エピローグ
長い長い眠りが、僕の意識を殺すことはできなかった。沈む瞬間に繫いだ誰かの腕が、僕を救い上げた。
目覚めた時。僕は名も知らぬ病院の、集中治療室で横たわっていた。病院の名前は分からない。まだ意識が朦朧としているうちに、あっという間に僕は、その病院から追い出されるように、退院させられたからだ。病院前のベンチに座り、僕はしばらく空を見上げていた。澱んだ空だった。財布は無事で制服も着込んでいた。けれど、ホントならそばにいるはずの、スマホさんがいなかった。その後、僕はあの一軒家へ、戻ってみた。家の前は、警官とパトカーで包囲されてしまっていた。どこのだれかも分からないスーツの男たちが、本から家具までを段ボールに詰めて、淡々と運んでいた。帰ってきた僕の前に立ちふさがった警官は感情なく言った。
「立ち入り禁止です。ここはもう、あなたの家ではありません。このスマートフォンだけしか、お渡しできません」
そうして、僕はようやくスマホさんと再会できた。ただ、彼女の心はそのボディからもう、抜け落ちていた。遺体と呼んでも良いボディだけだった。結局そのあとの僕は、安形と進藤が下宿している学生寮へと、転がり込むしかなかった。そして、安形は一生懸命に、起動しないスマホさんを直そうと努力してくれた。けれども、治る気配は無かった。
「お手上げだ」
ある日、学生寮の空き部屋に横たわるスマホさんの傍で、安形は悔しそうにノートパソコンを閉じた。
「なにがお手上げなんだ」
首を捻って進藤は聞く。
「OBDでもエラーコードは検出できない。自己診断プログラムもオールグリーン。電装品に問題はないから、電源も入る。それでも、スマホさんはOSを起動しない。負けた気分だ。未知のエラーが発生してるんだよ。これだと、バックアップフォルダを、新規でインストールするほかない」
「なあ、バックアップフォルダはあるんだろ?」
と進藤が不安げに、僕へ話を振ってきた。
「あったんだ。ドラゴンが一つ残らず、破壊してしまったけど」
僕が答えると、二人とも口をつぐんでしまう。スマホさんを乗っ取った時、ドラゴンはスマホさんのバックアップを一つ残らず、消し去っていやがった。スマホさんが保管していたものは、なにもかも全て消去されていた。僕がネットクラウドに分散させていたバックアップや、予備PCに保管していた実体データまで全滅だった。その執念深さは、今考えても気色悪い。
結局、スマホさんは動かぬまま。そして僕も心を閉ざして、寮の空き部屋に引きこもるまま、数週間が過ぎた。最低限の食事と睡眠しかしない、生きた屍とも言える状態だった。もう、僕の心から青い炎は消え去っていた。学校は一週間足らずで打ち切られ、授業は再開されたらしい。ドラゴンというリーダーを失ったノーシス軍は、これまでの侵略の勢いが嘘かのように、各国の軍隊に蹴散らされ、一か月も持たず崩壊した。それに関連して、ノーシス軍を支援していた疑惑により、ハイキャッスルコンツェルンは資金繰りが悪化し、あっという間に破産した。高城さんはその日を境に、学校に来なくなった……ってことにはならなかった。進藤曰く、名字は変わったけど、今まで通り学校に来ているとか。意外に思えたが、彼女にとって家名は些細な問題だった。なんたって、彼女は特殊で有用な、アンシブルテレパシーが使えるのだから。
もう一つ、意外だったことがある。僕とドラゴンの死闘を録画した動画が、色々なSNSで密かに広まっているらしい。『ノーシスのボスが、天才ハッカーに殺される瞬間動画!』だとかのタイトルで。ダイバーと言うよりハッカーという方が、メジャーなのだろう。こんな動画をバラまいた犯人は、僕にはもう見当がついている。きっとアンシブルテレパシーを使って、ありとあらゆるSNSで、アップロードしたんだろう。拡散だのバズだのの、激しい広まり方ではないにしろ、僕は喜んでいいのか、怒っていいのか、わからなかった。けれど、僕の行動が、なにかしら世界にいい影響を与えたならば、普通にうれしいように思えた。
