後編

「水無月さん、ごめん。待った?」


「ううん。今来たとこ」


 日曜日。映画館が併設されているショッピングモール。


 土岡は約束の五分前に到着したのだが、水無月はそれよりも早くに来ていたようだ。


「土岡君、学校にいる時と雰囲気違うね」


 水無月がそう言及した理由は、土岡の見た目の変化である。


 月夜見が以前から提案していたマネキン買いを実践し、清潔感のある無難な服装を纏っている。


 また、慣れていない手つきでワックスによる髪の手入れを施していたことも付け加えておく。


「あ、いや、はは。なんか楽しみだったから。水無月さんと映画観に行くの」


「そうなんだ。じゃあ私と同じだね」


 水無月はニコッとはにかむ。


 夏の太陽に負けないぐらい眩しい笑顔が、土岡の顔を背けさせる。


 彼の顔も自然と熱くなる。


「と、とりあえず映画までまだ時間あるし、どこかで時間潰そうか。あまり歩かない方がいいよな」


「どうして?」


 水無月は小首を傾げた。


 土岡はオーバーな身振り手振りで説明する。


「だって水無月さんの靴じゃ歩くの疲れるかなって思って」


「……土岡君ってそういうとこ見てるんだ」


「ボクじゃなくても気付けるよ。目線がいつもより近いんだから」


 水無月は指摘を受けた通り、かかとの高い靴を履いていた。


「…………っ」


「ど、どうしたの?」


 土岡の双眸をじっと見つめる水無月。


 水無月よりも体感長く感じたであろう沈黙に土岡は息を呑むことしかできない。


 すると唐突に、水無月が土岡の頭頂の方に手を伸ばしてきた。


 土岡の髪型を崩さないように直接頭には触れていない。


「ほんとだ。いつもより手が届きやすいね」


「…………っ!?!!?!」


 突如、水無月との物理的な距離が縮まり、土岡はわかりやすく狼狽えた。


 彼の狼狽ぶりに気付いた水無月は、クスっと微笑む。


「どうしたの?」


「……水無月さんって意外と人をからかうの好きだったりする?」


「ううん、そんなことないよ。でも、今日帰る時には好きになってるかも」


「くっ……。み、水無月さんって服好きなんだな」


「ごまかしてる」


「ごまかしてない」


「ごまかしてるでしょ」


 ふふっと相好を崩す水無月の姿が、土岡の目には小悪魔のように幻視された。


 土岡はワックスをしていることを忘れ、一瞬後頭部を掻いてから言った。


「水無月さんが着てるのって最近女の子の間で流行ってる有名なブランドのやつでしょ?」


「え、土岡君、ファッションに詳しいの?」


 水無月の声のトーンがいささか高くなる。


「親がそういう仕事をしてるからそれでな。でもボク自身はファッションに疎くてさ。特にアクセサリーとか気になってるんだけど全然わかんなくて困ってるんだよなぁ」


「そうなんだ。それなら映画が始まるまで、色々見にいこっか」


「いいの? すごく助かる」


 さっそく行き先が決まって、土岡は安堵する。


 軽やかな足取りで二人は、歩き始めた。


「ちなみにアミューズメントパークにいるわけじゃないし、靴のことは気にしなくていいよ。というかむしろ意識しすぎって感じで微笑ましい」


「からかい禁止!」



「映画よかったね」


 ショッピングモール内の喫茶店で、水無月と土岡は映画の感想を言い合っていた。


「水無月さんってホラー好きなんだな」


「やっぱり夏といえばホラーかなって」


「それにしても土岡君、怖がりすぎじゃない? 一分に一回は目つぶってたんじゃない?」


「それは言い過ぎだって。あっても五分に一回ぐらい――」


 土岡がセリフを一瞬だけ中断する。


 そして訝しげな目線を水無月に送る。


「ていうか、それってつまり五分に一回はボクの顔を見てたってこと?」


 水無月は急ブレーキを踏まれたかのように硬直し、震えた声で言葉を紡ぐ。


「……改めて言うけど、ネックレス買ってくれてありがとうね」


「ごまかしてる」


「ごまかしてない」


「ごまかしてるだろ」


 水無月は顔をほんのり赤く染めて、目を逸らす。


「けど、ネックレス嬉しいのは本当」


