路上
令狐冲三
路上
風のない9月の日没近い時間だった。
他には一台の車も走っていないやけに立派な田舎道を、私は赤いアコード・ワゴンのステアリングを握り、ほとんど機械的にアクセルを踏み続けていた。
コクピットのスピードメーターはゆうに100km近かったが、見もしなかった。
もう何時間も運転し続けていたせいで、集中力がなくなっている。
窓の外は同じような雑木林ばかりの景色が何キロも続いていて、遠くの山々は静止したまま動かないのだが、アスファルトで塗り固められた路面に白くペイントされたセンターラインは、たちまち後方へ飛び去っていった。
道はゆるい下りが続き、その先で急勾配の上り坂になっていた。
夕陽はその道の彼方から、まっすぐこちらへ射している。
そのせいか、坂は中央だけが日陰になっていた。
ふと、ルームミラーに小さな黒い点が現れた。
私はコンソールの上のJPSを一本抜いて火を点け、さらにアクセルを踏み込んだ。
アコード・ワゴンは乾いた排気音を響かせながら加速していく。
しかし、それ以上のスピードで、背後から大型のトレーラートラックが迫った。
こちらも相応にスピードは出ていたはずだが、トラックはさらに上を行っていた。
他に車のない広い田舎道のこと。
抜こうと思えばたやすいはずだが、トラックは直後にピッタリつけたままミラーの中でさかんに車体を振り、からかうようにあおってくる。
何とか振り切りたかったが、朝から丸一日運転し続け疲れきった状態で、それ以上スピードを上げる気にはならず、二台は夕陽の下のまっすぐな舗装路を、まるでランデブーのように仲良く連れ添い疾走していった。
街の入口に近い交差点で、トラックは右折レーンに入り、我々は停止線にあわせて並んで停まった。
横断する人も車ももちろんない。
信号が青に変わり、トレーラートラックは野太い排気音と、馬鹿にしたような長いホーンを一つ残し、誰の見るでもないウインカーを出して右折していった。
嫌な気分でそのテールランプを見送ってから、私はまっすぐ車を出した。
街へ入る頃には、すでに日が暮れて夜になっていた。
今夜の宿泊地である道の駅を目指し、遮二無二車を走らせたが、間もなく疲労に耐えきれなくなり、南国風の丈高い街路樹の並ぶ路肩へ車を寄せて停めた。
それから、両側の窓とサンルーフを開けて、エンジンを切った。
夜になり、風が出てきたらしい。
涼しい夜風が車内を吹き抜け、頭上で街路樹の枝たちがたえまなく囁き合っていた。
まだ7時を回ったばかりでさほど遅い時間ではなかったはずが、人影などまるでなく、田舎の寂しい夜だった。
ここからでは見えないが、どこかに貨物列車の操車場があるのだろう。
遠くで警笛の音や、貨車がレールの上を滑っていく音がしていた。
私は一つ深呼吸をして、これといって特筆すべきもののない夜の田舎町をぼんやり眺めた。
サンルーフの向こうの夜空は、満天に星が瞬き、街路樹の枝の隙間を通して月明かりも降り注いでいる。
フロント・ウインドーの50mほど先で、ストアが一軒、まだ店を開けていた。
私は車から降り、そこまで歩いて行った。
レジの奥で、額の禿げ上がった中年の店主が、読んでいた週刊誌を置いて立ち上がった。
そして、人好きのする笑顔で、
「こんばんわ」と、頭を下げた。
「ビールを二本ください。ノンアルコールのやつで」と、私は言った。
主人はガラスの冷蔵庫まで歩いて行き、振り返った。
「どれにしますか?」
「銘柄はどれでもいいんです」
私が言うと、彼は一番奥のよく冷えたドライゼロの缶を二本取り出し、ビニール袋に入れた。
「ここんとこ暑い日が続いてますからね」
主人は言いながらレジを打ち込み、釣銭を確かめてから、私の方へ差し出した。
店を出る時も、彼は、
「おやすみなさい」
と、気さくな笑顔で送り出してくれた。
私は車へ戻り、最初の一本を一気に飲み干した。
キンキンに冷えて、素晴らしく旨かった。
外気に触れると、缶はたちまち汗をかいた。
二本目は昼間食べ残したドーナッツと一緒にゆっくり流し込んだ。
ドーナッツの甘味とビールの苦味が、いちどきに口の中へ広がった。
それも飲み終えると、私はまたJPSに火を点け、ステアリングの上で組んだ両腕に顎を乗せ、くわえ煙草のまま遠くを見遣った。
一台の白いハイエースが、私のアコード・ワゴンの横を走り抜け、先ほどのストアの前で停まった。
周囲は静寂そのもので、幾重にも折り重なった虫たちのシンフォニーだけが、ずっと聴こえている。
ハイエースの中から、可愛らしい女の子とその母親らしい美しい婦人が下りてきた。
すると、店の主人が飛び出してくるなり女の子を抱え上げ、婦人の方へ笑いかけながら、嬉しそうに店の中へ帰っていった。
どうやら、二人は店主の妻と娘らしい。
しかし、そんな微笑ましい情景も、私には何の効果もなかった。
なぜとなく、私は一人ずっと遠くを眺めつつ、ぼんやり考えごとに耽っていたからだ。
路上 令狐冲三 @houshyo
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます