殺し屋は未来について考えない

春海水亭

1.

「チンパンジーには想像力無いんだよ」

 七輪に乗った八枚のロースを裏返しながら、グラム売りが言った。

 炭火で炙られた牛の背肉は食欲を誘う美味しい匂いを漂わせていて、煙を吸い込むだけでも腹が膨れるのではないか、そんな気分にさせる。


「だから、アンタがチンパンジーだったら自分がどうなるか……なんてことは考えないで、ウキキー!その美味しそうなお肉をオイラにも食わしてくれよー!って言うと思うんだよな」

 グラム売りの足元では猿轡を噛まされた組長が猿のように唸っているが、せいぜいが猿轡を湿らせる程度の役にしか立っていない。

 組長――と言ったが、それが彼の職業であるからそう呼んでいるだけで、別に俺の組長というわけでもなければ、グラム売りにとっての組長というわけでもない。

 組長は後ろ手の体育座りのような姿勢で、両手も両足もぐるぐるにロープで縛られており、口だけでなく手も足も役に立ちはしない、精々頭を振るぐらいのことは出来るだろうが、ここには組長がヘドバンで乗れるような音楽を用意していない。


 人気のない廃倉庫、縛られた組長、火の付いた七輪、そして俺とグラム売りの二人、組長が縛られていなければギリギリ愉快なバーベキューパーティーに思われる可能性はあったが、当然、俺たちのやっていることは愉快なバーベキューパーティーというわけではない。


「そういうチンパンジーの想像力のなさは悪いことばっかりじゃない、人間の想像力なんてもんはたいてい絶望のために使われるんだからさ、頭チンパンジーならこんな状況でも最期の瞬間までは絶望せずに結構ハッピーでいられるかもしれない」

 グラム売りはそう言いながら七輪のロースを二枚の紙皿に取り分ける。四枚のロースは黒くなりすぎない色をして真っ白な紙皿の上で自身の存在を主張する。


 俺はロースの上から焼肉のタレをかけて、一枚一枚口の中に放り込んでいく。

 タレの濃い味を焼けた肉はよく受け止めてくれているが、それでも米かビールが欲しくなる。肉汁だけを喉に流し込むのは若干寂しい。だが、目的は美味しい焼肉を食べることではないのだから、しょうがない。


「アンタの分は無いんだ、悪いな」

 申し訳程度にグラム売りが組長に謝罪する。

 口では謝っているがアイツに肉を分けるつもりはないし、当然、俺にその気もない。もっとも、組長はこれから腹いっぱい肉を食うことになるだろう。


「アンタの前で肉を見せびらかすように食うことが俺たちの目的じゃなくてさ、ちょっとアンタにこの七輪をどう使うか……想像力を働かせてほしかったんだ」

 グラム売りがナイフを取り出し、その刃を組長の腿に寄せる。


「直に火で焼かれるのかなぁとか、火で炙った自分自身の肉を食べさせられるのかなぁとか、いろんな想像を働かせてほしい。アンタの想像したことは当然全部やるし、アンタの想像しなかったことも全部やるつもりでいる」

 そう言って、グラム売りは刃で組長の肉を削ぎ取った。

 百グラム、グラム売りがボソリと呟く。

 グラム売りがグラム売りと呼ばれる理由は、このように自分が削った肉の重さを正確に測れるからであり、誰もアイツの本名を知らないし呼ぶ気が無いからだ。

 悲鳴は猿轡に噛み殺されて、俺たちの耳には届かない。

 組長は声の代わりに血、涙、尿、汗、唾液――自分の体液をたっぷりと使って苦痛を表現した。

 

 グラム売りはつまるところ、このような人に苦痛を与える仕事をしていて、俺はその仕事の監視をしたり映像を撮影するなどの仕事をしている。そして組長はどこかの組の組長をしていたが、部下にその椅子を明け渡すために今はスナッフビデオの主役をやっている。たっぷりと時間を掛けて俳優から死体への転身を遂げることだろう。