「それもわかるって。こっちこそ俺の時計を選んでくれて助かったよ」


 映画を観る前に、彼らは小物が売っている店に訪れていた。


 そこで土岡に合う時計を探し終えてから、ついでに水無月の欲しい物も探すことになったのだ。


 その流れで土岡が水無月にネックレスを購入したのだった。


「ごめんね。貧乏だから買えないなんて私が言っちゃったから気を遣わせちゃったよね」


「気にしないでいいって。ボクが買いたくて買ったんだから。今日、一緒に遊ぶ約束をしてくれたお礼も兼ねてるんだしな」


 水無月は少し前かがみになり、土岡の瞳をじっと見つめる。


「私、土岡君といると素直になれるかも」


「学校では素直じゃないの?」


 心配よりも興味の色を宿した瞳で、土岡は聞き返した。


「楽しくないわけではないよ。ただ、やっぱりある程度は気を遣う必要があるけど、土岡君相手ならそれがまったくしんどくないの」


 水無月が髪をいじりながら、はにかむ。


「土岡君って私にとって特別なのかも」


 土岡は恥ずかしさで居心地悪そうに身体をよじる。


「なんかすごくむずがゆい。まさかからかってる?」


「今はからかってないよ。私の本心」


 ふふっ、と水無月が相好を崩した後、バッグから缶バッチを取り出す。


 その缶バッチに土岡は釘付けになる。


「これって」


「土岡君が初めて私に告白した日にさ。落としたまま帰っちゃったでしょ?」


 テーブルの上に以前土岡の持っていた缶バッチが差し出される。


 掃除されたのか、表面が温かく輝いている。


「わざわざ拾ってくれたの?」


「君の反応見てたら大切なものだってすぐにわかったもん。いつか返そうって思ってたけど、今日、その時がきてよかった」


「本当にありがとう」


 土岡が缶バッチを手に取ると同時に、水無月がもう一つの缶バッチを取り出した。


 それは土岡が持っていた缶バッチとペアに分類される代物であった。


 水無月が後日、アニメの専門店でわざわざ購入したものだ。


「これでお揃いだね」


「水無月さん……」


 水無月の微笑みをずっと見ていたいと土岡は考えていたが、無情にも帰りの時間は待ってくれない。


 土岡は買った腕時計に目を落とす。


「あ、もうこんな時間」


 あからさまに残念そうな土岡。


 そんな土岡の手に、水無月は自身の手を覆いかぶせた。


「また、遊びに行こ。次は水族館に行きたいな」


 突如、自分の手がほのかな温もりに包まれ、土岡はビクッと震えた。


 しかし、言葉は真っすぐに投げかけた。


「すごく可愛いペンギンがいるところを知ってるんだ。水無月さんならきっと喜ぶと思う」


「そうなんだ! 楽しみが増えたよ。ありがと」


「こちらこそ」


 鈴の鳴るような声で水無月が言う。


「これで帰り道が寂しくならなくて済むね」


「ボクは寂しくなんて――いや、そうだね。安心した」


「…………っ」


 思いのほか直球で返され、水無月は逆に照れて、黙ってしまう。


 それから水無月は「私も払うよ」と言ったが、土岡は「払っとくよ」と言い、二人分の会計をお釣りが出ないように支払ってから、喫茶店を後にした。



 一方、同じ喫茶店でのある一席での会話。水無月と土岡が退店した後のこと。


「なんだか土岡君と水無月さん、いい雰囲気ですね」


「話しかけるな。今、ヒロインの服がいい感じにはだけてるところなんだよ」


「喫茶店でエロ漫画読まないでください」


 彼らの動向を尾行、もとい観察していた月夜見と金粕。


 報酬として得た、不知火作の漫画をスマートフォンで読んでいた金粕に、月夜見は冷ややかな目を送る。


「というかなんで俺がポンコツ偽善者なんかとデートまがいなことしにゃならんのだ」


「あなたが言ったんでしょう! いいもの見せてやるって」


「あぁそういえばそんなこと言ったけな。まったくバカバカしいことを宣言してしまったものだ。あの時の自分に猿ぐつわを施し、お尻ペンペンしてやりたいまである」


「脳内で勝手にドМプレイ始めないでください。あと私に喫茶店でドМとか言わせないでください」


