Case.02 鈴村ケースの追憶<中>
カチャリ、と音を立てたのはライフルにとりつけられたマガジンからだった。
しっかりと弾が装填されているものだ。
それを後頭部に向けられた茜は両の手を上に挙げ、その小柄な身体を震えさせる。
スーツ姿の彼女はゆっくりと膝をおり、両膝を船内の床につけた。
パンプスの爪先が床にあたり、コツリと音をたてる。
「あ……あの。ちがうんです。私……泥棒なんかじゃないんです」
「どうやって」
「え? えっと……」
「――どうやって入った」
「あの……玄関口からドアノブを捻って……です」
ライフルを向けているのは金髪の女性。
黒いシャツにデニム姿というカジュアルな服装をしているが、何より目立つのは羽織られたその長い丈の白衣だった。
「あー……【リリス】。ロック掛け忘れてたの?」
「え、え、え?」
『そんな。ひどいですね、私はミリアちゃんが寝た後にちゃんと鍵をかけましたよ。でも、開けたのも私だけど』
どこからともなく聞こえる女性の声。
綺麗な声だがどこか違和感がある。言葉の端々がどこか機械的なのだ。
それは部屋に設置されているであろう、複数のスピーカーから聞こえているものだ。
ミリアと呼ばれた白衣の女は、そのショートカットに整えられた金髪をくしゃくしゃと掻きながら、明らかに不機嫌そうな顔をする。
その時点で、すでにライフルはおろされていた。
命を失う危険が去ったことで、腰を抜かした茜は床にへばり付く。
「……リリスが勝手に招いたみたいだね。ごめんね怖い思いさせて」
そう言ってミリアは茜へと手を伸ばす。
見た目は西洋系の白人女性だが、その発音は流暢な日本語だった。
もちろん茜の言語能力であれば、英語で話をされても通じるものではあるが、母国語で話を振られたことで安心感を覚える。
手をとって、茜は起き上がる。
ひんやりとした掌は、それまでライフルの金属部に触れていたからだと思うと、やはりぞっとする。
「あの。こちらこそ勝手に入ってしまってごめんなさい。あの……鈴村先生ですよね」
スピーカーから流れた音声が呼びかけた、ミリアという名前で茜は理解した。
目の前で自身を撃ち殺さんとしていた女性こそが。この診療所の医師であるミリア鈴村であると。
そして、鈴村ケースを発表した鈴村教授の一人娘であることを。
「そう、私がミリア・V・鈴村、言いにくいだろうからミリアでいいよ。貴女は?」
「……世界保健機関の坂月茜です」
「WHOの……なんの用件で?」
「あ、えっと。これは私事でして。……Drミリア、あなたへ折り入って相談があります。と、いうのも私、もうすぐ死ぬんです。だから」
まっすぐな目でミリアを見つめる。
「私を検死に使ってください」
茜のその言葉に、医師は眉をひそめ、そして静かにライフルを構え直した。
◆◇◆
<十年前・鈴村研究所>
「さっきからかちゃかちゃ、かちゃかちゃ、かちゃかちゃ。ずっと聞こえるんだけど?」
あえて五月蠅いとは言わないでミリアは隣の璃々栖へと注意する。
その音はキーボードを叩く音だった。
研究業務においてたしかにパソコンは普段から使うが、今はそのようなデータ入力業務などはないはずだった。
「ちょっとね、一週間くらい前から準備してることがあるの」
「んー? なにしてんの」
「私を作ってる」
璃々栖の返答はすっとぼけたような回答で、ミリアはまたか、と思ってしまう。
『またか』というのは当然以前にも同様のことがあったからで。
見た目こそハーフで、教授の娘であるミリアは目立つ少女であったが、比較的常識人だ。常識人ゆえ人との付き合いも卒なくこなしてきたし、社交性があるタイプといえる。
しかし、璃々栖はその社交性という点が欠落した人間だった。
璃々栖の会話は突拍子がなく、それは相手に理解させることを前提にしていないものが多い。
かといって物事を言語化することが苦手なわけではなく、本人にとって重要なファクターだけを言語化しているものであり、そこにいたるまでの過程の部分が見えないからこそ、すっとぼけたように聞こえるだけのことだった。
そのことに慣れていたから、またか、と思ったのだ。
そして同時にミリアにとっては璃々栖がなにか『重要な』ことをしていることを理解したのだ。
「それは、具体的に何をしているの?」
また璃々栖は社交性はないが、根はやさしい。
ゆえに質問には丁寧に答えてくれる。そういうこともミリアはわかっていた。
「えっと、私はいま『リリス』という私を模したAIをプログラムしているの。AIだから質問にAIなりの答えを出してくれるのだけど。その答えが、璃々栖的でないといけないじゃない? だからいま色々な質問パターンごとの私の答えを打ちこんでるの」
