第4話 蛇姫 後中編

 大晦日の夜になった。

 零下の闇の底へ降り注ぐ雪は、こんこんと積もっていく。

 居間のこたつに入った孝史は、自分の母親の箸によって口まで運ばれた野菜を、パクッと咥えた。

 

「ママおいしい」

「孝史くん大好き」

「俺も」

 

 子供用の箸を握ったまま、茂はぽかんとしている。太ももで丸まっているミケは、大あくびをした。

 真希は鍋に手をつけられないでいた。

 夫の瞳はだらしがないほどトロンとしている。長い付き合いだが、見たことがない目だ。

 気色の悪い親子は、今度は手を繋ぎだした。吐き気がし、立ち上がった。

 

「茂、行こう。どっか外に」

「う、うん……」

 

 茂も異様な空気に耐えられないのか、すぐに立ち上がった。

 これ以上ここにいたくない。例の視線もいまだ感じるし、何より、義母を見たくない。

 こたつの中の嗣子と孝史は、眉を下げている。

 

「この雪じゃ凍え死んじゃうよ」

「やめろよ」


 引き留める言葉に耳を貸さず、真希は茂の手を引き、居間を出ようとする。

 開けようとした襖の前にミケが立ちはだかり、毛を逆立ててフシャアと威嚇した。吊り上がった瞳は、憎しみに溢れている。真希は怯んだ。

 ここぞとばかりに孝史が説教を始める。

 

「ふざけてるの? 茂を凍死させる気?」

「でも」

「行くなら一人で行け! おまえなんか母親失格だ!」

 

 孝史は茂の肩をガッチリと掴み、放さない。茂は怯えきっている。

 

「ママ……」

 

 慌てて茂を助けようとした。が、小柄な老婆が縋ってくる。


「真希さん待って。不快にさせることがあったら謝るわ」

 

 触られると、たちまち鳥肌が立った。

 

「いやぁ!」

 

 咄嗟に突き飛ばした。

 

「きゃ」

 

 悲鳴をあげた嗣子は、後ろ向きに転倒し、勢いよく腰を床に打った。グッタリとして、苦しげな呻き声を絞りだしている。

 

「お袋!」

 

 孝史が老婆の小柄な体を抱えあげる。攻めるような目で睨まれた。のんきで優しかった夫は、もういない。

 茂は目を丸くして突っ立っている。目の前で、ママがおばあちゃんに乱暴したのを見せてしまった。傷つけてしまった。失望させてしまった。

 真希は耐えられず、雪の闇夜へ飛び出した。

 

 

 しばらく田舎道をさまよい歩いたが、芯から凍るような冷たさは、あまりにも過酷で。それに雪に足を取られ、思うように歩けない。

 結局、家の横の物置の軒先に膝を抱えてしゃがみ、降り積もる雪を、意味もなく眺めるしかなかった。時々、寒さでくしゃみをする。

 家の玄関の引き戸からは、光が漏れ、聞き慣れた低い声がする。

 

「お袋は休んでてよ。さっきので腰が悪くなっちゃったんだから」

 

 物置に隠れながら、こっそり玄関をのぞいた。

 玄関前に、孝史が立っている。茂の肩を杖がわりにした嗣子を支えている。

 

「あたしも行くわ。あたし昔からお節介なの。きっとそのせいで真希さんも不快になったの」

「大丈夫大丈夫。真希なら話せばわかるって。しっかり者のいい人だから」

 

 胸がジンとした。ひどいことをしたのに。

 

「多分俺が真希に甘えすぎて不快にさせちゃったんだ。真希はこの世で一番大切な人なのに、いなくなったら俺……」

「僕もママがいなくなったらやだ」


 嗣子がうなずいた。

 

「わかったわ。でも長く外にいないでね。除夜の鐘が鳴るまでに見つからなかったら、警察に連絡しましょ」

「うん、行ってくるよ」


 降りしきる冷たい粉に構わず、孝史と茂は果敢に雪道を歩く。

 目尻に涙がたまるのを感じた。家族は自分をこんなにも思ってくれている。しかし、大ごとにしすぎてしまったかも。

 父子の背中に、嗣子はため息をつき、靴箱脇にあった杖をついて、家に引っ込んだ。ガラガラと玄関の戸が引かれ、閉ざされるが、鍵がかけられた音はしない。

 自分も戻って、義母に謝ろう。真希はそっと戸を引き開け、家に入った。

 

 

 

 灯りのついていない暗い廊下を、木をできるだけ軋ませないよう、しのび足で歩く。

 家で待ってたら、そのうち孝史と茂が帰るだろう。その前に、義母に謝るのが先なのだが。

 

「どんな顔してたらいいかな。なんて言えばいいかな」

 

 不意に背筋がゾッと凍った。天井から舐めるような視線を感じる。見上げるが、木の板には何もないし、視線の感覚も消えた。

 結局アレは何なのだろう。

 正月休みの前に、一家は東京へ戻らねばならない。普段仕事に忙殺されている自分たちが、次にこの家を訪れるのは、一体いつになるだろう。戻る前に、暴いてみたい。

 意を決し、そばにあった飾り棚に足をかけた。ポケットに入れていたスマホのライトで天井を照らし、板を軽く押してみる。

 

「?」

 

 板は簡単に外れた。奥に設置されていた監視カメラのレンズが、テカっと白光を反射した。

 驚きに、真希は飾りの棚から落ちた。反動で棚も倒れる。

 鈍い痛みが腕を襲った。

 前にもこんなことがあったなと思いながら、真希は起き上がった。スマホの光を頼りに腕を見ると、前と同じように、あざになっている。

 ふと、飛び出した棚の引出しの中に、ラジオのような再生機があることに、初めて気がついた。

 

「なにこれ」

 

 手に取り、再生機のボタンを押す。

 

『真希さん、どうかした?』

『お手洗いに行ってたの。それより真希さんは大丈夫?』

 

 かわいらしい義母の声。

 

 

 

 風呂場も確かめた。

 シャワーの横の鏡の上、タイルの間に、カメラが埋め込まれていた。

 誰もいない畳の居間も。いたるところを押したりまさぐったりしたら、ブラウン管のテレビの中に、カメラを発見した。

 一体なぜ? それより、家に入ったはずの義母に全く遭遇しない。どこにいる?

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