「むしろ公共の場で言えて嬉しいんじゃないのか? 不知火から聞いたぞ。お前は――」


「一旦黙りましょうか」


 鳩が豆鉄砲を食ったようになった月夜見が、金粕の首に手をかける。


「はぁはぁ。気道を潰さないように首を絞めるなんてさすがだ――いったぁい!」


 テーブルの下で、月夜見が金粕の足を踏んだ。


 月夜見はため息を吐き、頬杖をつく。


「私だって好きであなたなんかとデートまがいなことをしたかったわけではないんです。さっさと本題に入ってくれませんか?」


 その言葉を聞き、金粕の表情がキッと険しくなった。


「今の今まで土岡緑太と水無月紫帆と観察していたわけだが、お前はどう思った?」


「いい雰囲気だなって思いましたよ。さっきも言いましたが」


 一度無視されたことを根に持っている月夜見が、再び金粕の足を踏みしめた。


 痛みに顔を歪ませながらも、金粕は質問を続ける。


「お前はそもそもなんで土岡緑太の相談に乗ったんだ?」


「なんでって、それは生徒会恋愛相談委員会としての仕事を遂行するためです」


「そこじゃない。俺が言ってるのはお前を突き動かす原動力は何かと聞いているんだ。その気があれば土岡緑太を見限ることだってできたはずだ。なぜ、見捨てなかった?」


 月夜見は胸に手を当てて、答えた。


「一度受けた相談は最後までやりぬく。それが私の信条だからです」


 月夜見はコーヒーを一口すすった後に、こうも付け加えた。


「あと、強いて言うなら土岡君は報われるべき人だと判断したからです。デリカシーが欠けている所もありますが、それでも彼は何か悪いことをしたわけではないので、私が救ってあげるしかないと強く感じました」


「お前の言う悪いっていうのは、例えば犯罪とかか?」


「そうですね」


 月夜見が頷いたのを見届けてから、金粕は写真を数枚テーブルに広げた。


「こ、これは!?」


 その写真には、学校の階段で水無月紫帆のスカートの中をスマートフォンで盗撮するの姿がばっちりと写っていた。


 写真に写っている場所から、一年生の時だと容易に推察できる。


「盗撮魔が誰かを盗撮している時、盗撮魔もまた誰かに盗撮されているのだよ」


 金粕は口角のみをシニカルに歪ませる。


 それに対し、月夜見が目をぱちくりさせながら問う。


「あなたは最初から知っていたんですか?」


「あぁ、もちろんだ。聞いたことあるだろ? 不知火は人より少しだけ知識欲がすごいって」


 さらに金粕は不知火から調達していた写真を追加する。


「尾行魔が誰かを尾行している時、尾行魔もまた誰かに尾行されていることも付け加えておく」


 いくつか写真が出されたが、月夜見の目に一番に入ってきたのは、水無月紫帆が帰宅する瞬間を覗き見るの姿であった。


「ストーカーって、そんな……」


 憔悴しきった月夜見に金粕が言葉を投げかける。


「この時に比べ、今は大きく人柄が変わったように見えるが、もしこの事実を知っていたらお前はどうしていた?」


 月夜見は唇を少し噛む。


「……少なくとも水無月さんに近づかせるようなマネはしませんでした」


「もし土岡緑太を見捨てていたら、彼は変わるきっかけを得ることはできなかったかもしれない。それを聞いてもなおお前は許せないか?」


「許せない。盗撮やストーカーなんて女性の敵です」


 本能的にバッと立ち上がる月夜見。


 金粕は彼女の怒りを予測していたのか、椅子にゆったりと、もたれたまま尋ねる。


「今から彼らを追いかけてどうする?」


 月夜見の足が止まる。


 彼女の中でも追いかける行為が無鉄砲であることを自覚しているのだろう。


 席に戻り、代わりに金粕に思いをぶつける。


「……でも、これじゃあ本当の意味で彼らは幸せになれないでしょ」


「他人の幸せを他人が決めるな。俺はお前の一方通行の善行が気に食わない」


「あなたこそ私の行動にいちいち口を出さないでくれますか? 自分の芯を持って誰かを救おうとすることのどこが間違いなんですか?」


「お前一人の行動が他人の人生に大きく影響するという考えが呆れるほどにおこがましいんだよ。人ひとりの言葉や行動なんて鼻くそほどの大きさと紙ぺらほどの重さしかないぞ」