「……今日の報酬はさ、いくらだっけ」

 俺たちの乗る車が山道を走る。

 トランクの中には、複数のゴミ袋に分かれてコンパクトに収納された組長の死体。

 俺は死体処理もすれば、グラム売りのマネジメントも行う。

 『など』の二文字に含む業務内容は多岐にわたるのである。


「五十六万円です」

「うわー、すっごい高いじゃん」

 そう言って、グラム売りが無邪気に笑う。

 グラム売りの本名だけじゃなく、年齢も俺は知らない。

 小学校は卒業したという話だけは聞いたことがあって、そして酒もタバコもやらないことから、十三歳以上で二十歳未満なんじゃないかと、なんとなくの目安をつけているが、酒もタバコもやらない人間はいくらでもいるし、俺の前でやらないだけかもしれない、何より人を殺すのにそういうルールだけは守るというのもおかしい気がする。結局のところグラム売りの年齢は不詳だ。


「犬を飼おうと思ってるんだよね、俺」

「犬ですか」

「この間ホームセンターに行ったら、ゴールデンレトリバーが半額になっててさ」

「半額だから飼うんですか?」

「なんかイヤじゃん、半額の命って。でもアイツはホームセンターにいる限り半額の命のまんまだから、俺が引き取ってあげようと思って」

 チンパンジーに想像力は無いと言ったグラム売り自身も大して想像力はない。

 グラム売りが考えられるのは今日のことと、ギリギリ明日のことぐらいだ。

 お金が入ったら使うことだけを考える、欲しい物があったら欲しいという感情だけで買って、将来的に買ったものをどうするかを考えない。そして……こんな仕事を続けている。

 五十六万円は日給と考えれば最上級と言っても良いが、それに付き纏う様々なリスクを考えれば、とてもじゃないが割に合うものではない。

 このような仕事を続ける限り、辞める以外に幸福な終わりはない。逮捕されるのが一番マシな未来で、同じような職業の人間に同じようなことをされるのが俺の考える最悪の未来だ。それ以下は想像したくない。


「やめたほうがいいですよ」

「なんで?俺、ちゃんと世話するよ」

 心底不思議そうにグラム売りが言う、自分の死であるとか仕事であるとか、そういうものを一切考えていない。何も考えずに犬を拾おうとする小学生よりも、自分の金を使う分なお悪いと言ってもいいだろう。


「多分、出来ませんよ」

「やってみないとわかんないじゃん」

「アナタがどうしてもやりたいなら止めませんけどねぇ」

「よっしゃ!」

 仕事上の付き合いであって、俺はグラム売りの保護者でもなんでもない。アイツがやろうというのならば俺にそれを止めるすべは無いし、止めてやる理由もない。だというのに、グラム売りは親から犬を飼って良いと言われたかのようにきゃらきゃらと喜んでいる。


「まぁ、頑張ってください」

「撫でに来て良いよ、うちの犬」

「まだホームセンターの犬でしょうが」

 犬の話をしながら、俺たちは用意されていた穴にごみ袋を放っていく。

 山奥は私有地で、穴はもともと掘ってある。

 儲けを出している不法投棄場ならば、工事車両を利用することが出来るのだろうが、零細業者は死体処理も人力だ。

 組長を土に還し終わった頃には、俺は汗まみれになっていた。


「あ、終わった?」

 車に戻ると後部座席で眠っていたグラム売りが他人事で言った。グラム売りには死体処理まで付き合う義理はない。折角来たのだから手伝ってくれてもバチは当たらないと思うが。


「んじゃ、よろしく頼むよ運転手さん。俺の家まで」

「はい」

 グラム売りは足代わりに俺を使うが、人に住所を握らせる恐ろしさを理解しているのだろうか、アイツには徹底的に想像力というものがない。


 そして、それは俺にも同じことが言える。


 日本には廃倉庫というものが結構溢れていて、一昨日グラム売りが組長を散々に苦しめたのとは別の場所に俺は縛られていた。

 廃倉庫には少なくとも両手の指では数え切れない程度の人間と依頼人がいた、どうもその組長が組長をやっていた組織の組員のようである。

 錆びついた倉庫の扉は完全に閉められていて、両手が使えない状態では開けられそうにない。

 依頼人が俺たちを裏切ったのかと言えば、そういうわけでもないのだろう。

 依頼人の目と耳が一つずつ減っているのを見るに、どうも依頼人の組長を殺して自分も成り上がろうという計画は失敗したらしく、その上、俺の情報まで漏らしてしまったらしい。

