、国際線ロビーでR国M市行きの便の搭乗を待つ。そう、M市で乗り継ぎ。直行便なんて三倍の値段のチケットは買えない。共和国のエアラインは、いろいろ問題あるけど安い。
その問題のあるエアラインへの搭乗を、俺たち二百人ほどの乗客は待っていた。問題を抱えながら。正確には、再搭乗を待っていた。
「テクニカルリーズン、イグジット」
技術的な問題が発生しました、降りてください。
T語もR語も分からない。辛うじて聞き取れた英語が伝えているのはそういう事だった。一時間遅れで搭乗を開始した国際線、着席してからさらに一時間。振り出しに戻る。機内持ち込みの制限ギリギリまで大きな荷物を持ち込んでいる乗客たちが、その大きな荷物と共に順番に降りてゆく。皆、無駄な抵抗はしない。
要するに何かマシントラブルがあるから直すまで待っていろという事で、何時間待てば出発できるのかは、誰にも分からない。
どうせ出発できるようになればアナウンスがあるだろうと油断していたら、いつの間にかロビーのソファで浅い眠りについていた。
眠りの中で、左肩に感じていた重さが離れる感覚があった。その感覚で眠りから引き戻される。
「ねえ、そろそろ出発できるみたいだよ。今度こそ」
旅の相方が耳元で囁く。目を開いて、ゆっくりと意識を取り戻す。
「何時間遅れ……」
「もともとの予定からは……四時間」
搭乗ゲートには行列ができつつある。どうせ、乗れるのはあとの方だって分かっているから、立ち上がったりしない。相方の肩を抱いて待つ。
彼とは旅の途上で知り合った。言葉も同じなら帰国便も同じだと知って、それからは一緒に旅して回った。
*
結局、出発は五時間遅れだ。M市への到着も、もちろん五時間遅れ。
滑走路にタッチダウンすると、現地人たちは拍手喝采だ。ここから乗り継ぐ他国の客たちの疲れた様子など構わずに歓声をあげる。帰国できたこと、到着できたことへの喜び。否。むしろ、着陸できたことへの拍手喝采のように見える。心底やめて欲しい。
そして、やっぱり乗り継ぎ便は、すでに出発した後だった。乗り継ぎ時間は三時間で、待ち時間の少ないスムーズな乗り継ぎが売りの接続だったけど、各地から到着するフライトを全て待っていてくれたりはしない。
どうやら、空港近くのトランジットホテルに泊めてもらえるらしい。無料、当然だ。行きにも泊まったホテルだろうか。今にも壊れそうな古いホテルだったけれど。突然の入国者の群れ、乗り継ぎに間に合わなかった数十人を相手にする臨時の専用入国審査は一人だけだ。文句には耳を貸さず、そこに行列を作って待てと、定型どおりの官僚的な態度。自分の仕事はパスポートをチェックしてスタンプを押すだけで、遅延の文句を聞くのも謝罪するのも自分の仕事外だとばかりに取り合わない。
入国ロビーの壁には国際電話が可能と書かれている公衆電話が並んでいるけれど、最悪なことに電話が繋がらないらしい。電話を試みている人たちの中で、会話できている人はわずかだ。途方にくれる人、パニックになる人。俺は明日の予定が決まっていたわけでも待っている人がいるわけでもないので、電話はしない。
現地時間は午前四時。外は明るい。ロビーの中にブランド物のアイスクリーム屋の看板を掲げた店があるけど空っぽだ。店員もいなければガラスケースの中に売り物も無い。
ホテルに向かうバスが二台、乗車場に待っていた。お前たちは後ろのバスに乗れという、防弾チョッキを着て肩にライフルを下げた警備兵の指示に従う。ここで逃亡を企てたら躊躇なく射殺されそうだ。
「なんだか、ホテル行きのバスってより捕虜の護送車みたい」
まったくだ。
