うちの冷蔵庫に、知らない女の首がある
星来 香文子
ちゃんと閉めてよ
「いやぁ……もう本当に驚きましたよ。ちょっと喉が渇いたんで、水を飲もうと冷蔵庫を開けたら、目が合っちゃったんですから……しかも、夜中ですよ?」
冷蔵庫の中に、知らない女の首がある————とある街で、そんな通報が何件も届いていた。
「……それは、怖いですね」
私は、その通報をしたうちの一人から当時の状況を詳しく聞いた。
彼は一人暮らしのフリーターで、何人か取材をした中でも一番快くインタビューに答えてくれている。
「ええ、本当にそれはもう、びっくりしました! こんな風に、普通に開けただけで……僕は一人暮らしで、自炊もほとんどしていません。だから、冷蔵庫っていってもほとんど空で……」
実際にその冷蔵庫を見せてもらったが、確かにドアポケットに水とケチャップやマヨネーズなどの調味料が数本、棚には缶酎ハイが二本と申し訳程度に納豆や鮭フレークの瓶などのご飯のお供くらいしか入っていなかった。
「ちょうど、先月の誕生日にバイト先でもらったケーキの箱が入らなくてね……棚の高さを変えたままにしていたんです。どうせ使わないし……そしたらもう、そこにごろっと、横たわるように入ってまして」
一番上の段は十分に高さがあり、ぽっかりと空いていたそのスペースを指差して、彼は当時の様子を語る。
それにしても、なぜこんなにも楽しそうなのか。
夜中に冷蔵庫を開けたら見知らぬ女性の首が入っていて、しかも目があったなんて恐ろしい体験をしているというのに……
私は疑問に思ったが、その答えは単純だった。
「驚いて、反射的に閉めたんです。で、恐る恐るもう一回確認してみたら、やっぱりそこに首があって……。で、もう一回閉めてすぐに寝室に。ちょっと水が飲みたかっただけなので、スマホは枕元に置いたままでしたから。で、警察に通報したんですけど……」
「————警察が到着した頃には、跡形もなく消えていた……というわけですね」
「ええ、そうなんです! びっくりしましたよ!! 僕はこの目ではっきりと見たのに、どこにもないんですよ!? これって、怪奇現象でしょう!? 初めてだったんですよ、こんな体験をしたのは!!」
彼は、自分が体験したその奇妙な出来事を語り、人々から関心を持たれたいのだ。
「このことをツイートしたら、一気にフォロワーが増えましてね……動画の再生数も増えました。あなた方のように取材の予定もたくさん。こういうのをバズったって言うんでしょう? あの瞬間は確かにとても怖かったですが、僕は一生語れる貴重な体験をしたと、今では嬉しく思っているんです」
これは後から知ったのだが、彼はアルバイトをしながらYouTubeに動画投稿もしているそうだ。
チャンネルを教えてもらったが、確かにその時の状況を語っているものだけ再生回数が伸びていた。
「そう……ですか」
「それに、念のためルミノール反応ってやつで血痕がないか調べてもらったんですけど何も出なくて————」
そう、他の通報者も、みんな同じことを言っている。
首が冷蔵庫の中にある上、目があうのだ。
スマホを手に持っていたとしても、冷蔵庫のドアを開けっ放しで通報なんてできないし、できれば近づきたくもない。
ドアを閉めて、通報し警察が到着するまでの数分で一体何が起きているのか、一体どのようにして消えたのか、その過程を誰も見ていない。
警察も最初はいたずらだと思ったのだが、同じ街に住んでいる以外に接点のない人が同じことを言っているため無下にもできず困っていた。
その話を偶然聞いた上司に、たまたま同じ街に住んでいるからという理由で取材を命じられ、今に至る。
その首の正体と、一体なぜ消えるのかを探るように————と。
芸能誌から部署異動して、一番最初の仕事がまさかのこれだ。
この日取材をした三人から新たな証言が取れることはなく、そろそろどう記事をまとめるか考えなければと思いながら、私は自宅のマンションに戻った。