僕は高城さんからのアンシブルテレパシーを、一度だけ拾った。もう一度、あの喫茶店で会いましょう、と。たぶん、彼女はこれからも生きていけるんだろうと直感した。
僕はドラゴンを殺した。そして世の中は元に戻った。けれど、僕は抜け殻のようになったまま、取り残されていた。寮に居候してから三週間がたったころ。進藤は渋い顔で忠告してきた。
「もう五月の半ばだぞ。いい加減学校に来ないと、退学になる。いつまでも庇うことは、難しいぞ」
「働かざる者、食うべからずだものな」
「ま、それが分かるならいいんだが……カオリが言ってたんだ。このまま欠席し続けるなら退学まで、あと一週間だそうだぞ」
それでも、僕の心はエンストしたままだった。それからさらに何日か経って、パインから僕のアカウントに、メールが送られてきた。それを、僕はロボット部のパソコンを借りて読んだ。なんでも、生き別れた父親から、なんとEメールが届いたという内容だった。父親は外国のクーデターに加担した罪で、収監されているものの、命は無事だという短文だったそうだ。このメールは謎のバックドアを経由して送られてきたらしく、パインは不思議だと書いていた。彼女へ種明かしをする日は来るのだろうか。もう一か月近く、僕はダイブをしていない。このままだと、ダイブ能力も退化して失うだろう。
僕は、メールアカウントからログアウトして、パソコンの電源を落とす。そして、部室の窓から見える、都庁をぼんやり眺めた。四角の柱を多重に重ね合わせた重厚な砦。街中でも常に見える東京のランドマーク。僕がドラゴンと死闘を繰り広げた戦地。それは変わらず、そこにあった。ふと疑問がよぎった。どうして、スマホさんのデイドリームは、シンジュクだったんだ。学校でも、あの大ケヤキの公園でも、府中でもなくて、なんで、MMのシンジュクだったんだろうか? あの都庁も、特科高からは常に見える場所だけれど、スマホさんとの思い出には無関係の場所なはずだ。スマホさんは、ドラゴン殺しのために、僕がダイブしてくることを知っていた。知っていて、僕にあの風景を見せたとしたら。何か理由があるはずだ。
鍵はそこにしかない。わずかに残っていた生気をかき集めて、僕は再びパソコンに向かい合う。MMのシンジュクへ、ダイブするために。そこにきっと、何かが待っているはずだと。持っているヘッドギアをどうにか接続し、僕は低速度モードで、なんとかダイブできた。
カクカクしいMM世界のシンジュク前へ、群青の忍者は転送された。相変わらずローポリゴンで、薄っぺらい世界だった。けれど、どこか居心地のよさも感じる。かつての家や寮の空き部屋よりは、不思議と安心できる気がした。
ぎこちない動きで周囲を見回してみると、描画範囲から、黒いウサギの着ぐるみが、こちらへピョコピョコ歩いて近づいてくるのが確認できた。非ダイバーMMプレイヤーのネクロだ。
「あ! やっと会えた」
彼なのか彼女なのかわからないプレイヤーは、僕にあいさつのエモートを使う。
「ああ、ネクロ。久しぶり」
非ダイバーのMM内フレンドは、ネクロくらいなものだった。ネクロは、前も持っていたカラフルな卵を抱えていた。そのアイテム名はイースターエッグ。――イースターエッグは、隠しプログラムの隠語だ。
「カケルが来るのをずっと待ってたんだよ」
「どうしてだ?」
「このイースターエッグのプログラムフォルダをね、五月を過ぎたらカケルへあげるように、運営のマイキャラから頼まれてたんだ。黙っててごめんね。なんでかは知らないけど、それまで内緒にしてくれって言われてて」
