第24話

群青の忍者へ、僕の意識は戻ってきた。目の前に迫る光線に気付き、地面へ飛び込むように伏せた。龍のブレスが、頭上を掠めて飛んでゆく。

「息を吹き返した? バグファイルのプログラムが脳に干渉したのか」

 ドラゴンの言葉に、驚きと狼狽の色がかすかに感じられた。デイドリームの構成が書き換わり、僕とドラゴンは、東京都庁の屋上ヘリポートで対峙していた。ドラゴンの光線が間髪入れず飛んでくる。僕は弾道を避けるダンスを、再開する。仮想のシンジュクは洪水でほぼ水没して、水平線に囲まれた絶海へと変わっていた。この閉鎖空間で、都庁屋上のヘリポートだけが二つの孤島となって浮かんていた。眼下には、水に沈んだ大都市シンジュクのビル群が、まるでサンゴ礁のように広がっている。

「もう終わりにしよう。地獄がお前を呼んでいるよ」

 刀の柄へ、青炎の吐息を吹き込むと、刀は再び青く燃えて、熱を帯びる。データの洪水でずぶぬれになっていた忍び装束は、青い炎で瞬く間に乾いてゆく。

「ぬかせ。もうあと数分で、インターネットを経由したアメリカ帝国防衛プログラムのクラッキングは完了する。そうすれば、進化したパンドラウィルスが全世界へばらまかれ、第一段階である脊椎動物の絶滅は開始される。私という永遠の存在が一つだけあれば、この宇宙というちっぽけな偽の世界は、事足りるのだ。邪魔なものは捨てるに限る。コストカットだコストカットォ!」

 僕は勝ちたい。復讐がどうのの問題じゃない。僕はこの敵に打ち勝ち、世界を変えたい。それが自分の生きる理由。メッセージボトルが教えてくれた、あの名前を使うことにした。僕は迷わなかった。迷えなかった。彼女は、それを望んでいたから。

「チェシャ。初期化プログラムを作動させろ」

 チェシャ。それが、君の本名だ。僕は君が好きだった。愛していた。たとえ偽りの関係であったとしても、君が居てくれたから、助けてくれたから、僕は生きてみようと思った。世界を塗り替えたいと思った。キーワードを引き金にして、ドラゴンの頭上に、ブルーウィンドウが浮かんだ。ウィンドウには『初期化パスワードを入力』とだけ表示されていた。

「お前、何を」

 ドラゴンには想定外の自称だったらしい。奴は初めて、狼狽した表情を見せた。なぜなら、ドラゴンを戸惑わせたこのウィンドウへ、正しいパスワードを入力すれば、このシンジュクは、ドラゴンを巻き込んで初期化されるから。その数字は、スマホさんがあらかじめ設定したもののはずだ。

「このデイドリームは、スマホさんのプログラム内部だ。お前はプログラムに巣食うウィルスに過ぎない。このサイバースペース自体を初期化すれば、お前もスマホさん内部からデリートされる。だから、スマホさんは僕をここへ呼んだんだ」

 返事は光線として帰ってきた。図星か。分かりやすい奴。水面を蹴り跳ねて、どうにかブレスの光線を躱す。ドットが欠けて、さざ波たったマイキャラでも、一番の武器である機動力は失っていない。最後の余力を使って、僕は影分身スキルを展開させる。一層ひどい風体のニンジャが、また二人現れる。

「何度も小賢しい! その低能力の汎用スキルで、その初期化とやらをやってみせろ! 何ケタか、英数字かも分からんくせに、パスワードが撃てるものか! 劣等生命風情が、この至高の存在へ楯突くなど、有ってはならぬ!」

 ドラゴンは尻尾を振り回し、分身の僕らを纏めてなぎ倒そうと試みる。尻尾でぶん殴られた影分身の一つが、強烈な光を発して爆発した。青い閃光を浴びて、ドラゴンの動きがほんの2fps分遅くなる。