「……うーん、同じ街の出来事だし、ウチの冷蔵庫にも入っていたらいいのに……」
なんて冗談を、自分以外誰もいない部屋で口に出し、馬鹿らしくなる。
「シャワー浴びよ……」
シャワーを浴びている間は、すっかりその首のことは忘れていた。
先々週から始まった連続ドラマの続きを見ようと、思っていたからだ。
あのドラマは次週への引きがすばらしく、展開をあれこれと自分なりに予想したりもしていた。
だから本当に、その瞬間は何が起きているのか気づかなかった。
「———え?」
うちの冷蔵庫に、知らない女の首があるなんて、気づかなかった。
濡れた頭をわしゃわしゃとタオルで拭きながら、冷蔵庫を開けると、知らない女の首と目があうまでは……
私はあまりに驚いて、それ以降口から言葉が出なかった。
知らない女の首が、うちの冷蔵庫に横になって入っている。
それも、悲痛な表情で目を見開いている状態で、首の断面には長い黒い髪が張り付いていてよく見えないが、血がポタポタと滴り落ちていた。
私は反射的に一度閉めてしまった。
そうして、もう一度、そっと確認のためドアを開ける。
「…………」
ある。
確かに、そこに知らない女の首がある。
もう一度閉めて警察を呼ばねばと思ったその時、それまで取材してきた人たちのことが頭をよぎった。
————し、閉めちゃダメだ。
幸運にも、スマホは冷蔵庫のすぐそばにあった。
ダイニングテーブルの上だ。
後ろでに手を伸ばせば、すぐに届く。
私は、まばたきをしないその女の首と目があったまま手探りでスマホを手にし、警察に通報する。
「————すみません、あの、うちの冷蔵庫に、知らない女の首があるんですが……」
正直、怖かった。
しかし、目をそらすわけにはいかない。
冷蔵庫のドアを、閉めるわけにもいかない。
————そ、そうだ、動画……動画を撮ろう
私はスマホのカメラを起動して、すぐに録画ボタンを押した。
しかし……
————う、映らない
カメラを通すと、その首は一切映らなかった。
肉眼で見る限りは、確かにそこにあるのに。
今もこうして、目が合っているのに。
————本当にこれ、何? 怪奇現象?
シャワーを浴びたばかりのさっぱりした肌が、じわりと湿る。
冷や汗をかくとはまさにこの状態のようだと実感した。
早く警察よ来てくれ……と願っていると、玄関のチャイムがなった。
————あ、鍵が……!!
警察は到着したが、玄関の鍵はかかったままだ。
玄関まで行かなければならず、冷蔵庫のドアを開けたまま私は仕方がなく冷蔵庫から目を離して走った。
「……ちゃんと閉めてよ」
そんな声が、聞こえた気がしたが振り返ることができなかった。
そしてなんとか鍵を開け、警察官とともに冷蔵庫に戻ると、開けたままにしていたはずのドアが閉まっている。
「……うそ、なんで……?」
警官が冷蔵庫のドアを開けて、中を確認すると、そこにあったはずの女の首は消えていた。
滴り落ちていた血も、そんなものはなかったというように、綺麗さっぱりと。
あれは一体なんだったのか……
全くわからない。
確かに目の前にあったのに、カメラには映らない、知らない女の首……
どうして、冷蔵庫に入っていたのか、わからない。
後日、友人にそのことを話したが、突然の部署異動に、ストレスを感じていたせいで幻覚でも見たのではないかと病院を薦められてしまった。
診断書を書いてもらって、一度休職したらどうかとも……
確かに、なんども同じような話を聞かされたのは、かなりのストレスだったが……
あの時、録画したままだった、ほとんど空の冷蔵庫しか映っていない動画を見直すと声だけは、かすかに残っていた。
『……ちゃんと閉めてよ』
知らない女の声だ。
うちの冷蔵庫にいた、あの女の声だ。
それ以来私は、冷蔵庫を空にするのがとても怖い。
うちの冷蔵庫に、知らない女の首がある 星来 香文子 @eru_melon
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