その四「復旧作業とあるべき位置」

 深山模型店の正面出入り口、模型メーカーのロゴがモザイク画のように並んでいる自動ドアに一枚の紙が貼ってある。


   ただいま電気工事中につき

   臨時閉店しております。

      深山模型店


 コピー用紙にマジックで書いただけのものだが、工事中の看板にある頭を下げた作業員のイラストが添えてあるので愛嬌がある。


 状況を把握して感情を吐き出すと、舞羽の行動は素早かった。きすかに「すぐに自動ドア閉めてください」と鍵を投げ渡し、その間に臨時閉店の告知をイラスト付きで書き上げた。戻ってきたきすかにマスキングテープで貼り付けるように言うと、電話で祖父に連絡を取り、臨時閉店の事後承諾を得た。


 きすかが口を挟む間もなかった。


 もちろん、それは舞羽が怒っているからではなく、この間に客が来たら応対しなければいけないし、なにより照明なしで作業をしなければいけない可能性を考慮してのことである。ついでに、店を閉めた後は昨夜見逃した国際宇宙ステーションI S Sの観測準備をして、午後五時半には屋上で待機していたいという目算もあった。


 作業に取りかかったときは、窓から入ってくる陽光はほぼ茜色に染まっていた。日が沈むまで、さほど時間はないだろう。舞羽はレジカウンターから、照度の高いフラッシュライトを取り出した。念のためPCとレジの電源を落としておく。


「準備オッケーです。工具はそれで足りますか?」

「十分よ。ひとまず一階のブレーカーから見てみましょ」

「はい。それじゃ、先行きますね」


 舞羽がライトを点けて先を歩く。カウンター内は足元が大分暗くなってきているので、きすかは閉め切られたマンションの家宅捜索でもしているような気分になった。


 ブレーカーは、カウンターを店舗の裏方向へと直進した奥の壁際に備え付けられていた。


 ライトの光の中に、天井に近い壁際に設置された押し上げ型のスイッチ群——ブレーカー——が浮かび上がる。その少し手前の位置。左側面の壁際に施錠された金属の箱が固定されているのが見えた。


「あ、一階のお店の部分だけが全部落ちてます」

「とすると、やっぱりこっちが原因か」


 きすかは工具箱を足元に置き、昨夜も使っていたランタン型ライトを点ける、軍手をはめた手で、舞羽から『一階配電盤』とシールの貼られた鍵を受け取った。

 金属の箱を開けると、焦げ臭い匂いが鼻をいた。


「舞羽ちゃん、ごめ。明かり明かり」

「はい」


 フラッシュライトの強烈な光が内部に収められた配電盤を照らし出した。ケーブルが等間隔に配置されたコネクターの集合体が闇に浮かび上がる。カラフルなジャックのついたケーブルは、ぐてっと伸びたタコの足よろしく基板の上に配置されていた。


 背伸びして配電盤を見ていたきすかが、ある一点に注視して眉根をしかめた。


「——一階に冷蔵庫ってあったっけ?」

「作業部屋にありますよ。飲み物類と氷くらいしか入ってない小さいのですけど」


 きすかは配電盤とブレーカーを見比べて、


「まあ、それならくらいなら大丈夫か」


 小さく安堵の息を吐いた。


「舞羽ちゃん、一階のブレーカーを全部落としてみてくれる」

「はい」


 舞羽は壁に立てかけてあった脚立を手に取って、きすかの脇をすり抜けようとして、



 がん!



 開け放たれていた配電盤のフタに頭をぶつけた。


 きすかは慌てて脚立を支え、落ちてきたフラッシュライトをキャッチする。両手で頭を押さえてうずくまっている舞羽に、


「頭上注意って言おうとしたんだけど……」

「もう手遅れです」


 絞り出すような声が返ってきた。きすかは右手の軍手を取って、ポニーテールの結び目の少し上を撫でた。

 幸いこぶにはなっていなかった。




「お店もうはしょうがないとして、観測時間までに終わります?」


 四時半を回った時計を見て、舞羽が訊ねた。ぶつけたところがまだ痛いらしく、時折後頭部をさすっている。


「終わると思う……。というか、そこまで時間は掛からないのだわ」


 きすかは手元から目を離さず答えた。陽光が入りにくいこともあって周囲は暗くなっていたが、舞羽の持ってきたフラッシュライトはうっかり直視すると目が眩むほどまぶしかった。


 停電原因をきすかは説明してくれたものの、電気工事の知識がほとんど無い舞羽には「太陽光発電システムのバイパス線が摩耗していた」という部分と「安全措置としてヒューズが飛んだ」という部分しかわからない。


