くまのカズミチさん
神田 るふ
『くまのカズミチさん』
先生、ご機嫌いかがでしょうか。
身体の方は大丈夫ですか。
おなかの中の赤ちゃんはすくすくと育っていますか?
赤ちゃんを産むためにお休み中の先生へ、クラスのみんなで手紙を送りました。
みんなの手紙はもう読まれましたか?
先生を応援したり、早く帰ってきてねという言葉がいっぱい届いたと思います。
わたしも先生に早く戻ってきてほしいです。
何故なら、先生に紹介したい人が。
いいえ。
紹介したいくまのぬいぐるみがいるからです。
くまのぬいぐるみの名前はカズミチさんといいます。
ぬいぐるみといっても女の子が抱くような小さなぬいぐるみではなくて、ゆるキャラみたいに人が入ってる大きなぬいぐるみです。
もうカズミチさんの話は聞きましたか?
クラスのみんなが「カズミチさんは何者なんだろう?」と噂しあっています。
カズミチさんはわたしの大切なお友だちです。
そのカズミチさんのことの話をしたくて、わたしは手紙を書くことにしました。
カズミチさんとの出会いは突然でした。
半年前、私のお父さんは旅立ちました。
勤めていた学校は違いますが、お父さんは先生と同じ小学校の先生で、先生とお父さんとは大学も同じで友達同士でしたね。お父さんと先生はとても仲良しで、先生もわたしの家によく遊びに来てくれました。
先生は、お父さんのお葬式の時、わたしやお母さんと一緒にたくさん泣いてくれました。
いっぱい、励ましてくれました。
わたしはそのことを決して忘れません。
もちろん、お父さんのことも忘れていません。
わたしはお父さんのことを忘れられず、家に帰ると毎日泣いていました。
お父さんの命日は四月二十一日です。
翌月の五月二十一日、わたしがお父さんのことを思い出して、お仏壇の前で泣いていた時でした。
「お客様よ」
そう言って、お母さんが誰かを部屋に招き入れました。
なみだを拭きながら見上げたわたしは、思わずびっくりしてしまいました。
何故なら、目の前に大きなくまのぬいぐるみが立っていたからです。
最初は本物のくまかと思ってしまったくらい、りっぱで可愛らしいくまのぬいぐるみでした。
不審者かとも思いましたが、お母さんは隣でニコニコと笑っています。
わたしはお母さんの笑顔を見て、ぬいぐるみが危険な存在ではないことを察しました。ぬいぐるみはお母さんと顔見知りなのでしょう。
ぬいぐるみはわたしに丁寧にお辞儀をし、お仏壇の前に座ると、手を合わせて、深々と頭を下げました。
それから、わたしに向き直ると、わたしをゆっくりと抱きしめて耳元でささやきました。
「ぼくはくまのぬいぐるみです。名前をカズミチといいます。お父さんとはお友だちでした。お父さんの子供の君とも友だちになりたいです」
カズミチさんの声はとても優しくて、温かい声でした。
わたしの答えは決まっていました。
「はい。わたしもカズミチさんと仲良くなりたいです」
カズミチさんはわたしの背中を何度もさすりながら、何度も「ありがとう」と言いました。
それから毎月二十一日なると、カズミチさんは必ずやって来るようになりました。
二回目以降はいつもハチミツを持ってきてくれました。
当たり前ですが、ハチの巣を持ってくるわけではありません。
瓶詰のハチミツです。どれも外国製のハチミツで、とても甘くておいしいハチミツです。
ハンガリー、ルーマニア、ニュージーランド。
わたしがハチミツをパンに塗って食べている間、カズミチさんはそれぞれの国のお話をたくさんしてくれました。
カズミチさんはとてもお話が上手です。まるで、学校の教師のようです。
カズミチさんの旅行話を聞きながらハチミツパンを食べている間は、まるでわたしもその国に行ったような気分になりました。
カズミチさんがやって来るようになってから六か月目の九月十一日。
授業参観の日がやって来ました。
その日、お母さんはしっかり予定を開けてくれていましたが、突然来れなくなってしまいました。お母さんは病院の外科医をお仕事にしています。参観日の前日、突然、急に手術が必要な患者さんが搬送されてきたと連絡があり、お母さんが手術をしなくてはならなくなったのです。
