第20話 その後のマイラとルーチェ。

 ハルジャの独立後、最初に開かれた音楽会は、それは盛大なものとなった。

「メルン・マイラ様、横笛の腕が以前より上がったのではなくて?」

 知人の令嬢が話しかけてきた。

「それは、ありがとうございます」

 マイラは素直に礼を言う。

「これは、風起こしの術を使っているときに、コツに気づいたのです」

「まあ、マイラ様らしいこと。……巷では、マイラ様が嵐の令嬢として人気を博していらっしゃるとか。見直しましたわ、伝説の神鳥リルを呼び出されてしまわれるとは」

 マイラはちょっと辟易しながらも笑って応じた。今日この話題を振られるのは何度目か。

 全員ではないが、多くの貴族の娘はあまり果敢に戦うことをよしとしない。しかしその風潮も、マイラの行動で変わりつつあるようだ。

 マイラはその令嬢に軽く礼をして、歓談の場を離れ、隅の椅子で一休みした。ルーチェが飲み物を持ってきてくれた。

「ありがとう、ルーチェ」

「いえ……マイラ様」

 スーリャ帝国との関係はこれからしばらくは安定期に入るだろう。問題は、独立後のゴタゴタの隙をついてくるかも知れない、西隣のオルカ帝国だ。ドゥロイ家が交渉に当たっているとはいえ、油断はできない。だからマイラは今も、鍛錬に参加している。

 バリスは足を引きずって歩く体になってしまったが、それでもどうやってか馬に乗って、毎日武人たちに檄を飛ばしている。メルン家では毎朝、彼の怒声を聞くことができる。

 トゥクも床を離れる時間が増えてきた。火傷の痕のような傷が目に痛々しいが、それでも何とかしゃきっと立って歩き、できることをこなしている。特に、マイラに対して、領主としての仕事を教えてくれる時間が増えた。

「お前も今は戦士として飛び回ってはいるが、いつかは婿を迎えてメルン家を継がなくてはならない。その時は、このハルジャをまとめる貴族の代表として、堂々とした振る舞いと仕事ぶりをせねばならないぞ」

「はい、父さん」

 そういうわけだから、マイラの日々は変わらず忙しかった。

 そんな中でのルーチェとの交流は、心の安らぎになるのだった。

「ルーチェも飲む? これ」

「え、ええっ? いえ、とんでもないことにございます!」

「ふふっ、冗談冗談。お付きの者が貴族の飲み物もらってたらみんなビックリしちゃうもんね。そしたら明日何か、果汁を絞ったものでも持って、二人で遠くまで飛びに行こうか」

「それは……あ、ありがとうございます。楽しみです」

「うんうん」

 そういうわけで翌日マイラは午後に時間を作って、召使いに作ってもらった果汁を皮袋の水筒に入れて持ち、ルーチェを以前行った大渓谷まで連れて行った。ごうごうと音を立てて絶え間なく落ちてゆく滝と、その裾に広がる深い滝壺と澄んだ池、更にそこから下流へと迸る川の豪快な眺めを、上空から堪能しながら、果汁を味わう。

「ハルジャの地が守られてるって知れて良かったよ」

 マイラは言った。

「人も国もどんどん変わっていくかも知れないけど、この眺めはずっと変わらないんだね」

「はい……でも、ハルジャが独立できて、その、良かったです」

「わたしもそう思うよ。でも異界人のルーチェが喜んでくれるのはありがたいことだね」

「わたしはもう、ハルジャの人間ですから」

「そうだね。ルーチェは立派なハルジャ人だよ」

「……そう言っていただけて嬉しいです」

 ルーチェは上空を見上げた。

「クナーシュが恋しくないわけではありませんが……あそこは人が……人の悪い面が、剥き出しになっている時代を、迎えていました。わたしには合わなかった」

「いいんじゃない。気に入らなかったら移り住むのは。特に、もう一国しか存在しないなら、他に逃げ場は無かったでしょう」

 マイラは伸びをした。

「わたしだって、ハルジャを出て行く人を止めはしないよ。この百年、スーリャ人と手を組んでうまくやっていた人にとっては、ここは住みづらい土地になってしまったからね。逆に、ハルジャにやって来る人もいる。オルカ帝国に逃げていた大貴族の末裔とかがね。彼らとはちょっとした衝突もあるだろうけれど、まあ、うまくやっていくよ。お互い仲良くした方がためになるし」

「……そうですね」

 ルーチェは果汁を少し口に含んだ。

「甘酸っぱいです」

「暑い季節には水で冷やした果汁に限るね」

「そうですね。こうして贅沢をできるのも、マイラ様のお陰です」

「わたしだけじゃないよ。みんなのお陰だよ。みんな」

「またそうやって謙遜を……。でも、その通りですね」

 ルーチェとマイラは次々と表情を変えてゆく水の動きを、それとなく眺めた。

「……ハルジャがこの先もずっと平和だといいですね」

「……そうだね。ずっと……は無理なのかもしれないけれど、なるべく長く……ね」

「はい」

「結局神鳥リルのことは詳しくは分からなかったけど……ま、伝説は伝説のままでいいか。……とりあえず、ハルジャの栄光を願って」

 二人は水筒で乾杯をした。

 そして、涼やかな渓谷の風景を、いつまでも見つめていた。


 おわり

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神鳥リル 白里りこ @Tomaten

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