 いくら死体を処理したって殺人の過程はきっちりと映像にしてあるのだから、殺人がバレてしまったというにはしょうがない部分はある。

 別に楽しくてやっているわけでもないが、他の業者がやらないようなリスクを背負わなければ仕事を貰えない時もある。

 過程はどうあれ、結果は最悪だ。


「……親父は、あんな殺され方をしていい人じゃなかった」

 横たわる依頼人の頭部を蹴り上げながら、組長に似た顔の若い男が言った。

 親父の発音には義理の繋がりによるものではなく、血に繋がりによるものを感じた。もしかしたら組長の実子なのかもしれない。


「お前にとっちゃ目障りなだけの存在だったかもしれねぇけどな、俺にとっては大切な父親だったんだよ」

「……クソ親子が」

 組長の息子の涙ながらの訴えは依頼人には通用しなかったらしい。

 果たして具体的に何がどうなって現在の状況になったのか――そんなことはどうでもいい。ただ、俺は殺させるべきではない人間を殺させてしまって、その代償を払うことになるらしい。


「お前が殺し屋の仲介屋か?」

 ひとしきり依頼人を痛めつけると、組長の息子が俺の前に立った。

 縛られ横たわる俺もまた、組長の息子の前では胴体があるだけのサッカーボールに近い。


「ち、違います……人違いです……」

 俺は巻き込まれただけの一般人のように哀れっぽくそう言ってのける。

 そうですか、人違いだったんですか――そう言われることもなく、組長の息子が俺の口に靴を突っ込むように蹴った。喉の奥まで突っ込まれた蹴りは痛みとともに激しい嘔吐感を催して、欲求に逆らえずにそのまま吐いた。埃まみれの薄汚い倉庫の床を俺の吐瀉物と歯の欠片が汚す。倉庫の床から薄の文字が消え、純粋に汚い床になる。


「お前が仲介屋だな?」

 組長の息子が俺の髪の毛を引っ掴んで、顔面を俺の吐瀉物に擦り付ける。

 自分の体の中にあるものでも、皮一つ消えてしまえば俺はもう耐えられない、痛みと臭いに俺は再びえづいた。


「……ああ」

 俺は素直に返事をしながら魔法の言葉を探している。

 依頼人の命はどうでもいいが、この状況から俺の命が助かり、大した傷も残さないで済むような魔法の言葉を。無いことはわかっているが、それでも存在しない希望に縋ろうとしている。


「絶望は人間の特権だ」

 何度も組長の息子が俺の腹部を踏みつける。

 そのたびに俺は蛙のような悲鳴を上げた。声というよりは純粋な音に近い。


「お前はどうやっても助からないしどうやっても死ぬ。想像しろ。お前たちが親父にやったこと以上のことをしてやる……と言いたいところだが」

 組長の息子がその場にしゃがみ、俺にぐっと顔を近づける。

 その顔に唾を吐いてやりたいが、多分死ぬ直前になっても俺はそういうことが出来ないだろう。


「お前の飼ってるグラム売りの情報を渡せ、そうすればお前は助けてやる」

 嘘だな、と思った。

 グラム売りの情報を吐かせた後の俺を生かす理由は組長の息子にはない、一般人を一人殺すことと二人殺すことには大きな差はあるが、俺達みたいな人種は一人だろうが二人だろうが大差はない、殺してしまったほうが後腐れがなくて済む。なによりグラム売りが実行犯で一番憎んでいるとしても……俺もまた立派な犯行グループの一人である。俺なら殺すね。