 来た。その一瞬の好機を、僕は我が物にしようとする。パスワードを入力できるチャンスは、たぶん一回だけだろう。さっきから僕の脳波は、瀕死のラインを彷徨っている。もう時間はない。歯を噛みしめて、ドラゴンを見据える。スマホさんがあらかじめ設定したパスワードを、僕が知らないわけがない。その数字を僕は知っている。この四ケタでなければ、別に死んでいい。負けたっていい。僕の誕生日でも、ランダム生成でもないその数字。

激高したドラゴンは、反応の遅れを取り戻すべく、炎のブレスを扇状に撃ちまくって来た。僕は敢えて、龍のブレスの射線へ、ふらっと飛び出てやった。

「やっと殺せる! 邪魔なんだよお!」

 そのブレスは当たらなかった。ブレスの弾道は、虚空を貫く。僕の固有スキルは、バックドア。自分のマイキャラを、自由に転送できる能力。トドメを刺す時まで、龍にはバックドアの効果を隠していた。このために。最高のたった一つの勝機のために。

 転送した僕は、ドラゴンの背中に取りつき、刀をドラゴンの胸元へ突き刺して、捻る。刀を抜こうと暴れもがくドラゴンへ、ありったけのデリートセルを注ぎ込んだ。

 動きを鈍らせたドラゴンが、喘ぐように言う。

「この程度で殺せるとでも、私の回復力は、お前のデリートセルを……」

「パスワードの銃弾を撃つくらいの時間は作れたさ」

 左手の火縄銃を、ドラゴンの頭に突き付けて、僕は言った。うすら笑いを浮かべて、ドラゴンは歯噛みする。

「やってみせろ、一度きりの博打に失敗して、お前は死ぬ。最高の存在である私を邪魔するモノは、なにもかも無くなって消えてしまうべきなんだ!」

 僕は脳に、四桁の数字を思い描いた。

 スマホさんが家に来た日のことを、今でもはっきりと覚えている。

 いたずら好きで飄々とした性格が仕上がる前の、まっさらなスマホさんだった。

「こんにちは。いつまで居れるかわからないけど、最後まで大事にしてね」

 その時、大事にします。と僕は約束した。

 君は、僕と初めて会った時から、壊される宿命を背負い続けていた。

それでも最期まで、君は僕の傍に居てくれた。

 君の決めたであろう四桁の数字を、淀みなく入力する。

 君が僕の元へ来てくれた日は、四月三十日。今日の日付。

 パスワードは、0430。

 最後まで大事にして。歪んだプログラムに縛り付けられた君の、そのわがままな望みを、僕は叶えられただろうか?

 火縄銃の銃弾が、ドラゴンの頭蓋を撃ち抜いた。パスワードを入力した瞬間、ドラゴンは動きを止めて硬直した。

 そのギョロ目から光が消え失せ、黒い鱗が波打つように白く退色してゆく。鱗の一枚一枚が、バラバラに崩れ落ちた。白い鱗の一枚一枚に、金のICチップが張り付けられてある。龍の鱗は、スマートフォンに必要なICチップ……SIMカードの集まりで出来ていた。このSIMカードのバグファイルが、地球をわが物にしようとしたドラゴンウィルスの正体だった。

 ドラゴンもはじめは、小さな自律型のバグファイルだったのだろう。それがどういうわけか人知れず成長し続け、削除されずバグの自己進化を続けた。ICチップという隙間に隠れ、全世界の人々のポケットの中で、ドラゴンは徐々に、そして途方もなく進化し続けた。けれど、この進化はもう終わった。僕が、終わらせたんだ。

 SIMカードが朝日を受けて煌めきながら、シンジュクの空を、花びらのように舞い散った。僕もドラゴンと同じように、この世界からデリートされる。シンジュクを飲み込んでいる水位はさらに上がり、僕のマイキャラの顎近くまでせりあがってきていた。

 満足感が、神経の痛みを和らげてゆく。世界を良い方向へ修正する。これが、僕の生きた理由だった。波が僕の身体をそっと押して、ヘリポートから両足が離れた。群青の忍者は、シンジュクの底へと沈没してゆく。

死の幸福感が僕を包む。君と一緒に死ねるのなら、本望だと想いながら。

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