「なるほど」
ミリアは一言だけ相槌を打つ。
「例えば『マイノリティかマジョリティか』だったら、私は間違えなく『マイノリティ』だし。『悲劇か喜劇か』でいえば『悲劇』を選ぶ。そういう私というパーソナリティを読み込んでいってるの。最終的には自動音声で勝手に喋る私になるわ。しかも頭脳は私よりはるかに知能をもつはず。だってオクタコアのCPUと32GBのメモリで動くんだもん。私なんていらなくなっちゃうの」
そう語る璃々栖は心底楽しそうに、ミリアには思えた。
――自虐的な笑みだって、わかってはいるんだけど、ね。
「鈴村教授と、今日話すつもり。血液検査の結果が出たって」
「そう」
「びっくりだよね、治験者の血液と合わせて調べた私のほうが――」
そう。
鈴村はヴァンパイアに至るそのウイルスをすでに推測の範囲ではあるが、とらえていた。
鈴村はそれを、第Ⅱ狂犬病……レービズⅡと名付けた。
「私のほうが――レービスⅡの陽性者になるなんてね」
◆◇◆
「検死に使ってくれ、だって?」
「はい。私こういう仕事だったから、いろんな感染症の現場を見てきました。そのなかで、このレービズⅡで苦しんで死んでいく人にも何度も会ってきました」
「ああ。WHOだったらそうだろうね」
先ほどは後頭部に銃を突きつけられていただけで震えあがっていた茜であったが、つぎはその銃口を心臓の前に向けられても動じる様子はなかった。
「鈴村ケースをもとに作られたという緩和剤。あれの成分、嘘ですよね」
ミリアはその指先をトリガーに添える。
「なぜ、そう思うの」
「免疫グロブリンはレービズⅡに効果がないというのは、WHOでもすでに周知のこと。狂犬病と違いワクチンはなく、現状感染源に近づかないことが唯一の対策になっている」
「……」
「そんな中であの緩和剤。あれは穏やかに死を待つためのまさに緩和ケアのための薬剤。麻薬の一種ですよね」
茜は、穏やかに語りだす。
その医学知識はすべてこれまでの経験で詰まれたものだ。
「ええ。正しい知識だわ。どこに偽りがあるというの」
「ミルウォーキー・プロトコル 。狂犬病から初めて生還した少女に施した治療法の名前です。これをレービズⅡの患者、常盤璃々栖に施した記録。それが鈴村ケース――ですね」
「……その通りだよ」
「結果は、彼女の死という結末だった。それでもリバビリンとアマンタジンは一定の効果をもたらした。これをもとにレービズⅡに対しての抗ウイルス薬の有効性を記したのがこの研究論文。そうですよね」
――ミルウォーキー・プロトコル
狂犬病を発症した患者を昏睡状態にし、抗ワクチン役を投与することで、ウイルスを駆逐するという治療法。
その成功率は決して高くはないが、それ以外の治療法が確立されていないのも事実で……。
同様の症状を見せるレービズⅡへの実証例は、貴重なものだった。
その結果が至る死を回避できるものではなかったとしても、だ。
「ええ。だからこの緩和剤は、抗ウイルス剤を主に、モルヒネ等の鎮痛剤を調合したものよ」
ミリアは薬剤の成分表に記載されている情報を口にする。
「それは私自身、ウガンダですべて自ら投与しました。一切の効果はなかったですけどね。――んー、ほんとはね、いま立ってるのもやっとなのですよ」
胸のまえに突きつけられた銃口を握り、茜はそれを自身の胸へと強く押し付ける。
苦笑いのような表情は、苦痛に耐えているようには見えないが、その手は少し震えていた。
――何よりミリアは気づいていた。
彼女の口腔内、剥き出しとなった歯茎から、二本の牙が生えていることを。
「あなた……緩和剤を飲んでいないのね。だから……」
「そう、だから私は真の治験者に成り得る。違うかしら」
「……よくわかったわ。貴女が優れた医者であること。正しい真実を見る目をもっていること。でもね、だからこそ危険な存在だとも思ってる。いま、私がこの引き金を引かないとでも?」
「銀の、その弾丸をこの胸に打ち込むというのなら、かまわないですよ」
ミリアはすでに『リリス』が彼女を研究所へと通した理由を理解していた。
「――そこまでわかってるのね」
「ええ。緩和剤の中身も同じく成分は銀、そしてこの病気は狂犬病の亜種なんかじゃない」
「……」
「こんなこと、WHOの私が口にしていいことではないのだけど。この現象は、ファンタジー映画のようなヴァンパイアそのものへの感染、ですよね」
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