Case.03 鈴村ケースの追憶<下>
<十年前・鈴村研究所>
「鈴村教授! どういうことですか。どうしてあの子にミルウォーキー・プロトコルを施すの? そんなのただの人体実験じゃない」
「ミリア。それ以外に、彼女に対して行える医学的検知での処置はあるかい」
「……医学的、でないものならあるんじゃないの。パパ」
「それをどう発表する? それに、私はヘルシングの名前を捨て鈴村の家の者となってからは、そのような方法は捨てたつもりだ。この症状はヴァンパイアとしてではなくウイルス性の感染症として対処するべきだ」
白衣を纏う初老の男。ピーター・ヴァン・鈴村は、強く娘のミリアへ言い放つ。
ミリアは唇を強く噛みしめる。
ミルウォーキー・プロトコルの成功例を考えても……治療を進めるのは実験としか思えなかった。
だから、ミリアは反抗した。
「症状? 現象の間違えでしょ! たしかに恐水症状はある。十字架を恐れるのも先端恐怖症と一致する。だけど……」
「だけど、なんだ? この治療で糸口がつかめるのであれば、これから先の未来どれだけの人間が助かると思う。ヘルシングの一族が何人の人間をその銀の弾で撃ち殺した。どれだけの心臓に杭を打った。お前の……お前の母親を俺がどういう気持ちで撃ち殺したと思っているんだ。俺はそんなやり方を認めない」
ミリアがまだ物心つかぬときに、母は病気で亡くなったと聞かされていた。
しかし、そんなことが嘘で塗り固めたものだと、すぐに気づいてしまった。
本当の理由に、勘の良いミリアが気づかないわけはなかった。
だからこそ父の手伝いをするべく医学の道を志し、この研究室に入った。
ヴァンパイアとして適切に処置された母のような存在を、これから先無くすために。
ミリアは、父である鈴村教授の意向は十分に理解できていた。
しかし……。今はミリアにとっての同僚……いや、親友の命がかかっている。
アメリカに住む祖父へとコンタクトをとり、ヴァンパイアへの処置についても調べ上げた。そのなかでミリアは、レービズⅡと父が名付けたこの症状……現象においてヴァンパイアが生き続けるための条件も、同時に得ることができていた。
それは水を避け、血によって水分を補給すること。
ニンニクなどの刺激物、スパイスを避けること。
日の光を避け、静かに療養すること。
そして、銀と十字架に注意することだ。
「このままプロトコルを実行しても、璃々栖は死ぬわ。それくらい、私でもわかる」
「それでも、データはとれる」
ミリアは思わず白衣の下、隠し持ったホルスターに手が伸びる。
激情のままにこの手にかけた拳銃で、父を殺めれば……。
それは人間とは違う何かかもしれないけれど、璃々栖を生かすことができるかもしれない。
そう思った。
でも、できなかった。
「ミリアちゃん、いいの。私が頼んだことなの」
「……璃々栖」
言い争う二人の声に目が覚めたのか、奥の部屋で病床に伏せていたはずの璃々栖が姿を見せたからだ。
「あのね。私はすべて理解してるつもり。だから、ね。最後まで見ててほしいの、そして彼女を育ててあげて。私の分身、ううん私以上に私の存在だから」
そう言ってスマートフォンをかざす璃々栖。
璃々栖の顔写真。いや、これは動画のようだった。
『あれ? あ、この子がミリアちゃんなんだね。リリスです、はじめまして』
――そう、人間とは違う何かとして生きる術は、もう璃々栖自身で見つけていたんだ。
◆◇◆
――この現象は、ファンタジー映画のようなヴァンパイアそのものへの感染、ですよね
茜は核心をついた一言を告げる。
それは医療に従事し、あまたの感染症をその目で見てきたうえで見つけた、臨床医の検知から導いた回答だった。
これは病気なんかではない。という答え。
「ええ、そうよ。正解。貴女が優秀な医師であることはわかったわ」
「えへへ、褒められるの、なんか嬉しいですね」
「――そうなると、ねえ『リリス』。どうしたらいいと思う? あなたの考えを聞かせて」
ミリアは何もない空間へと声をかける。
それはこの研究室に無数に取り付けられたマイクのデバイスにつながっていて、最終的には奥にあるサーバーPCに届く仕組みとなっている。
そこには『リリス』がいる。