運営のマイキャラ。このMMにも運営用マイキャラは居る。けれど、プレイヤーへ何かを頼むなんてことは、規則上まず無い。あるとすれば、偽物の運営。しれっと悪戯を挟んでくる、そんなマイキャラを僕はよく知っている。
「そのキャラは、赤と緑の目で青い髪の、耳にアンテナの付いた格好をしてなかったか」
「そだよ。知り合いだったんだ」
「ああ。ずっとずっと、昔からの戦友だよ」
ネクロへお礼の言葉を告げ、謝礼のたくさんのジュエルを渡して、僕はその卵を引き取った。ドラゴンがマークしていない非ダイバーだからこそ、安全に保存できたスマホさんのバックアップフォルダを、僕は部室PCへしっかりコピーした。
息苦しい低速モードダイブから浮上して、僕はロボット部の教室を見回した。強い夕日の差し込んだ教室は、金色に輝いて見えた。僕の傍で、首を項垂れるスマホさんの肩を抱く。PCから伸びるUSBケーブルを、スマホさんの首の付け根にあるUSB端子へ接続する。接続が確認できてから、僕は彼女のヘッドセットの傍で囁いた。
「チェシャ。バックアップフォルダをインストールして」
すると、アンテナが赤く、激しく点滅しだした。ずっとふさがっていた瞼が、すっと開いた。もう一生見れないと思っていた、ルビーとエメラルドのオッドアイが、僕を見つめている。
「終わったんだね」
スマホさんは、そういった。
「ああ、ドラゴンは殺した。僕は、世界を元通りに変えてみせた」
僕がそう報告すると、スマホさんはわっと泣き出した。
「ありがとう。よくできたね」
深くうなずいて、僕はその言葉を受け取った。
「スマホさんが居なければ、できなかったよ」
「でも。その言葉を受け取る資格は、わたしにはないの。今のわたしは三月のわたし。入学式からカケルと一緒にいたわたしは、デリートされて死んでるんだよ」
最後に儚く笑ったあの人に、僕はもう二度と会えない。その事実は覚悟していても、重く辛いものだった。動悸が激しくなり、めまいを覚えた。
「それは分かってる。バックアップの保存日は、三月三十一日だった」
その日が、限界だったのだろう。その日を過ぎれば、ドラゴンの計画が始まり、巨大なデータを隠すには間に合わなかった。
「これから、どうする? わたしのこと捨てる? だって、カケルにとってはわたしは、似て非なる別のスマホさんだもの」
「僕には新しい目的が出来たんだ。まず、それを聞いてくれるか」
僕の声は、これ以上ないほどハッキリしていた。誰かに押し付けられて嫌々こなす生き方でもなく、モヤモヤして纏まらない不安を抱える日常でもない。自分で見つけた、自分の生き様が、僕には見えてきた。ドラゴンより怖い敵に襲われるかもしれないし、僕がダイブで命を落とすかもしれない。これから僕の進む先は、誰もレールを敷いていないから。けれど、僕はダイバーとして、この世界で活躍したい。そのために必要なものは貴女だ。
「うん」
「これから、君を一秒でも長く大事にしたい。僕が生きていくためには、君が要る。君は僕の一番の、戦友だから」
青い炎は再び、僕の中で燃え始めていた。スマホさんは照れるあまり、目線をずらす。その顔に、ようやく自然な微笑みが戻ってきていた。僕はそれが、ずっと見たかった。
「一か月の間に、そんなこと言うようになったんだ。えらいね」
「言うし、するようにもなったよ」
スマホさんの頬をしっかりつかんで、じっと見つめてやる。え? と言ってスマホさんは動きを止める。まんまるな切れ長のオッドアイ。右耳のブレード、高く結えたポニーテール。その持ち主を、僕は笑顔にしたかった。
僕はスマホさんへ、二度目のファーストキスを口づけた。
もしもスマホが泣くならば 大守アロイ @Super_Alloy
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