第10球 ᚤ

第9球目はこちらです。

『第9球 すると』

https://kakuyomu.jp/works/16817139555266066744/episodes/16817139557855398137




「美味しそうだね」

 全く悪意のないコメント。楽しそうに目を細めて、木本さんは微笑んだ。

「……水族館でそういうこと言うの、正直どうかと思いますけど」

「だってこれ、鮭じゃないか。もう少ししたら、食べ頃だよ」

 焼くのもいいし、煮るのもいい。魚の輝く鱗を見ながら、彼はああだこうだと言っている。

「知ってるかい? 鮭にはしばみの実を食べさせると、『知恵の鮭』になるんだよ。勉強なんかしなくたって、これさえ口にしてしまえば、どの大学も受かりたい放題だ」

「はぁ、そうすか……」

こういうのって、「残念なイケメン」って言うのかな。子連れ客の視線が痛くて、私は木本さんの腕を引っ張って、無理やりその場を後にした。

「どうでもいいですけど、もうちょっとだけ、静かにしてください。恥ずかしいんですから、こういうの……」

「こういうのって、どういうの?」

 アーチ状の水槽を、優雅に泳ぐクラゲたち。他のカップルに負けず劣らず、彼はキラキラオーラを振りまいて、私の右手をそっと取る。

「やっ、やめてくださいよ!! これじゃあまるで、モノホンのカップルじゃないですか!!」

「『デート♡』なんだから、当然だろ? ほら、早く行こうよ」

 ……さっきから、振り回されっぱなし。彼は一体、何がしたいんだろう。

「この水槽も、面白いね。どの魚も、珍しい色をしている」

 波打った形をした、中型の展示水槽。私たちの顔の前を、魚は呑気に通り過ぎる。

「どうせまた、『美味しそう』なんですよね?」

「まぁ、食べられないことはないと思うよ。けどさ、せっかく食べるなら、鮭やニシンの方がいいかな」

 彼はつぅっと、線をなぞる。まるで、閉じた世界のその端を、ゆっくりゆっくり、確かめるように。

「……哀れだね。ここにいる魚たちも。君のような人間も」

 彼はどこかに話し掛けた。ここじゃない、どこか別の世界に。

「自分の信じるものだけが、この世の『真』だと思い込む。けれど、僕からしてみれば、そんなのはほんの一部でしかない。この水槽が、大きなおおきな水族館の、ほんの一部でしかないように……」

 彼を覗き込んだ小魚は、驚いたように奥へと逃げた。「関わってはいけない」と、本能的に分かったようだ。

「どのような神であれ、矮小な人間からしてみれば、偉大で崇高な御神だ。その意思に歯向かうなど、驕りも実に甚だしい」

 私のことを見下ろして、冷たい声で言い放つ。穏やかだったはずの瞳は、今は全く笑っていない。

「『哀れ』を『哀れ』と分からないから、人間は愚かなのだ」

 神は、人間の知らない世界を、知っている。

 私は、彼の顔を見た。そして、言葉を噛み砕いた。


 ……それは、そうかもしれない。私たちは、檻の中に閉じ込められた、実験用の鼠のようなものかもしれない。


 けど。


「――それって、ただの決めつけじゃないですか」

 彼の眉が、ぴくりと動いた。私が歯向かうとは、露ほども思っていなかった。そう言いたげな、表情だった。

「水族館の魚たちだって、大きな水槽の中で、自由にエサを食べて、楽しんでいるかもしれないじゃないですか」


 ――例え、あなたが神であっても。小さな世界の奥の奥まで、分かるはずがないですよ。


 私は言った。小さいけれど、確かな声で。

「……ふぅん。それが、君の答えか」

 木本さんは、クスクスと笑った。それは嘲笑っているようにも、感心しているようにも見えた。

「何か、おかしいですか」

「いや。そうでなくちゃ、面白くない」

 ……そう言うと、彼はパチンと、指を鳴らした。




第11球目はこちらです。

『第11球 またね』

https://kakuyomu.jp/works/16817139555266066744/episodes/16817139558208450080

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