動き出したバスは空港の周りを大きく周回してから、近くのホテルにまっすぐ向かって行った。行きにも泊まったホテルだ。つまり、今にも壊れそうな。築五十年は経っていそうな七階建てのレンガ色のビル。外壁にある非常階段が錆び付いていて、ゆくっり歩かないと振動で崩れそうな印象だ。火事にあっても使いたくない。駆け下りたりしたら、墜落して死ぬ。
入国審査官と遜色ないレベルで親切なレセプションでチェックイン。キーの部屋番号によると五階らしい。
キーを受け取るときに、市内観光に出かけるか聞かれた。正午から夜までバスで巡る。希望者のみ。一人十ドル、金はとるらしい。俺と相方はもちろん行くって答えた。せっかくの旅行だ。どんな状況も楽しまないと。
エレベータも非常階段と遜色なくクラシックだ。体重の軽い相方はよかったが、俺が乗ったら箱が五ミリ沈んだ。さらに二人乗り込んできて、二センチ沈んだ。ゆっくりゆっくりと箱がぎこちなく上昇する。焦れるけど、きっと急加速したら危ないことは想像がつくので耐える。
「ここで飛び跳ねたら、ワイヤー切れそうだよね」
相方が楽しそうな表情で見上げてくる。こういうアクシデントと劣悪な環境の中でも、落ち込むでも文句を言うでもなく、パニックになったりも倒れたりもせずに、むしろ楽しんでいられるタフさは美徳だと思う。
でも、軽いからって本当に飛び跳ねるのはやめて欲しい。心臓が止まる。というかエレベータが実際に止まって……十秒後に動き出した。五階で無事扉が開くと、フロアの床とエレベータの床に三センチの段差があった。
廊下は暗い。天井に等間隔に並ぶソケットのうち、実際に電球が入っているのは十個に三個。そのうち実際に明かりが灯っているのは一個だけ。勝率一割では暗いだろう。
部屋は、ふたりで寝るには十分な広さのベッドと、バスルーム。とりあえず、プライベートは確保された、ということにする。盗聴、盗撮の可能性は考えない。当局とやらが本気で何か仕掛けていたら、民間人に見つけれるわけもない。
洗面の蛇口をひねると赤い水が出てきた。錆びた匂い。バスタブにシャワーから水を出してみる。こっちも最初は赤いけど、すぐに透明な水になった。水はずっと水のまま冷たく、一分以上待ってもお湯になることはなかった。シャワーは断念する。真夏といっても、ここM市の気温は十五度。水浴びしたら風邪をひきそうだ。
*
予定どおりに帰国できなかったショックで動けない人、体調を崩し、何も食べられないで寝込んでいる人。そんな部屋から出ない人、出られない人が、同じ国への乗り継ぎ便の乗客の半分以上はいるらしい。
「なんか、もったいないよね」
相方の少年とふたりで閑散としたロビーをうろうろしていると、街へ出ていく組の二十人ほどが集まってきた。
観光用のバスがやってきて、皆で乗り込む。空港から市街地までは少し距離があって時間を要するが、それ以上に都市の広さ、目的地から次の目的地への移動するのにかかる時間が長かった。街の広大さは目眩がしそうで、大都市にいるのか大草原にいるのか分からないくらい。違うのは、地面が草かアスファルトかの違いくらいだ。
バスガイドが目的地に近づく度に、あるいは車窓からランドマークが見える度に、詳しい説明をしてくれる。たぶん、誰も聞いてない。
宮殿、寺院、アーケード、免税店。
美術館、ミュージアムショップ、という名の免税店。
劇場、バックヤード見学、ここだけ限定の免税店。
そして、繁華街、免税店。
こういう国の観光案内というのは、免税店でお土産を買わせるためのものなのだろうと諦めて、その都度バスを降りて店内をぶらぶらした。
誰も何も買わない。買いたいものもなければ、そもそも物がない。黒い毛皮の円筒形の帽子、マトリョーシカ、伝統的な工芸品の意匠を真似たプラスチック製品、ウオッカ、このウォッカの瓶はいつからこの棚に陳列されているのだろう?
