第10話 最終話 未来へ
馬車が王宮の前で止まった時、私の心臓は張り裂けそうなほど高鳴っていたが、表情には出さないよう努め、先行する父とドッキ少年のあとを追う。ちなみに私の後ろにはドワーフの兵たちがぞろぞろとついてきており、周囲の獣人や人間たちを驚愕させていた。
「では国王陛下に挨拶してくるから、メイカは待っていなさい」
「任せるんだど! お前たちはここに残ってて欲しいんだど!」
ドッキ少年が鷹揚に頷くと、扉が開かれた。消えていく二人の背中を見送り、緊張に身を強張らせながら暫く待っていると、足音が聞こえて顔を上げる。通路の奥、それを目にした瞬間、歓喜に心が打ち震えた。
湧き上がった叫び出したい衝動を下唇を噛んで抑え、数歩下がって両手を握りしめ、溜まった涙を見られないよう俯く。
そうでもしないと、飛びついてしまいそうだった。
――まだ……まだよ。まだ、終わってない……。
扉の軋む音が鼓膜を揺らし、僅かに顔を上げた途端金の瞳とぶつかって思わず口元を覆う。優しい瞳が愛し気に細められ、逸らされた。
離れていく背中が消えても透けて見えるとでもいうように、私はじっと見つめていた。
暫くすると再び扉が開かれ、父が出てくる。次はドッキ少年、そして――……ナッツ。
金色の瞳から目が離せない。視界が歪んでいく。
「……さあ、一旦帰るよ。おいで、メイカ。もう少し堪えて」
後者を耳元で囁いた父の手が、私の背中を優しく押した。込みあがる衝動を歯を食いしばって耐え、無心に努めて視線を落としたままひたすらついて行く。
待たせていた馬車へ真っ先に乗り込んだら、もう我慢できなかった。嗚咽が飛び出し、滂沱の涙がとめどなく流れる。
背後からぎゅっと抱きしめられ、ぐるりと向きを変え逞しい胸に顔を埋め、胸いっぱいに息を吸い込んだ。
「ナッツ、ナッツの匂い……! 会いたかった、ナッツ、ナッツ……!」
「明花……、明花、明花、明花……! 俺も会いたかった……! 愛してる!」
「尻尾! 尻尾ど!」
はち切れんばかりにブンブン振られる尻尾の音を聞きながら、明花は幸せに浸る。
その為、尻尾と追いかけっこしている小さな手があったことについぞ気付くことはなく、無言で見守っていた父は、自身の目尻に滲んだ涙をそっと拭った。
数台の馬車が侯爵邸に停まり、ドリドを筆頭に執事と数人の使用人たちで迎えられた。ドワーフ兵は執事が、ドッキ少年は父が客間へ案内し、私とナッツは勝手に寝室へ向かっていたが、すれ違ったメイドに湯あみの用意はしてあります、と告げられて、感謝の言葉を伝えた。
「明花、湯あみしてきていい?」
「うん。……寂しいけど我慢する」
くすり、とナッツが笑い「……一緒に入る?」と楽しそうに言うものだから「入る」と即答すればナッツが固まった。
恥ずかしそうにするなら、人をからかうんじゃありません。
ぎゅっと抱きつくと、力強く抱き返してくれる。
離れていくナッツの指先が視界に入った瞬間、ぐっと握った。
「どうしたの?」
「ナッツ。指輪の色が……」
「あぁ、これか……。うん、壊れちゃったんだよね」
乳白色の表面に亀裂が入って欠け、七色の輝きが失われていた。「だからもう、ゆるゆる」と抜き差しして見せるナッツの顔は笑顔だったが、瞳の奥にある寂寞に気付き、慰めたくなって彼の手の甲に口づけを落とす。
「私は、ずっと一緒よ……」
「うん……ありがとう明花。……行ってくる」