「ちりも積もれば山となるということわざもあります。ちっぽけな力でも積み重ねればいずれは大きな山になるでしょ」


「ピラミッドを作るのにどれだけの犠牲者が出たと思っている? お前の信条に付き合わされて犠牲になった者の責任をお前は取れるのか?」


 月夜見は少しの間押し黙った。


 目を泳がせながら、反駁の姿勢を見せる。


「さんざん私のことを否定していますけど、あなただって私と同じように相談に乗っていたじゃありませんか」


「俺はお前みたいな崇高な信条を持ち合わせていない。物事なんてなるようになると割り切って、自分の欲求のまま依頼を遂行したまでだ。依頼者がどうなろうが、俺の知ったこっちゃない」


「そんなの無責任です。投げ出してるだけじゃないですか」


「それの何が悪い?」


「は?」


 月夜見から見える喫茶店の時計の針が止まった。


 自身の常識を根底から覆すかのような金粕の反論により、窓から見える人の流れですら止まったかのごとく錯覚した。


 そんな様子に目もくれることなく、金粕はいつもの調子で憎たらしく嘲笑った。


「人間なんて所詮そんなものだと自覚して、ただ自分にできることを全うしていくことの何が悪いと聞いてるんだ、ポンコツ偽善者」


 月夜見は親に叱られている子どものように声を震わせる。


「だって……人を助けるのは自分のためじゃなくて人のためでないと――」


「だったらお前の信条がいかに脆いものなのかを教えてやる」


 金粕はそう言うと、さらに写真を一枚取り出した。


 そこには夜のホテル街を正装のおじさんと歩くの姿が映し出されていた。


 百人に聞いたら百人がと答える、そんな写真であった。


「…………………………」


「四人姉妹の貧乏家庭にしては服が高級ブランドで固められていることに違和感を覚えなかったか?」


 うっ、と吐き気を抑えるかのように月夜見は口を手で押さえる。


「水無月さんが……あの水無月さんがまさか……。土岡君と仲良くしているのは決してお金目的じゃ……ないですよね?」


「さあな。まあ、財布にされたならされたで失敗談として学びになるだろ」


 呆然として何も言えなくなっている月夜見を金粕は見下す。


「裏切られたとでも思っているか?」


 数秒経っても月夜見は何も言わない。


 金粕の瞳に、じわじわと怒りが込み上げてきた。まるで何かを思い出したかのように、彼女に容赦のない意見を突きつける。




「お前がやってるのは視界に入ったかわいそうな奴らに上から目線ですり寄って、その都度自分の信条に合わない存在を悪者に設定しているだけ。そして自分の知らなかった裏側が垣間見えたら、簡単に掌を返す道化にすぎない」




 月夜見は金粕を視界に入れないまま、こう吐き捨てた。


「……私はそんな汚い人間じゃない」


「いいやお前は汚い人間さ。そしてそれは俺も他の人間も同様だ」


 金粕は月夜見の額を人差し指で突いた。


「いいか、彼らはお前を裏切ってなんかいない。ただお前が知らなかっただけだ」


 金粕が手元で不規則に渦巻くコーヒーの水面を一瞥し、一気に飲み干す。


「月の裏側が見えないのも、俺たちがいつまでも綺麗なものだと期待の眼差しで眺めているからかもな」


 喫茶店の時計の針の音が月夜見の耳に届いた後、彼女もまたコーヒーを一気に飲み干した。


「もう私は私がわからなくなりました」


「むしろ今まではわかっていると思っていたのか。気付けてよかったな」


 ハッ、と嘲笑する金粕。


 そして月夜見の瞳を真っ向から射抜いて、核心に迫る。




「ここでクエスチョン。今の話を聞いて、土岡緑太と水無月紫帆について改めてどう思う? そしてお前はこれからどうする?」




「私は――――――――――ッ」




 月夜見の答えは彼女と金粕にしか届かない。


 店内の客や店員はおろか、店外の人間には一切届く道理がないのだ。


 月夜見が口を閉じると、金粕は温かくも冷たくもない、春先のように微笑む。


「お前を見ていると、昔の自分を見ているようで吐き気がする」


 金粕はシームレスに席を立ち、コーヒー代も払わずに店を出た。


 月夜見はさつのみで二人分の会計を済ませ、金粕の後ろ姿を追った。

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