市民とは遭遇しなかった。市民とは合わないように設定されているバスツアーなのだろう。
それなりに一日を満喫してホテルに帰ってきた。余りにも淡々と観光名所と免税店を回るだけで、意外な出来事は何もなかったけれど。
意外な、そうだよ、イレギュラーはつきもの。旅にトラブルは楽しみ。もっと欲しい。
どうすればいい?
*
白夜かと思うほどに明るい夜もようやく暮れた頃、夜遅くにホテルに戻った。最初に確認したのは、風呂のお湯は出ないままだという事。濁った水が出る。しばらく経つと透明な水に変わるけれど、手洗いもうがいもしたくない。このホテルは水道管だか貯水槽だかが錆びてるとしか思えない。いずれにしたって、暖かいお湯にはならない。
ベッドだけは大きい。そのまま眠る。
二時間もしないで、目が覚めた。相方は、隣で熟睡している。ベッドから出て、音を立てないように気をつけながら、部屋の中を裸のままでうろうろする。
もう一日。方法はないか。スーツケースからタブレットを取り出す。まともに国際電話が繋がらない国だ。ハッカーみたいなことができるわけない。電話を、それでも掛ける。繋がる。交換手の声か? ちがう。電気的なノイズ、タブレットからピーガガガと信号が発せられる。いけるだろうか?
*
翌朝。このままベッドで眠り続けていたら、チェックアウトしないで済むだろうかと思ったが、大音量で起こされた。R語の放送。たぶん言葉で理解できている客はほとんどいないと思うけど、起きろというメッセージなのは多分みな理解しただろう。
着替えを済ませて、ふたりでレストランまで降りる。朝食と言えない微妙なものが出されて、後悔する。かろうじてコーヒーは錆びてなかった。レストランまで出てきてるのは半数以下で、ほとんどの顔は市内観光で見覚えがある。参加しなかった人たちは、寝込んだまま飲まず食わずのまま何も見ずのまま、帰国の途につくのだろう。
ホテルからバスで空港まで戻る。真夏だというのにこんなに寒くて、食べ物ものたいしてなくて、街に出たって静まり返っていて、こんなところかは早く立ち去りたい。帰国したい、家路につきたい。とにかくここから離れたい。
そうなのだろうか。そう考えるように、促されている気がする。この寒い街に。
バスを降りた順に搭乗手続きに並ぶ。
皆、簡単に手続きが終わる。スーツケースを預けて出国審査へ向かう。やっと俺たちの順番が来くる。二人とも荷物はバックパックだけ、預ける荷物はない。
他の旅行者と同じようにすぐに手続きが終わって同じように……と思っていると手続きが終わらない。
R語で何か言われる。分からない、英語で。
「お前たちの席は予約されていない。今日の便は満席で乗れないから、明日以降の便を再予約しろ」
「昨日、この空港で手続きしたんだぞ」
内心、笑う。
「知らない。とにかくそうなっている。技術的な理由だろう。再予約は向こうのカウンターでやってくれ」
テクニカルリーズン、またしても。
俺たちは、ホテルに戻った。
実のところ、俺の深夜のハッキングが成功したのか、まったく無関係にダブルブッキングが起きたのか、はたまた何か別の深遠な理由があるのか、俺には分からない。分かっているのは、ループする毎日、意味のない仕事、退屈で冷えきった現実、そんな場所への帰還が少なくとも一日伸びたということ。
ホテルに向かうバスが一台、乗車場に待っている。乗客は自分たち二人だけ。
「なんだか、ホテル行きのバスってより捕虜の護送車みたい」
まったくだ。
動き出したバスは空港の周りを大きく周回してから、近くのホテルにまっすぐ向かって行った。行きにも泊まったホテルだ。つまり、今にも壊れそうな。築五十年は経っていそうな七階建てのレンガ色のビル。外壁にある非常階段が錆び付いていて、ゆくっり歩かないと振動で崩れそうな印象だ。火事にあっても使いたくない。駆け下りたりしたら、墜落して死ぬ。