「まるごと取り替えないとダメっぽい気がするんですが」

「二、三個交換しないといけない部品があるけど、予備を持ってきたら大丈夫なのだわ。ヒューズは消耗品だから、こっちにも置いてあるわよ」


 舞羽はため息をつき、右腕の肘を左手で掴んだ。


「そこまで用意しておいて、どうして忘れちゃうんですか?」

「忘れるときには忘れるのだわ」


 きすかは手を動かしつつ、ふと思い出したようにまったく別の話題を口にした。


「さっき外で秋桜を見て思い出したんだけど、昨夜ロシアのコスモス衛星のニュース見せたでしょ」

「地球落下コースに乗っているものの、落下中に分解して燃え尽きるから危険はないというアレですね」

「続報が今朝上がってて、原因はわからないけど、太陽電池パネルの一つが分離して本体とは別々に落ちるらしいって。それで、進入角度の関係からパネルの方が先に落下して燃え尽きるとかなんとか」

「それで私も思い出しましたけど、宇宙ステーションと言えば中国の天宮一号が制御不能で落ちるってニュースがありましたよね」


 きすかはそこで一瞬手を止めて、「むう」とうなった。


「あれも再突入で燃え尽きるって話だったけど、どこまでアテになるやら。落ちるまでの間に別の事故を起こさないといいけど。舞羽ちゃんはどう思う」

「おおむね同意かな。万が一、成層圏まで落っこちて来てもパトリオットなり、サードなりで対応できますから」

「恐いことをあっさり言うわね。でも、そこまで来たら弾道ミサイル迎撃するのと変わらないか。——よし、おっけい!」


 きすかは頭をちょっと下げて、配電盤が収まった箱の扉を閉めた。それから脚立ごと移動して一階のブレーカーを復旧させると、舞羽に声を掛ける。


「舞羽ちゃん、もう電気つけてもいいよ」


 フラッシュライトの光が消える。舞羽が動く気配がして、室内の照明が灯った。

 きすかが脚立から下り立つと、すぐ後ろに舞羽の気配があった。狭いので振り向くのもままならない距離である。


「んん? どうかしたの?」

「きすかさん、スペースシャトル計画がどうして中止されたのか知ってます?」

「なんでこんなときに。まあいいけど」


 振り向けないため、そのまま答える。とりあえず、用済みになった軍手を外して工具箱に放り込んだ。


「えっと、甘い見積もりから経費が予想以上に膨れ上がってお尻に火がついたんでしょ。ああ、甘い見積もりと言えば現場は危険性を指摘しているのに、上が『大丈夫だろう』と高をくくって二度目の事故が起きたっていうのも聞いたことあるわね」

「甘い見積もり」


 もともと高めの声を思い切り低くしているので、ちぐはぐさに妙な迫力があった。


「……舞羽ちゃん?」


「維持費が掛かるのは事実ですけど、安全対策と予防措置に対する上層部の認識の甘さが二機のオービタの事故を引き起こしたとされています。チャレンジャーの打ち上げ直後の爆発事故から結局なにも活かされなくて、コロンビアの再突入中の分解事故がトドメになったという見解もあるそうですよ」

「えーっと、つまり……」


 舞羽がさらに一歩距離を詰めた。


「スペースシャトルの方は官僚主義の悪い部分に毒された管理態勢にあったと言われていますが、うちのややこしい配線の管理は——」

「ああああ……」


 きすかは、皆まで言うなと両手を挙げようとしたが遅く、後ろから舞羽に羽交い締めにされる。

 そして、そのまま舞羽は動かなかった。


「えっと……舞羽ちゃん?」


 恐る恐るきすかが声を掛けると、


「さっきは本っっっっっっ当に恐かったんですからね!」


 舞羽は押し殺した声で叫んだ。

 どうにか首をひねって後ろを見ると、ちょっと涙目になっていた。


「あれ? 暗いの苦手だったっけ?」

「得意な人間の方が少ないと思います。じゃなくて、いきなり灯りが消えたのが恐かったんです!」

「じゃあ、妙にテキパキ動いてたのは……」

「動いてないと恐いのがぶり返しちゃいそうだったからですよ!」


 腕越しに伝わってきた震えを感じて、きすかは納得した。


「あー……、それは悪かったのだわ」

「頭もぶつけちゃいましたし……」

「ごめんなさい」


 手探りできすかが頭を撫でると、舞羽は両腕の力を少しだけゆるめた。


「もういいですけど」


 舞羽はしばらく腕を解かなかったが、きすかはなにも言わずむしろ体重をあずけていた。一度だけ「すん」と鼻を鳴らす音が聞こえたが、きすかは聞こえないふりをしていた。

 これもあるべき位置なのかな、ときすかはひそかに思う。



     ◇  ◆  ◇




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