浴室の扉がパタンと閉まると一人になって、窓の外を見上げ、ナッツが感じている孤独に思いを馳せた。
翌日、外に並んだ馬車の前に立つ少年ドッキに、私は首を垂れる。
「ありがとうございました。ドッキ様のおかげで……いえ、皆さんのおかげで、私、こうしてまたナッツに会うことができました」
うんうんと鷹揚に頷いたドッキ少年はにぱっと笑った。
「良かったど! 結婚式を挙げる時は相談して欲しいど! 皆でお祝するど! じゃあまたど!」
そう告げた少年ドッキが私の手を掬い上げ、手の平にコロンとキャンディーを四つ置いていく。
飴玉を見て、私の胸が詰まった。
息苦しさで彷徨っていた時に、私を掬い上げてくれたキャンディーだ。思わず涙が零れる。
「元気にするんだど! またど!」
ぷっくりした短い手を振るドッキ少年を乗せた馬車が、地を滑り出す。
私は彼らの姿が見えなくなるまで腕を振り続けた。
それからは平穏な時が流れた。
ある日結婚式をどこで挙げるかの話をしている最中「ドワーフの方々に相談するんじゃないのかい?」と父に言われ、手紙をしたためてもらった。
内容は、人数や場所などの相談だ。
果たして返って来た手紙には、“ドレスを見せに来てほしいど!”と綴られており、父とナッツと三人で顔を見合わせて笑ってしまった。一週間後に向かいます、と返信し、七日後、ドレスや贈り物などを馬車に詰み込んで邸を出立する。
父と義兄は「こんなことはめったにない!」と大喜び。血は繋がってないのによく似ている。
数時間ほど馬車に揺らされ隣国へ入る。歩く人歩く人、ドワーフの方はみないい体格をしている。肉体労働が多そうだ。
馬車が停まり、私たちは地に足を付け、見上げる。
その大きさたるや、一つの岩山のようだ。寧ろ、それに穴を掘って住処にしたのかもしれない。
一分の隙も無い鉄の扉を二人のドワーフが開き、促されるまま中へ進む。等間隔に設置された明かりで歩きやすい。
先にある扉を開けるとそこは大広間で、中央にドッキ少年とお世話になった男女――国王陛下と王妃陛下――が並んでいた。
「久しぶりなんだどー!」
ででででと走ってくるや否や、私の両手を握って喜んでくれるドッキ王子にカーテシーをする。
「お久しぶりでございます、ドッキ王子」
「堅苦しい挨拶はいいのダ。久しいのダ」
「お元気そうで何よりですわー。娘さんの隣にいらっしゃる方が夫となる方ですのー?」
「はい、そうです」
「そうなのですねー。では挨拶は残りの方にやって頂くとして、娘さんはこちらですわー。あ、ドレスは運んでくださいねー」
「えっ? えっ?」
腕を引っ張られながらキョロキョロする私を、ナッツたちが戸惑いの表情で見ていたが、国王陛下に話し掛けられすぐに目が逸らされた。
焦燥感が募るが王妃陛下に逆らうわけにもいかず従っていると、どこかの部屋に連れていかれ、座らせられる。
「それじゃあ頼んだわー。あ、忘れるところだったわー」
言うな否や、右手に嵌った指輪をするっと抜かれ、焦る。慌てて立ち上がった瞬間次々と女性ドワーフが入室してきて、流れるように体を洗われ、花嫁衣裳を着せられて、髪結いとお化粧を施されてしまった。まるで結婚式の準備のようだ。
鏡に映った自分をぼうっと眺めながら、逡巡する。
――馬子にも衣装っていうのかしら。というか待って? どうして私は今ドレスを着せられているのかしら? ここには結婚式の相談をしにきたのではなかった?