「頭の中で色々考えているであろうお前に、話す理由をくれてやる」

 組員の一人が組長の息子に恭しくボウル型のミキサーのようなものを差し出した。

 底が浅く、入り口は広い。扇風機のようにも見える。

 おそらく通常のミキサーよりも、人間を端っこから削るのに向いているだろう。


「話さなければ、これをやる」

 瞬間、俺は全てをぶちまけた。

 どうあがいても助からない、そうわかっていても――人間は出来ることはなんでもする。特にこういう確実に何かを失うことに対しては。

「それでいい」

 組長の息子はそう言って、ミキサーを起動させた。

 回転する鉄の刃が人を殺すのに相応しい金属質の厭な音を立てる。


「何も言わなければ、お前はこうなっていた」

 獣のような野太い悲鳴は俺ではなく、依頼人から発せられた。

 彼の左足に突っ込まれたミキサーは人間の指五本を骨と血と肉が入り混じった挽肉に変える。


「もっとも、時間の問題だけどな」

 凍るような目が、俺を見た。

 話すことと話さないことに大した差はなかったらしい。

 わかっていたことだ。

 依頼人も俺もグラム売りも死ぬ。


 依頼人の右足がミキサーに突っ込まれる。

 人間の指が再び、挽肉に変わる。


「……百十二グラム」

 愉快そうな声がした。


「一、一、一、一、六十八、七十九、百五十一グラム」

 気づくと、扉が開いている。

 月光が錆びた扉の隙間から入り込み、長い影を作る。


「グラム売り……」

 返事の代わりに悲鳴が上がった。

 組員の頭部にナイフが生えている。

 ビラを配るような気負いのなさで、グラム売りが組員たちにナイフを投げている。

 組員が銃を構えようとしたそばから、ナイフが頭部に命中し、射撃には至らない。

 恐ろしい速さと正確性だ。


「テメェッ!親父を殺した奴かァーッ!!!」

 組長の息子が銃をグラム売りに向けた瞬間、ナイフは彼の頭部に向かっていた。

 だが、頭部を庇うように伸ばした左腕が致命傷を防いでいた。

 獣のような悲鳴が倉庫内に響き渡る、それとともに銃弾がグラム売りの心臓へと向かう。

 復讐の念で無理やり苦痛を抑え込んで引き金を引かせたのだろう。


 硬質な金属音。

 グラム売りの持っていたナイフが吹き飛んだ。

 心臓を防ぐようにナイフを胸元で構えていたのか。


「チンパンジーには想像力がないけど、俺には結構あるからさ」

「グェヤァァォッ!!!」

 苦悶の声と共に組長の息子が銃を落とす、その右手の甲にはグラム売りが放ったナイフが刺さっている。

 グラム売りは死体に突き刺さっていたナイフを一本拾うと、組長の息子の元に向かい、肉を削いだ。


「ギエェェェァッ!!」

「百十グラム」

 おそらく、これは組長の息子の体重分は続くだろう。

 そして、組長の息子が映像を見たかどうかは知らないが――おそらく、そうなることは彼自身も想像できるんじゃないかと思う。

 肉を削いでいる時のグラム売りの目は爛々と愉悦の火を揺らしている。


 俺は俺を拉致するために用いられた車を俺達を家に帰すために運転している。

 運転席には俺、後部座席にはグラム売り。助手席には誰もいない。

 殺す理由もないが、生かす理由も特に無い人間というものはいる。

 特に情報を吐いた依頼人というものが、そうだ。

 だから、まぁ、そういうことになる。


「……なんで、俺がここに拉致されてるってわかったんですか?」

「組の留守番の人から聞いたんだよ」

 事もなげにグラム売りはそう言ってのけた。

 そもそも俺は依頼人の情報をグラム売りには漏らさない、直接取り引きさると俺みたいなのは干上がるのだ。


「俺だって依頼人については調べるよ。こういう仕事で一番大切なことなんだからさ。ま、多少は悪いと思ってるけど……自分だけが相手の住所を知っていると思っちゃ駄目だよね」

「……マジかよ」

「俺はさ、こういう仕事しか出来ないから……ちゃんとした仲介屋は大切にしてるんだ、十年も二十年も続けたいからね」


 結局のところ、俺が思っていたよりもグラム売りは未来について真剣に考えていたらしい。リスクを背負ったクソみたいな仕事でも、未来が絶望的な仕事でも、それしか出来ない人間はいる、それは俺だって同じことだ。


 人が人を殺したがる限り、仕事の種が尽きることはない。

 遠い未来でも、きっと依頼人はいるだろう。


「で、お願いがあるんだけどさ……ポチの世話手伝ってよ」

 俺はしばらく二人と一匹の未来について考えた後、ゆっくりと頷いた。

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