お母さんは最後まで迷っていましたが、わたしはお母さんに病院に行くようにいいました。患者さんを助けてほしかったからです。
参観日の朝、お母さんは泣きながら病院に行きました。
わたしもすごく悲しかったですが、がんばって泣かずに学校に行きました。
学校に就くと、先生が体調不良でお休みすると教頭先生から朝礼の時に言われました。
お母さんも先生もいなくて、わたしは急にさびしくなりました。
隣のクラスの先生が授業を受け持ち、三時間目の授業から参観日が始まりました。
クラスのみんなのお父さんやお母さんたちが続々とクラスに入ってきます。
わたしはその様子をぼんやりと眺めていたのですが、曇りガラスの廊下窓に大きな影が映ったことに気が付きました。
影はゆっくりとクラスの入り口に向かい、のっそりとクラスに入って来ました。
わたしはびっくりしました。
なぜなら、その影の主はカズミチさんだったからです。
カズミチさんはお父さんやお母さんたちの邪魔にならないように、いちばん端っこに立ちましたが、身体が大きいぬいぐるみなので、身体の三分の一はドアからはみ出てしまっていました。参観日に出るためにおめかしをしたのか、カズミチさんは青い帽子をかぶり、青いネクタイを胸につけていました。とてもお洒落で、わたしまで得意げになってしまいました。
もちろん、クラスのみんなは大騒ぎです。突然、ぬいぐるみのくまが現れたのだから、当然です。
ひょっとしたら、カズミチさんは大人のみなさんたちから追い出されるのではと不安になりましたが、お父さんやお母さんたち、そして、隣のクラスの担任の先生までも、みんなニコニコと笑っていました。みなさんの優しい笑顔を見て、わたしはカズミチさんがみなさんと仲良しだということがわかりました。
クラスのお友だちは少々ざわついていましたが、参観日の授業はそのまま始まり、何事もなく終わりました。
授業が終わると、わたしはまっ先にカズミチさんの所に駆け寄って抱き着きました。
「ありがとう。カズミチさん、来てくれたのね」
「もちろんです。ぼくは君の友だちですからね。それに、実を言うと、どうしても今日、君に会いに来たかったのです」
「それはどうして?」
カズミチさんはわたしの手を握るとゆっくりと、優しく言いました。
「ぼくの奥さんに赤ちゃんが生まれそうなんです。だから、ぼくはしばらく奥さんの所にいなくてはなりません。当分、君とは会えなくなります。だから、今日、会いに来たのです」
もうカズミチさんとは会えなくなる。
そう思うと、とても悲しくなりましたが、すごく嬉しくもなりました。
赤ちゃんが生まれるって、とてもすばらしいことですものね。
「わたしは大丈夫だよ。もう悲しくなんてないよ。カズミチさんのおかげだよ。カズミチさん、どうか元気でね。赤ちゃんにもよろしく」
カズミチさんはわたしを抱きしめると、わたしの背中をさすりながら幾度も「ありがとう」と優しく答えてくれました。
カズミチさんが言った通り、その月の二十一日になってもカズミチさんは来ることはありませんでした。
その次の月も、その次の次の月も、カズミチさんはやって来ませんでした。
でも、もう悲しくはありません。
必ず、またカズミチさんと会うことができるからです。
カズミチさんがわたしを最後に抱きしめてくれた時、涙が混じったその声を聞いて、わたしはやっとカズミチさんが誰だかわかりました。何故、お母さんも学校の先生たちも生徒のご両親の方々も、カズミチさんと仲良しだったのか納得できました。
先生。
先生が、カズミチさんだったんですね。
改めて、お礼を言わせてください。
わたしの大好きなお友だちの、くまのぬいぐるみのカズミチさん。
本当にありがとう。
わたしはもう大丈夫ですから、安心してください。
どうか、元気な赤ちゃんが生まれてきますように。
赤ちゃんと一緒にまた会える日を、心から楽しみにしています。
それでは、また。
くまのカズミチさん 神田 るふ @nekonoturugi
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