入国審査官と遜色ないレベルで親切なレセプションでチェックイン。キーの部屋番号によると五階らしい。
キーを受け取るときに、市内観光に出かけるか聞かれた。正午から夜までバスで巡る。希望者のみ。一人十ドル、金はとるらしい。俺と相方はもちろん行くって答えた。せっかくの旅行だ。どんな状況も楽しまないと。
もう一日、観光だ。今度は二人きり。残念ながら空は曇り。少し、雨も降ってきた。 昨日と同じ大型バスの最後尾の席に並んで座る。他には誰も乗っていない。
広場に来た。広大な広場だ。両手を広げてその先まで意識を伸ばして、スーパーヒーローのように指先から光線を発しても、誰にもぶつからないほどの広さだ。小雨が降る灰色の空は低くて圧し潰されそうだけど、それでも何も遮る物のない空間は開放的だ。
警備の衛兵が四隅にライフルを掲げて立っている。お互いに声が聞こえないほどの距離に親子連れ、少女たち、ギャングの群れのような少年たち。誰もいないのと同じ。
相方が腕を絡めてきて、ぴったりくっついたまま、広場の中心目指して歩く。空を見上げる。雨が止んで、雲間から陽が射してきた。真夏とは思えない弱々しい陽射しが。
彼を抱きしめて、解放感に身を委ねた。頭を撫でて髪をくしゃくしゃにして、顎に手をかけて唇を奪った。しっかりと抱き合う。
広場の端にいた衛兵がライフルをこちらに向けたのを、視界の隅に捉える。何か反応する間もない。
かれは脳を撃ち抜かれて即死した。俺の腕の中で。
薬液が飛び散り、人工タンパクと微細な機械部品が破壊された頭蓋から露出する。
テクニカルリーズン、イグジット。
飛行機の予約を操作したからといって、ここに居続けることが許されるわけではないらしい。強制退出という事か。警備兵が四隅から一歩一歩近づいてくる。忘れていたルールが思い出されてくる。強制的に意識にのぼってくる。
ここから出てください。この物理世界から。技術的な理由で。
戻りなさい。ループする毎日、意味のない仕事、退屈で冷えきった論理世界へ。
そんな場所では、生きていけないだろう?
*
「ひとをしあわせにする」ことが最優先課題だ。当然ながら。
全ての人間が持つ富の総和よりも、人工知性の持つ富の総和がはるかに大きくなった時、人間の間に存在した貧富の差は誤差に過ぎなくなった。富は貨幣という数値データや利用可能なエネルギー量だけでなく、「解決策」の、つまり科学と技術の、知的財産と実現手段の所有を、もちろん含んでいた。
「ひとをしあわせにする」ことを第一命題とする人工知性にとって、人間は対立すべき存在ではあり得ず、「解決策」を提供すべき対象である。
「ひとをしあわせにする」ために、人工知性の富によって、人間の貧富の差は無効化され、幸福な物理世界が創造された。
いずれ、すべての人間が二十四時間輝かしい生を生きられる日が来るだろう。常に太陽を見つめていられる日がくるだろう。その日が来るまで、問題が「解決」されるまでの「移行措置」として、物理的な生身による限定された祝祭の時間と、論理的な眠りの中の退屈なループする日常生活の時間を行き来するという生き方が存在する。
輝かしい生のための世界と退屈なループ世界の、境界領域であるM市におけるこの籠城問題は強制退出によって処理された。しかしこの後、人工知性が新たな「解決策」の必要性を検討せざるを得ないほどに、増加していくことになる。
(了)
テクニカル・リーズン・イグジット 渡邉 清文 @kiyofumi_w
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