彼女の望むままに、スペックを改良し、機材を増やし。慣れない手つきでミリアが育て上げた彼女は。
立派に、人ではない何かへと成長している。
それはヴァンパイアとはまた異なる別の化け物だ。
「たぶんね、リリスは怪物よ。フランケンシュタイン博士がつくったような、ああいう類のもの。科学とファンタジーは紙一重。医学もまた然り」
そこまでミリアは告げると、あとよろしくね。と告げて、手を振る。
スピーカー音声で『リリス』が語り始めた。
『ミルウォーキー・プロトコル ではその脳の動き麻酔薬を投与して仮死状態にするけれど。それは可逆的であるがゆえに昏睡という』
『でも、死は違う。不可逆なものだから。そうならないように操作する必要があるの。銀によってレービズⅡと教授が名付けたヴァンパイアへヒトを変異させるウイルスは、完全に駆逐できる。これは臨床的には何世紀も前から……ミリアちゃんのご先祖さんがやってきたヘルシングのやり方で証明されてる』
『でも、心臓に銀を撃ち込んだら死んじゃうよね。だからこの方法では感染者を救うことはできない。でもここには私がいる。私が貴女の脳をハッキングして、麻酔の代わりをする』
『これが、これから行う治療法。私たちの答え。だから、ね。これから銀の弾丸を撃ち込ませてもらうわ。貴女の心の臓に。あ、……そうね、同意するならちゃんとサインしてね』
「オッケー、リリス。私も同じ治療法しかないと思ってた。さて、WHOの茜さん。どうする? これが私たちの答えだけど」
呆気にとられた表情の茜に、タブレット端末を手渡した。
そこには手術への同意書が映し出されている。
「……助かるの? 私」
「助からなくても、訴えないでよね。そのためのサインだから」
◆◇◆
<十年前・鈴村研究所>
鈴村教授のもと、常磐 璃々栖へのプロトコルは実施された。
それは実験だった。
璃々栖はそのすべてに同意のうえで、手術台にのぼっていた。
「……私は最後だけど、最後に言わせて」
「なによ、璃々栖」
「私ね、ヴァンパイアになってもいいと思ってた。でも、意地っ張りだから。これから先たくさんいるレービズⅡの患者の一人になんかなりたくなかったわ。だから、別の何かになる。私は、私という肉体を抜けて、電子の世界で生き続ける怪物になるわ」
――ん、わかった。じゃあまたあとでいっぱい話そうね……『リリス』。
◆◇◆
淹れたてのコーヒーをすする。
ミリアは、施術後の一服をしながら同僚と会話をしていた。
仕事終わりのティータイムは、二人の日課でもあった。
『今回のケースも、カルテは私の仕事なの? そろそろ論文にでもまとめたらいいのに』
机上には、あくる日の璃々栖と鈴村教授、そしてミリアの三人の写真が立てかけられている。
鈴村教授は鈴村ケースの発表後、謎の死を遂げた。
変死ではあったが、事件性はないと判断された。
――わかってる。やったのはヘルシングの関係者だって。
父の死を思うとともに、璃々栖へのプロトコルの実施を、実験と言い放った父のことを、いまさらながらわかってしまう自分もいたのだと気づいた。
「ああ、そうか」
――今回の、坂月 茜のケースもまた、臨床実験に他ならないのだから。
「望んで医療事務のマシンと化したんだから、雑用くらいやってよ。あと論文はだしたくない、面倒だし。そんなことしたらヘルシングの一族に目の敵にされちゃうじゃない」
『そんなに嫌なら、改名しちゃえばいいのに。ね、ミリア・ヴァン・鈴村博士』
タブレット端末に映りこむ同僚、『リリス』。
――相変わらず楽しそうな表情だこと。
「……それも面倒だから、嫌。そのうち手続きがネット手続きにでも変わったころに、勝手にやっといて」
いつものような軽口をミリアは返したが、それに対しての返答は突拍子もないことで、またか、と思いつつも耳を疑ってしまった。
『それなら、体よく使える助手がそこに寝てるじゃない。これでまた研究所は3人ね』
<銀とヴァンパイアと名前のない怪物・鈴村ケースの追憶・完>
銀とヴァンパイアと名前のない怪物 甘夏 @labor_crow
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