第2話 お前、どこにおんの

 まるで鉱山の中に迷い込んだかと思うような作りの、どちらかというと洞窟に近い雰囲気のそのトンネルには、朧げしか明かりが灯っていない。


 私の自宅から自然公園に向かっていくと右手に現れるそれを抜けると、崖のような場所に出る。山に沿って遊歩道のようなものが作られていて、そのままその道を歩いていくと海水浴場に出るのだ。


 トンネルは怖いのだが、抜けた先に一気に広がる海辺の大パノラマを見るのが私は好きで、入ると鳥肌がブワッと広がるような思いをしながらも、ついつい散歩にくるとそのトンネルを利用していた。


 その日はかんかん照りの日だった。

 再びトンネル前にやってきた私だったが、やっぱり嫌な感じがする。

 何度来ても全く慣れないのだから、不思議なものだ。


 そこでその日は、当時付き合い始めだった彼氏に電話をしながらトンネルを通過することにした。その方が一人で通過するより、少しは気が紛れるかと思ったのだ。


 着信履歴から、彼の携帯へ電話をかける。するとすぐ、彼は電話に出た。


「おお、どしたん?」


 彼の声は眠そうで、どうやら昼寝でもしていたらしい。


「何、寝てたの?」


「ああ、まあな。今は実家か」


「そう。声が聞きたくなって、電話してみた」


 その言葉を合図にするように、私はトンネルの中に足を踏み入れた。

 歩きながら会話を続ける。この時彼と何を話していたかは覚えていない。

 だいたい、付き合いたての男女なんて、中身のある話はしていないものだ。

 たぶんそれで忘れてしまったのだと思う。


 ただ、トンネルの中間地点くらいまで来た時、なんとなく彼の声のトーンが落ちた気がした。それでどうしたのか尋ねると、彼はこう言った。


「なんか、頭痛え」


「大丈夫?」


「急に頭痛くなってん」


 暑い日だったので、脱水症状とかになっていなければいいと思い、水を飲むよう促した。「そうやな」と言って、彼はすぐに水分を取りに電話を離れた。


 私の方はというと、彼が水を飲んでいる間にトンネルを抜け、海辺の道に出ていた。どこまでも続く水平線の上には、コンテナ船やフェリーなど、さまざまな船が往来している。太陽の光を受けてキラキラと輝く海面も綺麗だった。


 だが、電話に戻ってきた彼が、険しい声でこう言ったのだ。


「なあ、お前今、どこにおるん?」


「え、実家の近くの散歩コースだけど」


「俺、頭痛い言ったやん。ずっとお前が喋ってる後ろで、大勢の声が聞こえるんよ。で、最初はどっか繁華街に出掛けてると思ったんよ」


 その言葉を聞いて、全身の毛穴が開くような、嫌な感覚がした。

 トンネルの中には誰もいなかったのだ。

 そしてあたりを見回しても誰もいない。誰ともすれ違いもしなかった。


 私は背中にビリビリとした空気を感じて、怯えながら聞き返す。


「ねえ……それ、今も聞こえてる?」


「おお、今もずっと。今はもっとはっきり聞こえる。なんか誰と話してるのかようわからんなる。一番はっきり聞こえんのは、女の子の声。『助けて』って言うとる。悪い、俺今めっちゃ具合悪い。電話切るわ。ほな気をつけて帰れよ。じゃな」


 彼は相当具合が悪かったのか、そう言い切って逃げるようにプツリ、と通話を切った。


 ひとりその場に取り残された私は、背中に刺さる悪寒を振り切るように、真後ろのトンネルの出口に視線をやった。


 トンネルの出口の真横には防空壕があった。

 これまで何度も通っていたのに、私はトンネルの横にある防空壕跡には気づいていなかった。


 コンクリで入口を塗り固められ、バリケードを張られたその防空壕は、そのまま時が止まったような、どこか、物悲しげな雰囲気があった。


 

 それ以来私は、散歩道としてあのトンネルを利用するのをやめたのだ。

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