最終話 蛇姫 後編
最後は嗣子の部屋だ。
襖を開けた部屋に電気はついておらず、畳の上に、布団がきちんと敷かれている。やはり誰もいない。義母はどこ?
部屋に入って、じっくりと観察した。
襖のかげ。衣装棚。隠れようとすれば、隠れられる場所はいくらでもある。
孝史にのしかかられた夜、闇に浮かんでいた目玉が、無性に思い出された。
「お義母さん、あのときずっとのぞいてたんだ……」
廊下にレコーダーを置き、自分は隠れていれば。いどころなんて簡単にごまかせるじゃないか。
ローテーブルの古いパソコンの画面が、煌々と発光している。
パソコンの横に置かれた、茂が描いた絵。嗣子が描いた、白い蛇のお姫様と狩人の絵が、ぐしゃぐしゃと黒いクレヨンで塗りつぶされている。
真希はマウスをコロコロさせ、パソコンを確認した。
画面の背景画像は、アップの犬の写真。画面に映っているのは、真希のSNSのウィンドウ。かなり前まで遡られている。
それから、たくさんの真希の写真。
あとは、文章ソフトにギッチリ書かれたメモだ。しぐさ、癖、生理周期まで、事細かに記されている。
「何これ……」
混乱や、嫌悪や、羞恥や、そのほか溢れでるさまざまな感情に、頭が痛くなる。マウスを動かすのをやめられない。
あげく、こたつでくつろぐ真希、孝史、茂の映像のデータさえあった。
『いいっていいって。お袋が全部やってくれるから』
『……ねぇ、さっきから誰かに見られてる気がしない?』
カチッとマウスを押し、すぐに停止させた。
「いや……」
真っ暗な寝室で寝ている真希、孝史、茂の映像もある。服をはだけさせた真希の上に、孝史が乗り、ゴソゴソ動いている。荒い吐息まで、しっかり記録され。
叫びたかった。が、喉に大きなしこりが詰まったようで、声にならない。
「あーあ。ひどい雪。年明け会社行けるかな」
背後から上がった言葉に、頭が真っ白になる。開いた襖の隣の、寝室からだ。
「もう会社辞めようかな」
自分そっくりの、自分ではない声。
「ここで孝史と暮らした方が楽しいよね、ミケ」
ミャアっと、猫の鳴き声。
ごぉん、ごぉんと、鈍い音が、遠くから聞こえる。除夜の鐘だろうか。
ゆっくり、ゆっくり、首を後ろに回した。
いつ敷かれたのかもわからない布団に、嗣子が横になっていた。でも、いつも見ていた彼女とは違う。厚みがなく、血の気もない、ふにゃっと風船がしぼんだような、『皮』だ。
もっと異様なモノがいる。白い着物の女が、真希に背を向け正座していた。
長く黒い髪を揺らし、女はこちらを振り返った。
冷たい闇の底の、白い氷の粉の道を、もがくように歩いていると、ごぉん、ごぉんと除夜の鐘の音がした。
ようやく平屋のボロ家まで戻った、ヘロヘロの孝史と茂は、玄関の戸を横に引き、あかりのない家へ入った。
「ママ見つからなかったね」
「どこいったんだよ」
結局、二人の大事な人は見つからずじまい。
すると暗い廊下から、白い着物を着た、細身の女が駆けてきた。
「孝史、どうしよう」
叫んだ女は、孝史と茂のたずねびと。
二人は安堵の息をついた。
「真希? 戻ってたの? なんだよその格好」
「ママ」
茂が真希に抱きつこうとした。細い両腕が抱き上げてくれるのを期待して。が、真希は茂を無視し、孝史に抱きついた。
「どうしよう……。お義母さんが……」
嗣子は寝室の布団で寝ていた。わずかに息をしているが、目と口を半分開き、ピクリとも動かない。
白い着物の真希が、布団のそばでへたり込む。涙が溢れる両目を、両手で覆った。
「ずっとこのままなの。どうしよう。どうしよう」
孝史は安心させようと、真希の肩に手を載せた。
「大丈夫、息はしてるよ」
「あたしが突き飛ばしたせいだ。孝史、警察に通報して」
「だめだよ。真希の未来はどうなる。俺がなんとかするから」
「あたし、仕事やめてこの家で暮らす」
その告白には仰天した。
「お義母さんの面倒を見なきゃ。あたしのせいだから。孝史は東京に戻って。東京で暮らして」
孝史は息を吐いた。妻がこんなに言うなら、自分も腹をくくらねばならない。
「なら俺もここで暮らす」
「え?」
「真希がいる場所にいるよ」
「孝史……」
泣きじゃくる真希は、孝史にもたれ、広い背中に手を回した。着物の袖がめくれた。あざのない白い腕があらわになる。
ミケがゴロゴロ喉をならし、真希に擦り寄った。
唐突に、茂が叫んだ。
「違う。この人ママじゃない!」
「おい、なんてこと言うんだ」
混乱しているのだろうが、さすがにひどい言い草だ。孝史は嗜めようとしたが、幼い息子は食い下がる。
「だって違うもん。ママはどこなの? ママを返して。僕ママと帰りたい」
ムカムカと怒りが湧き上がる。自分でも抑えられない激情に突かれ、愛息子の頬を叩いた。
「母親だぞ!」
茂は「わぁん」と大泣きしながら、寝室から出て行った。
孝史はあとを追いかける。
「茂、待て。ママに謝れ」
白い着物の真希は、布団のそばに正座し、布団に横たわる老婆の頭の皮を、ピロッとはいだ。
皮の下から、目と口をあけて痙攣する、若い女の顔がのぞいた。
「た……、し……」
声を絞り出そうとしている。
白い着物の真希は、女の耳元で囁いた。
「あたしの産む中原の男はみんなあの人の生まれ変わりなの」
真希は女の顔の上に、皮を戻した。立ち上がり、襖を閉ざす。
古いパソコンの横に置かれた紙には、落書きがなされている。白い着物の女の絵が、クレヨンで形どられ。
数十年後が経った。
平屋の前に車が停まる。若い夫婦と小さな子供が降りた。
「いらっしゃい」
玄関から、犬を連れた長い白髪のおばあさんが出てくる。
若い夫はズカズカと家へ入った。
「母さん、世話になるよ」
妻のほうは、緊張した面持ちだ。平屋の前に立ち尽くしている。
おばあさんはおかしそうに笑った。
「そんなに緊張しないで。いじめたりしないから。あたしの名前覚えてる?」
「あ、えっと……」
「結婚式以来だからしょうがないわよね。
蛇姫 Meg @MegMiki34
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