内心、小首を傾げているとノックと同時に靴音が響く。
「お父様!?」
そこには、何故かビシッと正装した父が立っていた。
私のドレス姿を上から下まで眺めた父は満足そうに笑み、愛し気に目を細めると私の背中をそっと押す。
「お父様、一体どういう……」
「うん、実はな、ドッキ王子がこの国で式を挙げればいいと仰ってくださってな。メイカを驚かせたいから、黙っておいてくれと」
「そ、そんな……」
「嫌か?」
「い、いいえ、急だったので驚いてしまって……」
「うむ、そうだろうな。ドッキ王子がお喜びなるだろう、成功した、と」
ふっ、と微笑む父に、強張った笑みを返すと一枚の扉の前で足が止まる。
「さぁ、行こうか」
「は、はい」
伸ばされた父の手に、そっと指を乗せた。
扉の先、祭壇までの中央に、花婿衣装を着こなしたナッツが微笑んで立っている。ゆっくりとした足取りで進み、父に触れていた私の手がナッツのそれに重なり、祭壇へ近づく。
聖職者の格好をしたドワーフが祝言を述べ、天に掲げた鉄細工の鳥籠を差し出し、上部を取り外し、乳白色の石が嵌った大小の指輪を見せる。
ナッツが小さい指輪を摘み、私の左手の薬指に通した。私も大きい指輪を手に取り、差し出された彼の左薬指に通す。
私たちは蕩けるような甘い笑みを浮かべ合った。
そこにドッキ王子がやってきて、ナッツと私の指輪が嵌った手を小さなぷっくりとした両手で包み込み、瞼を伏せる。ドッキ王子の額に光の紋章が浮かび出て、指輪が熱くなった。
顔を上げたドッキ王子はにぱっと笑い、私たちの両手を勢いよく持ち上げた。刹那、天から煌めく光のシャワーが降り注ぎ、乳白色の石が七色の輝きを放ったと同時に遠くから鐘の音が響いたのだった。
式を無事に終たあとで、ドッキ王子から光のシャワーはドワーフの加護だと聞いた。
身の危険が起きた時、数回だけ守ってくれるらしい。感激して思わず抱き締めたら王子は照れてどこかへ行ってしまうし、ナッツは拗ねてしまってご機嫌取りに時間がかかった。
また会いに来ることを約束し、私たちはドワーフ国を離れ自国へ戻った。
翌日、父はドワーフ王から書状を預かったとかで王宮へ行き、お昼頃に戻ってくると「一か月後にパレードを行うんだって」と告げ、用事があるとかで執務室へ篭り、出てこない。
「何のパレードだろうね? ナッツ」
「石が採れるようになったからお祝いするのかもしれないね」
ナッツの言葉に、なるほどなぁと思った。
一か月後、王都で大々的にパレードが行われた。
見学しに行ってきた義兄によると、ドワーフ国王陛下、王妃陛下、王子が訪れ、獣人国と条約を結ぶ運びになったそうだ。その為、国名が変更になったらしい。
邸の庭に置かれた椅子に座り日光浴をしながら、新しい命が宿ったお腹をそっと撫でる。
「明花。吐き気は?」
「ナッツ。大丈夫よ、ありがとう。勉強お疲れさま」
「ありがとう」
膝をついたナッツが耳をピクピクさせ、下腹部に当てるのを見て、思わず口元が緩む。
――なんて可愛いのかしら。大好き、私の旦那様。
「愛してるよ、明花」
「私も愛してるわ、……私だけのナッツ」
どちらからともなく指を絡め合う。
愛おし気にお互いを見つめ合ったその視線は同時に、膨らむであろうお腹へ向き、二人の手がまだ見ぬ赤子を守るように、添えられたのだった。
そんな二人の仲睦まじい姿を、執務室の窓から覗く姿があった。父のサントスだ。
彼の笑顔は穏やかで、心から満ち足りた表情だ。そんな義父を離れた所から見つめるドリドも嬉しそうに口元を緩め、そっと退室していく。
執務机の上に開かれたままのページには、こう綴られている。
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568年
ドワーフ国と戦争、敗戦。
国名変更 名称 トロワ
638年
愛娘、メイカと再会
妻セイラの遺灰、埋葬
ドワーフ国にて娘メイカ
婿グレイアス(ナッツ) 結婚式
ドワーフ王より虹魔石の指輪
グレイアスに贈呈
(ドワーフの加護付与)
ドワーフ国と条約締結
虹魔石納入
代表責任者グレイアス
国名変更 名称 アガムスト
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ちょっと待って? 子供のころ拾った子犬が、耳と尻尾の生えた青年になって私に跨ってるんだけど? ともわかりえ @sinasagi
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