第3話 解答編
五分間の熟考の末、俺の脳内はすっきりと整えられた。
そして、まっさきに思いついたのは、ただひたすらに感情的な罵倒であった。
「ふざけるな。なにが連続盗難事件だ、まったく馬鹿馬鹿しい」
「どうなさったのですか、
小首を傾げた
「こんなもの、事件でもなんでもない」
小森のわざとらしい上目遣いが腹立たしく、俺は普段より声音を低めた。
「本来、今回の騒動に謎なんてひとつもなかった。だが、当事者でない俺に伝わった瞬間に、それは不可思議な事件になってしまった。悪意ある語り手の、叙述トリックによって」
叙述トリックとは、推理材料となる文章や情報を操作することで、無意識的に読者を誤った解釈に誘導するという推理小説の技法である。その中でも、語り手による勘違いや虚偽、あるいは重要な情報の隠匿。そうした手法は「信頼できない語り手」と呼ばれている。
今回の事件において――目の前の少女こそが信頼できない語り手にほかならない。
「なあ、小森。学級で飼育されている生き物がなんなのか、そろそろ教えてくれないか?」
俺は尋ねた。そして、小森の返答を待たず、自ら答えを口にした。
「ハムスターだろ?」
+ + +
低学年が飼育するともなれば、どうしたって比較的に手のかからない生き物を選ばなければならない。だから俺はまっさきに魚類を想像し、さらには自分の学級はザリガニだったことを思い出した。
しかし、小森は飼育にはカゴが用意されたと言っていた。水棲生物を飼育する、あのアクリル板のケースを、水槽でなくカゴと表現する日本人は滅多にいない。
極めつけは、予定では一匹だけだったのに八匹に増えてしまったという奇妙なくだり。
「実際、迎え入れられたのは一匹だけだったはずだ。残りの七匹は飼育途中に不本意ながら増えてしまったのだろう。でなければ、あとになって里親募集などするはずがない」
「はて、どうして数が増えてしまったのでしょう」
明らかに空とぼけているだけの相槌に、俺は間髪入れずに推理を突き立てる。
「一匹目のハムスターは妊娠していたんだ」
ハムスターは教師が知人から譲り受けたとのことだが、教師も知人も、それが妊娠中であるのを見抜くことができなかった。ただでさえハムスターの妊娠の判別は素人には難しい。しかも妊娠初期ともなればなおさらである。
「ペットとしてハードルが低く、飼育にはカゴが用いられ、妊娠期間が三週間以内。そして一度に七匹もの子どもを出産する。――ハムスターと見て間違いないだろう」
「つまり、八匹のペットというのは、一匹の親ハムスターと七匹の赤ん坊だったのですね」
すぐ里親に引き取らせなかった理由もそこにある。乳離れするまでは母親に育ててもらうつもりだったのだろう。まさか専門知識のない児童に手間のかかる赤ん坊を託せるはずもない。だが結果として、赤ん坊は成長を待たずして姿をくらませてしまったのである。
「……ハムスターは世間的に手軽なペットとして認識されているが、それはとんだ間違いだ。小動物はわずかな音や振動に怯える繊細な生き物だ。ましてハムスターは夜行性。本来なら眠っているはずの昼間、教室内の児童たちにガヤガヤと騒がれていたのでは相当なストレスを溜めていたことだろう」
出産前後というだけで神経質になっている中、連日の騒音は最悪の追い打ちとなった。
「産後、ストレス過多のハムスターに見られがちな行動がある。親による子食いだ」
「子食い?」
「ストレス、産後の栄養不足、人間の臭い――理由は一概でないが、母親が赤ん坊を食い殺してしまうという事態は、ハムスターにおいてそう珍しいことじゃないんだよ」
教師の曖昧な受け答えというのは、いたいけな児童らに血生臭い現実を伝えないために選んだ苦肉の策だったのだろう。それを道徳的教育とするか、あるいは教育者の怠慢とするかについて論ずるのは然るべき人間の役目だ。俺の仕事ではない。
「食ってしまえば亡骸は残らない。傍目には突然いなくなったように見える」
もっとも、よく探せばカゴの隅に残骸くらい転がっているかもしれない。
「残り二匹の赤ん坊がどうなるかは俺にもわからん。ただ、すでに五匹も喰われているくらいだ、すでに死んでしまっているかもしれない。普通に噛み殺してしまうことだってよくあるからな」
だが、後日、この物語はハッピーエンドを迎えるに違いない。残りの二匹は無事に成長しているという報告を小森が伝えにやってくる。その姿を目に浮かべながら、俺は小森の探偵として、それらしく最後の締めを演じきってみせた。
「妊娠直後のハムスターによる赤ん坊の殺害。これが連続盗難事件の真相だ」
+ + +
ほとんど沈黙を挟まず、ぱちぱちと、軽やかな拍手が四畳半に響いた。
「さすがわたくしの探偵さん。よくぞ真実に辿り着いてくださいました」
弾んだ声色で語る小森の黒目は、いかにも楽しそうに爛々と輝いている。
「こちらの説明が不十分であったにも関わらず、それをものともしない手腕。今回もおみごとでした」
「……」
惜しみない賛辞を与えられたところで、俺の気分が晴れることはない。
……毎度毎度、ありもしない依頼を持ち込んでくる小森の思惑など、一介の大学生にすぎない俺に汲み取れるはずなかった。それこそ本物の探偵でもあるまいし。
ただ、ひとつだけ確かなことは、でっちあげた事件を推理させるなんて遊びは悪趣味すぎるということである。来訪の口実にするためだけに、架空とはいえ被害者を生み出すという行為は不謹慎以外のなにものでもない。どうして小森はそれに気付いてくれないのか。
俺は横目で小型の冷蔵庫を見やった。そこにはキャラメル味のラスクがストックされている。小森の好物だ。彼女がこのくだらない猿芝居をやめ、ただ普通に俺のところに遊び来るようになったとき、こいつで存分にもてなしてやるつもりでいる。
ただ、今の調子だと、その日はまだまだ先になりそうだ。
嘆息する俺を前に、小森は瞳を無邪気な羨望で満たして微笑むばかりであった。
小森専属「わたくし探偵」によるペット連続盗難事件 まがむし @akamimi66
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