その五「二〇一六年十月十八日十七時三十一分」

 午後五時二十一分。


「そっちはどう?」

「オッケーです」


 深山模型店の屋上では、昨夜と似たようなやり取りが交わされていた。ただし、今夜は二人とも同じエプロン姿である。


 照明と一階の電気系統の確認をした頃には、時刻は午後五時になろうとしていた。店の方はそのまま閉店作業をしてシャッターを降ろすだけで済んだが、観測準備はなにもしていなかった。


 東京から国際宇宙ステーションI S Sが見られる時刻は、午後五時三十二分頃。


 二人は大急ぎで望遠鏡やらランタン型ライトやらを担いで屋上へ向かった。慌てていたためか、舞羽は一階の窓際から取り込んだゼフィランサスの鉢植えまで持ってきている。

 そのことに気づき、舞羽は頭を抱えた。


「ああ、これじゃ二度手間だ……」

「いいじゃないの。花を見ながらきぼうを見上げるってのも乙なものよ」


 きぼうは、国際宇宙ステーションを構成する日本のモジュール名である。iPadで宇宙航空研究開発機構J A X Aのウェブサイトを確認していたきすかは、わざと気取った風に声を掛けた。


「ですね。えっと、角度情報ください」

「うい、ちょっと待ってね」


 天体望遠鏡シュミットカセグレンのセッティングに戻った舞羽の問いに、iPadの情報を確認しつつきすかが応じる。


「えーっと、方位角三〇二度、仰角十一度」

「了解です」


 舞羽はシュミットカセグレンの特徴的な太い胴体を西北西へ向け、先端を上に十一度傾けた。


 昨日話していたとおり、こういう本格的な天体望遠鏡を持っているということは、きすかは本当に星が好きなのだろう。興味が湧いて調べてみたところ、個人で買うには結構な値段がしたので二重に驚いてしまった。

 多趣味な人間だとは思っていたが、きすかと星という組み合わせを舞羽はすぐにイメージできなかった。花について意外そうな反応をされたとき、あまり追及しなかったのはお互い様だったからだ。


「セット完了。って、ええっ!」


 突然、舞羽が素っ頓狂な声を上げた。


「きすかさん、双眼鏡で同じ方角見て下さい!」

「ん、一体なんなのだわ?」


 舞羽の勢いに押されるように、きすかは持っていた双眼鏡を掲げた。ピントが合ったそのとき、藍色の空のはるか彼方に光を捉えた。視界を左から右へ、つまり北西から南東へかすかな光が流れ、



 一瞬の光芒こうぼうを放って消滅した。



 きすかが双眼鏡を下ろすのと、舞羽が立ち上がったのはほぼ同時だった。顔を見合わせる。きすかの持っている双眼鏡は、望遠鏡には及ばないものの近い星や明るい星なら余裕で見ることができる。


 きすかはiPadで、舞羽はiPhoneでそれぞれ情報を集めた。そして、二人が停電対応に奔走している間にアップロードされたニュースを発見した。


 二人が見つけたウェブニュースは『本体から脱落し再突入軌道に入ったコスモス衛星の太陽電池パネルは、北太平洋へ落下する見込みが高い』と報じていた。

 さらに『再突入軌道が北半球を横切るため、日本列島や朝鮮半島、そしてシベリアからは観測できるかもしれない』とも——


 ISSが周回している高度約四〇〇キロメートル上空は、地球大気のうちで熱圏に属し、人工衛星の中にはさらに上の軌道を周回している物も多くある。

 熱圏は上空八〇キロメートルから八〇〇キロメートルの範囲を指し、この下が中間圏と呼ばれる空域である。大気圏再突入と言えば、この中間圏を通過する際のことと考えて概ね差し支えない。


 約四〇〇キロメートルと約八〇キロメートル。

 高度差約三二〇キロメートル。


 仮に、同じ軌道をなにかが通ったとしても、高度差からそれらが干渉することはまずない。地球外から飛来する隕石などの流星物質メテオロイドであっても、事情は大きく変わらない。

 地球の重力に捕まると、軌道上を周回しながら高度を落として落下する。


 二人は再び顔を見合わせる。


「貴重なものを見たってことになるのかね」

「そうかもしれませんけど、落ちるのはやっぱり流れ星だけで良いと思う。落ちなくて良い物は良く落ちますしね」

「たとえば?」


 舞羽は苦笑いをして、階下を指さした。


「作業中のパソコンとか」

「あー……」


 わかる、ときすかは思わず遠い目になる。ここで、さっきの停電騒ぎを持ち出さない辺りが舞羽の性格を表しているとも思った。


 あの光の瞬きが〝それ〟だったかはわからない、


 ISSも運用期間の延長が決まったとはいえ、その役目を全うしたときには流れ星となることが運命付けられていた。


 やがて、きぼうの姿を捉えた舞羽が興奮した声を上げ、きすかが苦笑しかけたとき「あ、ロボットアームも見える」という言葉を聞いて、好奇心にすべてを持っていかれた。

 頬がくっつきそうな勢いで「ちょっと見せて」とやってきたきすかに、舞羽が驚いて声を上げる。


 天体観測で、女二人でも十分かしましい。

 小さなライトの明かりに照らされて、二つの影がちょこちょこと動く。


 その光の中で、ゼフィランサスの白い花が浮かび上がっていた。向かい側の路肩では、花壇の秋桜が街灯に照らされている。

 どちらも同じように、やがて種子を残して散っていくだろう。

 互いにその花命かめいが続くまでは——。

 秋の空に、星が瞬きはじめていた。




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Eternity Of Moment -ReWrite- 蒼桐大紀 @aogiritaiki

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